東京
  3・21芝公園に5万、3・8日比谷に4万
  「やめよ戦争」の高揚

 開戦前の三月八日には四万人が日比谷野外音楽堂に、開戦後の三月二十一日には五万人が芝公園に集合し、都心で反戦パレードを繰り広げた。市民団体などで作る「WORLD PEACE NOW」実行委員会の呼び掛けに応え、子どもから高齢者まで、男も女も、そして家族連れで、また多くの外国の人が参加した。
 三月八日、会場の野外音楽堂の周辺も、会場に入れない参加者でいっぱいになる。ミニ集会や様々なパフォーマンスをやる人々、プラカードや旗を掲げてパレードの出発を待つ人々が、会場内の参加者とともに、開戦阻止への大きな意志を思いおもいに表現していた。主催者を代表して高田さんが、全世界の反戦運動に連帯して何がなんでもこの戦争を止めようと訴えた。午後三時四十五分パレードに出発。しかし一車線幅、一隊列二百人ほどに寸断する警察の規制によって、六時過ぎになっても野音周辺では出発を待つ参加者で身動きとれない状態が続く。それでも参加者は、日比谷公園から新橋、銀座、東京駅へ、色とりどりのプラカードをかざして「NO WAR」を叫び、にぎやかに反戦の意志を表現していった。
 三月二十一日、イラク侵略戦争の開始に抗議して人々が続々と芝公園に集まってきた。三月八日を超える人の波だ。一月十八日の日比谷野音に七千人、二月十五日の宮下公園に五千人が集まり、日本でも遅ればせながら勢いを現した反戦運動は、全世界と連帯した高揚の局面に入ったといってよいだろう。一人ひとりが自分たちの行動によって戦争を止めようと動き始めている。
主催者を代表して挨拶に立った星野ゆかさんは、「とうとう戦争が始まってしまいました。大きな悲しみと憤りでいっぱいです。何の正義もない。国連も認めていない。世界中が反対している。あるのはアメリカの欲望と欺瞞と思い上がりだけです。小泉首相には日本の首相としての資格がない。戦争を止めるために、戦争が二度と起こらない社会を創る為に、そして私たちが社会を変える力を持っていることを示すために、本気になって、全力で日本と世界に発信していきましょう」と訴えた。
 パレードは、銀座コースとアメリカ大使館周辺コースの二手に分かれて実施された。パレードが出発しても、最寄の駅から集会場への人の流れは途切れなく続いていた。
 米国ANSWER呼びかけの次の世界一斉行動は、四月十二日。東京では、「4・12イラクへの戦争をやめろ!国際共同行動」が、阪本町公園(茅場町駅下車)・午後一時で開催される。(東京M通信員)


