大阪・釜ヶ崎
 6・23藤井利明さん「お別れ会」
   遺志継ぐ思い全国から
 
 藤井利明さんの「お別れ会」は、釜ヶ崎日雇労働組合・釜ヶ崎反失業連絡会の合同葬として、大阪・釜ヶ崎の「ふるさとの家」で、六月二十三日午後七時より行なわれた。雨の中、午後四時頃より、「特別清掃事業」の仕事を終えた労働者が、次々と焼香に駆けつけた。藤井さんが反失業闘争で闘い取り、事業を立ち上げ、自ら指導員を務めてきた「特掃」の労働者だ。
 ふるさとの家に入りきれず、中之島の野営闘争陣地からの労働者が表で並ぶなど、約二〇〇名の参列者の中、お別れ会が開始された。
 「釜ヶ崎講座」の渡邉充春さんが司会をつとめ、まず全員で黙祷を行った。
 続いて、葬儀委員長を務める組合委員長・反失連共同代表の山田実さんが、藤井さんの生い立ち、釜での出会い、釜での闘いぶり、金町戦を闘い抜いた後の確信に充ちた顔ぶりのこと、釜ヶ崎の闘いの反失業闘争への転換を、そして勝ち取った成果の責任ある実施を、そして支援法制定への取り組みを共に闘って来たことをわかりやすく、紐解いてくれた。
 病気が分かってから、釜と外を結びつける役割を自らに課して病気と闘いながら奮闘した藤井さんの闘いを、そして体が動かなくなってそれが出来ず、「涙が出て仕方がない」と言う藤井さんに「しょうがないなあ」と言うしかなかったこと。彼を亡くし、彼の遺志を継いで闘うが、正直なところ彼の代わりは誰も出来ないだろうし、深い悲しみ、絶望さえ感ずると述べた。
 雨の中、立ち並ぶ中之島野営陣地の労働者の為、焼香を早めて開始した。焼香が続く中、九七年反失業闘争でセンター情宣活動中逮捕された時の、検察証拠のビデオが放映された。いかに権力が藤井さんの労働者への情宣活動・アジテーションを恐れていたのかが改めて感じられた。
 釜の仲間達からの挨拶。釜ヶ崎キリスト教協友会の吉岡さん、釜ヶ崎医療連絡会の大谷さん、協友会のマリアさん。いずれも、ふじやんから勇気をもらったこと、彼は労働者の立場に立ちきっていたこと、意志を継いで行きたいと述べた。
 彼が、釜を代表して共同して闘って来た関西の仲間達の挨拶に移った。関西共同行動共同代表で、彼の弁護も担当した中北龍太郎さん、釜日労の原点の関西新空港反対闘争から泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の小山広明さん、全労協大阪の前田さん、釜で常に議論し、釜ヶ崎講座が始まってからは講師として協力して下さった大阪市立大学大学院の島和博教授が、ふじやんの思い出を語る。
 NPO釜ヶ崎支援機構の沖野さんが、新宿連絡会や野宿者人権・資料センターなどの弔電を紹介した。大阪教育合同労組の特別執行委員の島田さんが金町戦の中での藤井さんとの出会い、底辺の労働者との結合、天皇制の課題を労働運動が持たなければならないことをよく訴えられたこと、教育合同の天皇制への取り組みの原点を作ってくれたことを話した。この間、釜ヶ崎講座に参加した山西さん、反天皇制ネットワークの吉田さん、そして釜の労働組合の一つ西成労働福祉センター労組の海老副委員長が、職員労組の立場からの釜の反失業闘争への連帯、取り組みを語った。釜へ仕事に来て活動に飛び込だ仲間の最古参の山内さんが、ライバルを失ったと痛切な訴えを語った。
 最後に再び、当該が挨拶に立った。釜日労の松本裕文さんは、ふじやんがセンターで釜の労働者が「づぼらや」で一杯飲める金が稼げるようにならんとあかん、仕事をして、寝て食べて生活出来るようにと、反失業闘争の基本を常に訴えて来たこと。そして釜の町がもっとよくなることをいつも訴えてきたこと、最近はリサイクル産業やアルミセンターを作れないかと常に労働者にわかりやすく、熱っぽく訴えていたことを忘れないと語った。最後に反失連の本田哲朗共同代表が、藤井さんが話していると労働者の眼が光っていたことを忘れないと思いを語った。九時過ぎお別れ会を閉じたが、労働者が、共同行動の仲間が残り、遅くまで語り合った。

6・24葬儀
  ふじやん釜から旅立つ

 翌日二十四日午前九時より、昨夜と同じくふるさとの家で、葬儀が行われた。
 葬儀には、お兄さん、お姉さん、おじさんなどご遺族が参加された。「花」の曲が流れる中、参列者が席に、今日も道路まで人が列ぶ。生田さんのオルガン演奏の中、本田神父が「キリスト教の施設で、聖書を読む形で宗教的な形を取るが、皆の思いで藤井さんを送ろう」と挨拶し、司祭献香が行われた。山田葬儀委員長が藤井さんの生い立ちと戦いの歴史を紹介する。参列者皆で黙祷する。弔電が読み上げられ、山谷の中村さん、寿の鹿児島さん、笹島の大西さんと日雇全協の仲間がお別れの言葉を述べる。解放塾の西岡智さんが共に闘って来た思いを語る。遺族の挨拶が行われた後、オルガン演奏の中、参列者が次々に
花を藤井さんの棺に献ずる。
 山田葬儀委員長がお礼を述べた後、組合旗に包まれた棺が仲間の手で車に運ばれる。ふるさとの家から商店街、三角公園まで雨の中、立ち並ぶ釜の仲間に見送られ斎場に旅立った。藤井さんの釜ヶ崎からの旅立ちだった。(関西Si通信員)