政局小評〕 民主党・自由党の合同に思
  情勢は「天下三分の計」求める

 私は、この合同を軽視してはならないと思う。
 この合同の背景には、米国を策源とする「朝鮮侵略戦争」問題と「経済改革」問題に突き動かされたわが国支配階級の深刻な内部亀裂の拡大がある。一方は、米帝への無条件的忠誠に活路を求める傾向であり、正念場となる朝鮮侵略戦争の際には正面切って参戦すべく準備を急ぎ、弱肉強食の新自由主義的経済政策が加速する社会の崩壊についてかえりみないで良しとする傾向である。他方は、米帝のグローバルな覇権を受け入れながらも、ヨーロッパ連合のように東アジアの共同体を形成する方向に活路を求める傾向であり、民族的な憎悪と不信を解消不能にまで昂じさせずにいない朝鮮侵略戦争の発動に反対し、社会の崩壊を住民参加の政治で弥縫していこうとする傾向である。いま我々が目の当たりにしているのは、こうした二つの傾向をおのおのの牽引的核とする二大勢力に収斂されていく体制側諸政党の政治再編に他ならない。
 そこでは、旧来の極右も、「親米派」と「民族派」への分岐を余儀なくされている。また社民党は、辻本逮捕という警察権力を使った党潰しに直面し、風前の灯の状態となっている。小沢は、菅に対して、社民党の吸収にもっと汗を流せとはっぱをかけている。日本共産党は、ソ連に代表された「官僚制国家資本主義」を目標とする綱領・組織路線の破産の危機から抜け出せないまま衰退するなかで、天皇制、自衛隊を容認するなどして、米帝―新自由主義と距離を置く上記勢力の一角に受け入れてもらう方向に展望を求めるが、そのことで党的団結の危機を醸成している。
 次の時代を見据え時代を画する政治再編が動き出しているのである。この時に際し、労働者・民衆の側も、新たな時代に適合した政治的陣形を構築していかねばならない。「天下三分の計」である。
 この間多くの共産主義者が、大きく変化した二十一世紀の現実を捉え、教条主義的傾向とたたかいつつ新たな質の運動を構築してきた。だが今や求められているのは、そうした流れをネットワークし、一つの政治勢力として登場せしめることである。とりあえずは、米帝と露骨な新自由主義勢力を主要な敵と定め、東アジア経済圏を構想し住民参加型政治を語る支配階級内の勢力とも必要に応じて連携しつつ、東アジアの平和と友好を確保・増進する中で労働者・民衆の自己解放への隊列を形成していくことになるだろう。
 われわれは、共通の戦略を練り上げていかねばならない。そして何よりもまず、長年の分散と停滞の中で知らず知らずのうちに染み付いた自己のサークル根性を払拭しなければならない。その意味では、民主・自由の合同における小沢一郎的決断は、左翼世界でも多かれ少なかれ問われているのだろうと思う。(M)