関西
  3・23扇町公園に8000名
  米領事館へ抗議の波続く

 大阪では、北区の駐大阪・神戸米国総領事館に対し、三月十八日よりピースボートの約三十名がハンストを始めるなど多くの人々が戦争阻止のために押し寄せていたが、二十日、残念ながら世界の大反対の声を無視し、米英のイラク侵略戦争が開始されてしまった。
 同日夜、米総領事館前には約四〇〇の市民・学生が若者を主に続々と集まり、抗議行動を行なった。また午後六時には、大阪市役所横の中之島公園女神像前に、「しないさせない!戦争協力」関西ネットワークと、おおさかユニオンネットワークとの呼びかけで労働者・市民が結集、全港湾の三十分抗議集会や全日建連帯労組の二時間ストライキの報告を受けた後、総領事館に向かい若者達と合流、一時間余の抗議行動を闘った。
 翌二十一日も午前より、前二者の呼びかけで総領事館抗議行動が約百名で続けられた。この日、総領事館前には諸グループが続々と抗議に駆けつけている。また、おおさかユニオンネット等は、中之島公園の市役所側(釜ヶ崎反失業連絡会が野営陣地を据えている所)にテントを張り、二十四時間態勢の抗議体制に入った。
 神戸市でも二十日、神戸市役所前に約四〇〇人が開戦抗議のアピールを行ない、JR三ノ宮駅などでキャンドルアピールを行なった。翌二十一日には、中央区の東遊園地に約五〇〇名が結集、「戦争反対に声をあげよう」と三ノ宮センター街のピースウォークを行なった。
 三月二十三日、大阪市・扇町公園では、イラク攻撃反対・国際連帯行動の大阪での第四派行動として「アメリカのイラク戦争反対!日本の戦争加担を許さない!3・23国際連帯行動in大阪集会」が、しないさせない戦争協力関西ネットと大阪平和人権センター(元総評系の労組など)との共催で行なわれた。参加者は、これまで最高の八〇〇〇名になった。
 この3・23集会は、日本婦人会議の永末さんとしないさせない戦争協力関西ネットの除さんの二人が司会挨拶、全国五百余の戦争反対の地方議会決議を無視し、米国の戦争支持をいち早く表明した小泉政権を批判した。
 主催者を代表して大阪平和人権センター副理事長の東裕子さん(大教組)が、「イラクのことはイラクの人々が決めることだ。戦争反対に大きな声を」と挨拶。しないさせない戦争協力関西ネット共同代表の中北龍太郎さんが、「イラク攻撃は先制攻撃などと言うより明らかな侵略戦争で、石油を奪い、中東の支配を狙う戦争だ。戦争を止める行動を通し、二十一世紀の平和を創ろう」と挨拶。
 続いて自治労の蜂谷さんと箕面市議の牧野さんがアピール。牧野さんは、「相手の立場に立とう」という米国の十三歳の少女のメッセージを取り上げ、子どもたちと行動していこうと訴えた。参加者の二分間アピールとして、平和キッズの小学生、全交、韓統連大阪、関西共同行動、ピースボート、在日韓国人女性、アフガニスタン国際戦犯法廷、女たちのピースアクション、ピースウォーカーズの若者、ネットワーク地球村、吹田の中学生が
次々に登壇した。政党挨拶は民主党と社民党。
 全港湾の山元さんが集会決議提案、最後にユニオンネットの馬場さんが、「我々はベトナム戦争を止めさせた経験を持つ。戦争が始まったらしかたないというムードを打破し、この戦争を止めさせよう」と訴えた。
 集会後、米国総領事館への抗議のピースウォークを行なった。釜ヶ崎反失連も、これまで最大の二百名が参加した。
 さてイラク戦争の一方で、自衛艦が対テロ戦の後方支援と称してアラビア海へ派遣されており、また有事法制先取りの国内体制として港湾の軍事利用が進められている。3・23集会の当日、大阪港の天保山岸壁や中央突堤に五隻の自衛艦が入港した。昨年三月に初めて天保山岸壁に入港、九月にも強行し、また米第七艦隊旗艦も昨年四月に入港という大阪港への集中である。
 三月二四日、「大阪港の平和利用促進連絡会議」が主催し、天保山公園で入港抗議集会が行なわれた。大規模な反戦行動とともに、有事法制制定への地ならしの策動に対して一つ一つ反撃していく必要がある。
 連日、米総領事館への抗議が続けられる中、三月二八日には、しないさせない戦争協力関西ネットが全関西的に呼びかけて、総領事館包囲抗議行動が取り組まれ、約六〇〇名が二重三重に包囲し戦争中止を迫った。
 しないさせない戦争協力関西ネットとおおさかユニオンネットワークの二者は、今後、四月十五日の中之島公会堂での「戦争も雇用破壊も許さない!4・15関西集会」を中心に、毎週末に総領事館抗議行動や御堂筋デモを続けるなど、戦争を即時中止させるための行動を提起している。(関西S通信員)


