中教審最終答申が示す教育基本法改悪の本質
  教え子を侵略戦争に駆り立てる
  教育基本法改悪を阻止しよう!

                          浦島 学

 今年三月二十日、米英軍がイラク侵略戦争を開始したその日、中央教育審議会は、教育基本法改悪を明記した最終答申を遠山文部科学相に提出した。日本の侵略戦争を支える答申内容を象徴するかのように…。
 その後の有事三法案の成立、イラク派兵法案の強行採決に示されるように、教育基本法改悪はこれら日本の危険な動きと連動し、子どもたちを「戦争をする国家」へ動員することを最大の目的として行なわれようとしている。
 教育基本法の改悪は、二〇〇〇年九月に出された「教育改革国民会議」の中間報告での、「教育基本法の見直しについて国民的議論を」という記述に端を発している。次いで教育改革国民会議は同年十二月に最終報告を発表、「教育基本法の見直しに取り組むことが必要である」と明言した。これを受けて文部科学相は〇一年十一月に中教審に「新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方」を諮問し、〇二年には中教審の中間報告が出された。以降中教審は、全国四ヵ所で「一日中教審」、六回のヒアリングを行なって、最終答申「新しい時代ふさわしい教育基本法と教育振興基本計画のあり方について」を今年三月に提出したのであった。
 最終答申には「教育基本法改正の必要性と視点」が明らかにされている。こうして「教育基本法改正案」の国会提出が日程に登ってきた。先の国会では公明党との調整もあって提出されなかったが、総選挙後の通常国会で提出がありうる危険な情勢となっている。
 最終答申に明らかなように、教育基本法の改悪は、@「愛国心」を身に付けた「日本人の育成」を目的とする国家主義教育の確立、A資本の大競争時代に勝ち抜くための差別選別教育への転換、B権力による教育内容の支配強化、C教育労働者への管理統制を強め教育労働運動の解体をねらう、ものとなっている。
 
 教育基本法改悪の理由として最終答申は、「東西冷戦構造の崩壊後、世界規模の競争が激化する中で、時代は我が国の経済社会に否応なしに大きな転換をせまっている」とし、しかし国民はその事に立ち向うのではなく、「この試練の中で国民の間では…価値観が揺らぎ自信の喪失とモラルの低下」を生み出しているとする。そして教育に目を転じると、「子どもはひ弱になり、明確な将来の夢や目標を描けぬまま…規範意識や学ぶ意欲を低下させ、青少年の凶悪犯罪や学力問題が懸念され…深刻な危機に直面している」とし、したがって「このままでは我が国が立ち行かなくなるとの危機感を持って教育の在り方を根本にまでさかのぼって見直す」と宣言している。そして、「国際競争の激化、情報革命の進展、知識社会の到来…の中で、教育が国民の未来や国の行く末を左右する重要課題である」とし、「国家戦略としての教育改革」を打ち出しているのである。
 つまり一言でいうと教育基本法は、グローバル大競争時代を経済的・軍事的に勝ち抜く能力を持った国民の育成のために改悪されようとしているのである。このことを中教審答申は、はっきりと述べ、「国家戦略としての教育改革」を打ち出している。(これを明記して点では、教育改革国民会議の答申とはやや異なっているとも言える)。
 教育基本法は教育の目的を、「人格の完成」をめざし、「個人の価値」を尊重し、「平和的な国家及び社会の形成者」であることにおいている。それは、戦前の国家主義・軍国主義的教育の反省の上に立って打ち出されたものであった。
 しかし答申はそれをねじまげ、教育の目的を「人格の完成」と「国家や社会の構成員として有為な国民を育成する」こととしている。また「人格の完成」とは、「自己実現を目指す自立した人間の育成」であり、「生涯にわたって自らの能力を高め自らの得意とする分野に才能を」活かすことであるとする。つまり答申は、「科学技術を重要な戦略として位置付ける」という言葉からも分かるように、子どもを小さいうちから振り分ける差別選別教育を、大競争時代の要請に合せて実現していこうということに他ならないのである。
 さらに答申は、「教育基本法改正の必要性」として日本人のアイデンティティを強調する。「自らのアイデンティティの基礎となる伝統文化を尊重し、郷土や国を愛する心を持つことが重要である」として、「国を愛し、平和のうちに生存する権利を守ろうとする」ことが大切であると述べている。そしてこのことは、「教育基本法には明示されていない」と批判するのである。つまり最終答申は、教育基本法には愛国心を育てる国家主義教育が盛られていないと批判し、愛国心を「国民共通の規範」として法律で強制することが大切であるとしているのである。
 それとともに答申は、「公共に主体的に参画する意識や態度の涵養」という視点から「新しい公共の創造」について次のように記している。「生命や自由を守り幸福を追求するためには…社会や国という『公共』を作り…安全や権利を享受できるようにすることが必要」であり、「公共に主体的に参画したり共通の社会的なルールを作り、それを遵守する義務を重んずる意識や態度…が大切である」と。答申が言う「公共」への参画とは、国家戦略に主体的に参加し反対しない子どもを育て上げることを意味する。
 以上のように、教育基本法改悪は、愛国心教育・国家主義教育を実現し、子どもたちを戦争に駆り立てることをねらっている。そしてそれは、大競争時代の社会矛盾を愛国主義・国家主義教育で乗り切ろうと図っていることでもある。かれらは、在日朝鮮・韓国人、アジア人民への差別・偏見と闘い共生を進めるという教育課題など一顧だにすることなく、教育基本法改悪によって日本国家への「参画」を進め、戦争への道を突き進もうとしている。

