映評
  民主主義者が描く人間ゾルゲ
         篠田正浩 監督 『スパイ・ゾルゲ』
                主演 イアン・グレン 本木雅弘

 この六月、篠田正浩監督の『スパイ・ゾルゲ』が公開された。この作品は篠田監督の最後の作品との触れ込みと、二十年間の構想のの中で完成し、日本映画としては巨額の二十億円の制作費がかかったと言われている。確かにCG(コンピュータグラフィック)の多用など映像的な完成度の高いさには目を見張るものがある。三十年代の上海、東京の町並みの再現はCGならではといえるものがある。
 しかしながらこの作品が、有事法案が成立したこの時期に公開される意味も深く在るのではないだろうか。描き方自身は、篠田監督の政治性に規定されることは当然のことであるが、彼の民主主義者としての立場が貫かれた、好感が持てるものであった。
 共産主義者ゾルゲは、感情の起伏に富み、好色で、大酒のみの好青年として描かれている。ゾルゲが厳しい環境の中で成長し、共産主義者となる必然性も尋問シーンで語られているが、ごく普通の青年として描かれ、ストイックな共産主義者を描きたがる「リアリズム芸術」とはかけ離れた人物像に仕上がっている。このゾルゲとは対照的に尾崎秀実は、篠田監督の日本像、日本人のストイックさを体現しているように思える。
 「スパイ」「共産主義者」という言葉に付きまとうブルジョア側の陰湿なイメージ作りが(アメリカ映画によくあるが)、ここにはまったく見られない。反面、この映画を観た一部の仲間からはゾルゲ、尾崎秀実たちと、天皇ヒロヒトや軍部、右翼分子が映像の時空上、対当に描かれることへの不満を漏らす声も少なくない。しかしそれとて、この映画がドキュメント作品ではなく、おくまで民主主義者・篠田正浩作品であるということだ。
 この作品の底本となっているのは、秀美の弟、尾崎秀樹(ほつき)氏の『上海一九三〇年』(岩波新書)等ではないだろうか。秀美(ほつみ)は上海での朝日新聞記者時代、日本共産党には関係がなかったようであるが、すでに中国共産党との中西功らを介した関わりがあったようで、映画に描かれている尾崎像とは少し違っていたのではないだろうか。だからといって、この作品の価値が下がるわけではない。あくまで篠田監督の描く尾崎であるからなのだ。その上に立っても評者は、この作品へある種の感動を覚えざるをえなかった。(Ku)