盛況の3・15日韓連帯アクション ピースパレードには二千
 韓国の反戦反米と連帯し

 イラク攻撃反対への民衆の怒りは、新たな人々の心をつかんでいる。三月十五日には、日比谷野音の反戦集会(全労連などを主力とするもの)と同時刻であったが、東京・原宿の千駄ヶ谷区民会館に満員の人々(五百余)を集め、その集会後のピースパレードでは、二千名にふくれあがって、渋谷までNo・War!Yes・Peace!の声が沸きあがった。
 パレードの途中、道行く若者たちに反戦ビラを配るとほとんどの人が受け取り、パレード参加の訴えに応えて次々と隊列に入ってきて、ともに反戦の声を上げていった。このような光景は絶えて久しく、共通の怒りの中にも連帯の喜びを感じるものであった。
 集会は「イラクと朝鮮半島に平和を!ブッシュ・小泉の戦争政策を許さない!3・15日韓連帯アクション」と銘打たれ、沖縄・平和市民連絡会の新崎盛暉さん、韓国の「戦争反対平和実現共同実践」のチョン・スヨンさんからの講演などが行なわれた。
 まず新崎盛暉さんからは、ブッシュのイラク攻撃の目的については、中東・パレスチナ問題での野望であり、戦後のアメリカの世界戦略から位置付けなければならないとし、湾岸戦争以降から現在に到っているのであり、ブッシュによってアメリカ戦略が変化しただろうか、9・11直後に対イラク戦争を主張し、間接支配から軍事力による直接支配への転換を行なったという変化はあるが、と問題提起した。また日本政府は、アメリカに追随することだけが日本の安保戦略であるとしていると批判。また共和国(北朝鮮)問題では、ピョンヤン宣言で日朝関係改善への手がかりになるのではと期待されたが、日本政府は拉致問題やアメリカの主張する核開発問題だけを持ち出し、日朝交渉をぶち壊した。これら全ての問題は、国民世論・国際世論に基づき進めなければならない。東アジアの平和的将来を考え、共通の問題を抱える韓国民衆と手を結ぶことが必要である。日朝首脳会談は平和をつかみとるチャンスであったし、今後の日朝関係改善は日本がアメリカから相対的な自立をする可能性を秘めていると指摘した。
 チョン・スヨンさんからは、次の報告が熱く行なわれた。アメリカの横暴な戦争政策を韓国民衆は見抜いている。朝鮮半島で戦争が勃発すれば、朝鮮民族は滅亡する。そして東アジアの平和は無くなる。民族の自主権を守ることは、命を守ることである。アメリカは全世界の民衆に宣戦布告をしている。南北共同宣言以降、韓国民衆は、北を敵とは思っていない。朝鮮半島の危機は、アメリカが九四年のジュネーブ合意を破ったからであり、韓国民衆は核疑惑をそれほどとは思っていない。韓国の反戦運動は反米である。反米の無風地帯が反米の嵐に変わった。韓国では労働者も立ち上がっている。民主労総の副委員長も「人間の楯」となってバクダッドにいる。このように韓国民衆の反戦闘争の現況が報告された。
 イラク、朝鮮への侵略戦争を許さないという固い決意のもと集会を終え、パレードへと移っていった。
 この集会においてチョンさんからも指摘されたが、韓国ノ・ムヒョン( 武鉉)大統領は、太陽政策の継続をうたいながらも韓米関係が重要であるとして、反戦行動への規制を掛けてきている。
 そればかりではなく、イラクへの韓国軍の派兵を画策し、米帝のイラク侵略が開始されてから、二度の頓挫をしてから後も四月二日、国会で派兵同意案が賛成多数で通過させられてしまった。ノ・ムヒョン大統領は国政演説で「大統領として国民の安全を守り、戦争を防ぐ責任があるため、派兵を決定した」とし、同意を促がした。しかし与党・新千年民主党は賛否が真っ二つに割れ、親米派の野党ハンナラ党の力によって同案を通過させたのである。
 女子中学生殺人事件汎国民対策委員会、戦争反対平和実現共同実践などの韓国市民民衆団体は、派兵同意案通過阻止の闘いを国会周辺を中心に繰り広げてきた。機動隊との衝突により多数の負傷者を出している。市民民衆団体は、派兵阻止の大規模なデモを計画している。また、派兵に賛成した与野党議員に対しては、「落選運動」を展開する方針が表明されている。(東京Ku通信員)