 最終答申が、教育基本法に掲げられた目標である「人格の完成」を「自己責任で能力開発に励む人間」にすり替え、国家戦略に奉仕させようとしていることは、前述の通りである。
 答申はその事を実現するために、「二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」を掲げ、五つの項目を挙げている。その中で、大競争時代に勝ち抜く能力の育成を意味するものとしては、「自己実現を目指す自立した人間の育成」「知の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成」等三項目である。
 ここで答申は、「知の大競争時代に…繁栄を確保していくためには…基礎基本を習得し、それを基に創造力を伸ばし知の世紀をリードしていく人間を育成」する必要があるとし、「このため…多様な学習機会の提供が求められ…とりわけ大学の教育研究機能を飛躍的に高めていく事が重要である」と述べている。かれらは、教育を資本の大競争時代を勝ち抜くために利用する、この事のためにのみ教育制度の多様化や大学教育の見直しをしようとしているのである。
 そして「教育振興基本計画の考え方」として、「多様な才能を開花させ様々な分野で活躍する人材の育成…そのためには、職業選択なども見据えつつ各人のニーズに応じて」と述べている。つまり幼いうちから能力によって子どもの将来を決めてしまう差別選別の教育をすすめ、一握りのエリート集団とそうでない子どもたちに選別していこうとしている。「就学年齢の弾力化」「幼小・小中・中高一貫教育」「学校選択制」等も、そのために構想されているのである。
 東京都では、学校選択の自由をかかげ、父母が学校を選択するための指標として学力テストの結果を出身校別に発表したりしている。この一つの例を取っただけでも、教育基本法の改悪は、子どもを競争社会に投げ込み、子どもの心を踏みにじり、教育荒廃を一層激化させるものであることが一目瞭然である。答申には、一人ひとりの子どもの人権を尊重し、子どもの権利条約の精神を活かすという考え方などは微塵も存在しない。子どもの幸せを求める立場からも、教育基本法改悪を絶対に許してはならない。

 教育基本法第十条は、権力による教育への不当な支配を排除し、行政は教育諸条件の整備のみにかかわる事を明記している。これは戦前の教育の反省の上に書かれたものであった。
 これに対して最終答申は、「国と地方公共団体の責務について規定することが適当」と述べ、第十条に行政による介入の根拠を盛り込もうとしている。それに加えて、第十一条の「改正の方向」として「教育振興基本計画の策定の根拠を規定することが適当」と述べ、反動教育を法の強制のもとに実現しようとしている。それは、「全国的な学力テストの実施」、資本の要請する人材を獲得するための「成績評価の厳格化」、「教員の能力・実績評価による処遇」「習熟度別指導の実施」「奉仕活動、道徳教育の充実」等、反動教育のオンパレードである。
 そればかりではない。答申は、「教基法見直しを受けて学校教育法、社会教育法、生涯学習振興法、指導要領の見直しを行なう」と述べ、国家主義教育・差別選別教育を広く貫徹しようとしているのである。
 最終答申は、これらの反動教育を実現するために法的拘束力を実現するばかりでなく、教育労働者への攻撃を強めようとしている。「新たな教員評価システムの導入」「研修を通じた資質向上」「不適格教員に対する厳格な対応」つまり排除、「自主研修権はく奪」等は、教育労働者の運動を破壊し、闘う教育労働者の排除をねらうものである。平和教育を実践し「日の丸・君が代」闘争を担う人々を研修所送りにして現場から排除し、解雇しようとしている。東京都で実施されている「指導力不足教員」への対処制度は、まさにこの事の先取りである。