DON'T ATACK IRAKQ STOP!有事法制3・21集会
 陸海空・港湾20労組も決起

 米英の対イラク開戦強行の翌日、三月二十一日には東京・芝公園の大集会など首都圏各地で反戦行動が繰り広げられた。芝公園とほぼ同時に開催された行動であるが、このかん日本の有事法制制定に反対する広範な共同行動の中軸となってきた陸海空・港湾労組二十団体の主催による「DON'T ATTACK IRAQ STOP!有事法制3・21集会」が、東京・日比谷野外音楽堂で取り組まれた。
 正午開場の日比谷野音には、戦争開始に怒りと不安の面持ちの五〇〇〇余の交通運輸・港湾労働者などが集まってきて満杯となった。
 集会では、主催者を代表して航空労組連絡会の内田妙子さんの開会挨拶、国会議員からは共産党、社民党、民主党の三党から挨拶が行なわれ、いずれも国際法違反の米英の戦争開始と、それを平然と支持する小泉政権への激しい怒りを表明した。民主党からは生方衆議院議員であったが、「皆さん、今回は安心してください。民主党はこの戦争反対でまとまっています」と挨拶して、会場の激励の笑いを誘った。(有事法制反対の課題では民主党主流は原則賛成であり、他方、このかん生方、横路、金田議員らは二十団体呼びかけの共同行動を支持してきた)。
 連帯挨拶は、日本弁護士連合会、全労連、全労協(メッセージ)、そして同日の宮下公園での全国高校生平和大集会(一千二百人)に臨む高校生などから行なわれた。また都の公務員労働者が職場からの決意表明、「戦争支持の石原都政を許さず、戦争加担の業務は拒否する」と宣言し、大きな拍手が沸き起こった。
 最後に、イラク攻撃反対、アメリカの戦争に協力させられる有事法制の廃案、「私たちは戦争の加害者になることも、被害者になることも拒否します」などの内容の集会宣言を採択したあと、銀座方面までデモ行進、戦争やめろ!いのちと安全を守ろう!と訴えた。
 この行動は、ここ数年有事法制阻止の前面に立ってきた陸海空・港湾二十団体が、有事法制とイラク侵略戦争との関連をふまえつつ、イラク反戦に起ちあがった行動であった。その結集も、JRの各労組、海員組合、全国港湾、航空連など交通運輸・港湾労働者、全建総連など建築労働者を主力としたものであった。戦争の矢面に立たされるこうした労働者たちが枠組みを越えて共同し、「加害も被害も拒否する」として起ちあがることは決定的に重要なことである。(東京A通信員)
 ≪付記≫なお、衆院で継続審議になっている有事法案についてであるが、小泉政権は、イラクの次は朝鮮だ、だから有事立法が必要だという類の世論操作を強めており、今国会での衆院通過を狙っている。これに対して、陸海空・港湾二十労組は当面、対国会闘争を強めつつ、六月には最大規模の大衆闘争を呼びかける予定である。米英のイラク侵略を即時中止させ、有事法案を今度こそ廃案に追い込もう。
     

 3・20米大使館開戦抗議に一千余
  封鎖・弾圧はねのけて

 米ブッシュ政権は、日本時間で三月二十日の正午近くに開戦を強行した。かねてからワールドピース・ナウ実行委員会や平和フォーラムの労組などは、不幸にして開戦が強行された場合、午後六時半にアメリカ大使館前に集合して弾劾行動を行なうことを呼びかけていた。すでに、ブッシュが「最後通告」を行なった十七日以降、虎ノ門の米大使館前では日増しに人々が「戦争やめて!」と押しかけ、ピースボートの若者たちによるハンストなども行なわれていた。しかし一切を無視し、戦争機械は動き出した。
 この日、通信員が早めに虎ノ門に行ってみると、アメ大への通りに警官隊が陣取っており、不法・不当にもそれ以上歩道を進むことを阻止されてしまった。わたしの抗議に対し警官隊は「記者証を見せろ」とかデタラメを言っていたが(ここも戦場か?)、歩道を封鎖する何の法的根拠も示せなかった。
 阻止された諸団体が、すでに開戦弾劾行動を行なっていた。緊張した雰囲気のなか夕闇が迫ってきた頃、ワールドピース・ナウなどの抗議行動も権力の阻止線の前で始まった。どんどん駆けつける抗議の人々が増えてきて、全体で一千人ほどになった。この過程で、何回か阻止線ともみ合いになり、四名が不当逮捕された。強く抗議する。
 弾劾集会での、ピースボートの報告によると、午前中アメ大前から強制的に排除され、ほどなく開戦の報となったという。ブッシュ政権から直前に連絡を受けた小泉政権が、あわててアメ大前から人々を一掃させたというわけである。パシリの小泉、恥を知れ。
 なお、不当にも威力業務妨害で逮捕された四名は、月末現在でいぜん勾留中であるが、学生らによって「3・20反戦青年救援会」が結成され(連絡先・救援連絡センター)、即時釈放を要求して闘っている。(東京F通信員)
 