 教育基本法改悪はすでに述べたように、国家主義教育を推進する一方、教育に市場原理・競争原理を導入し、「競争と管理教育」を強化し、子どもを「できる子」「できない子」に早期から振り分けようとしている。そして「勝ち組み」「負け組み」に固定化される子どもたちをそれぞれに、国家の目的に従順に従わせようとしている。
 この中でとりわけ「負け組み」対策として、国家に差別されても「暖かい心・豊かな心」を持ち、ただ「実直に従う精神」を持った子どもを育成しようとして、現在、教育現場に『心のノート』が持ち込まれている。
 『心のノート』は、小学校一・二年生用、三・四年生用、五・六年生用、中学校用の四種類があり、きれいでソフトな絵や写真が盛りだくさん使われている。そして、一見自由に子どもに書き込ませながら、学習指導要領に沿った徳目が身に付くように誘導され、ついには「国を愛する心」「従順な心」が育成されるように編集されている。心理学の手法を使って子どもの心をマインドコントロールするものである。
 文部科学省は、十一億円もの費用をかけて『心のノート』を作成し、二〇〇二年三月末に全国の小中学生一千二〇〇万人に配布した。そして、同年七月には配布調査を実施し、〇三年二月には文部科学省が「教師に使用を強制できる」と強弁しているのである。
 今や『心のノート』は、「新たな修身」として使われようとしている。この『心のノート』には著者名も出版社も記されず「発行 文部科学省」とのみ記されており、一つの国定教科書として発行されているのである。私たちは、この『心のノート』に対しても闘いを組織していかなくてはならない。

 日本の教育を変え、日本の将来までも本質的に変えてしまう内容を持っているこの重大な攻撃に対して、日本教職員組合はどのように闘おうとしているのか。日教組本部は最終答申が出された三月二十日に次の日教組見解を発表した。
 @教育基本法は準憲法的性格を有していることから、そのあり方については広範な議論  を通じて国民的な合意形成をはかるとともに、国会に調査会等を設置し慎重に対応すること。A教育振興基本計画については、教育基本法の改正と切り離し、教育条件整備を推進するものとし、財源措置の伴った実効ある教育改革すすめるものとすること。B「公共」や「国を愛する心」をすべての人に強いるのは、憲法の「思想・良心の自由」に抵触する危険性がある。C改定の理由には根拠がない。
 このように日教組本部は、「改定すべきかどうか再検討すべきだ」「憲法に抵触する」という基調の弱々しい反論を行なっているに過ぎない。「反対」という言葉すらなく、むしろ後押しする内容となっている。
 日教組見解の@A項目はそのまま、日教組が五月から開始した「教育基本法に関する請願書」署名の請願事項となっている。国会に「調査会」を設置しても、憲法調査会の設置を見れば明らかなように、教育基本法改悪を促進するものにしかならない。また「教育振興基本計画」は権力の教育内容への支配に法的根拠を与えることがねらいであり、「切り離す」ことなどあり得ないことである。
 日教組はこのかん、この請願署名を連合内の組合に回すとともに、「教育基本法改悪案の国会提出反対」を掲げて集会などを設定してきたが、教育基本法改悪の攻撃の本質を暴露して全面対決する立場にはいぜん立っていない。請願署名の内容から見えてくるのは、屈服する路線である。八月二五〜二七日に都内で開かれた日教組定期大会は、教育基本法改悪の阻止、イラクへの自衛隊派兵阻止などを決議している。しかし、既定路線(教育改革での文部科学省とのパートナーシップ路線)のままでは、教育基本法改悪と本当に闘うことはできない。
 こうした日教組の現状に対して、心ある教育労働者は、「請願署名」中止せよ!の声を上げるなど、独自の教育基本法改悪阻止の運動をすすめてきている。また各県の教組では、広島県のように当局の弾圧や右翼のテロ攻撃にひるむことなく果敢に闘い抜いている仲間もいる。このような各地域・分会での闘いを組織し、連携し、日教組を闘う組合に高めていく努力がいぜん問われている。同時に地域の様々な運動と教育労働者が結びつき、戦線を拡大することが大切である。また、各地方議会で教育基本法改悪反対の決議を挙げさせる等、多様な戦術で運動を拡大することが求められている。
 教育基本法改悪阻止! ともに闘わん!