沖縄
 3・15、4・13と沖縄県民大会の怒り
 イラク・朝鮮への侵略基地許さず

 三月二十日、浦添市の米総領事館前。平和市民連絡会の会員らは午前中から、取るものも取らずに次々と馳せ参じた。
 夕刻、開戦抗議集会は閉じたが、そのまま、イラク訪問団員でもあった平良夏芽牧師がハンストに入った。彼は、平和センターの3・30第一ゲート集会の日まで、十日間ハンストを続けた。通りがかりの多くの人が応援者となった。
 平良牧師の行動を継いで、場所を那覇・県民広場に移して、平和市民連絡会が翌3・31から4・6まで二十四時間一週間の座り込みに入る。
 開戦強行の翌二十一日、平和市民連絡会は国際通りデモ。平和センターはカデナ基地第一ゲート前に結集。この後者の行動は、これまでの平和センターの動員からは考えられないほど見事なものであった。迅速かつ、参加者も数倍の六〇〇であり、組合員大衆の自覚的な反戦の気持ちを受けとめることに成功した。
 高校生の動きも注目される。与勝高校は、反戦の意思を伝えるべくニューヨークへ舞踏団を派遣した。球陽高校は、NO・WARの人文字を創作した。若い人々は、「こぶしを突き上げる」「デモをする」に抵抗を感じながらも「何かをしなければ」という思いから、イラクの路上写真展などに取り組んでいる。大人たちは、高校生の表現の自由を保障するために、もっと力を入れるべきだろう。
 市町村議会も、遅れを取るなと次々に「反戦決議」を挙げている。他方、稲嶺「県政」は米軍・日本政府との距離を取り繕うのに懸命で、司令官ファーゴに「一日も早く終結を」「県民は戦争に反対」と口頭で伝えた。
 開戦強行の前、中部地区労等による「とめようイラク攻撃3・8住民集会」に一〇〇〇名。三月十五日には、「STOPイラク攻撃!戦争を許さない沖縄県民大会」が那覇・与儀公園で開かれ、五五〇〇名。これらの行動は従来の社共共闘型ではあるが、明らかに新しい性格も含んでいる。組織労働者と市民運動との実際上の連帯が芽生えつつある。
 連合沖縄は県民大会に、組織的不一致と欠陥だらけの方針をぶらさげて、間一髪で乗ってきた。連合の「国連決議なき武力攻撃反対」とは、魂の入っていない「反戦」である。ふらふらせざるを得ない。
 四月十三日には、二回目の県民大会が開かれる。4・12世界一斉反戦行動と手をつないだ侵略即時停止のための重要な闘いとなる。
 沖縄民衆は、沖縄戦の惨たらしさを振り返りつつ、また沖縄を侵略基地とした爆撃に心を痛めながら、誰よりも強く戦争即時中止を訴えていく。そして、「イラク」とともに、いやそれ以上に「朝鮮半島」が気に懸かって来る。
 小泉政権はイラク攻撃を利用し、北朝鮮攻撃キャンペーンを連日やっている。ブッシュ支持の言い訳のみならず、日本政府は本当に北朝鮮を空爆したがっていると思わざるを得ない。この事態で、ヤマト人と沖縄人は同じではない。かって朝鮮人と沖縄人は同質の民族差別を受けたし、また朝鮮空爆の実行部隊たるカデナ空軍を抱えている。朝鮮半島の平和は、沖縄人の民族的生存そのものに関わっている。日本政府の反動キャンペーンに抗し、沖縄人は朝鮮半島・東アジアの人々と話し合い、手をつながねばならない。
 「イラク戦争」反対の高まりを、日米の「北朝鮮戦争」阻止への力としても発展させていくことが必要だ。(沖縄T通信員)

北海道
 
全道各地で自主・自立の反戦
 
非核平和条例運動が基礎

 米英軍のイラク侵略攻撃が開始されてから十日間が経過しようとしている。当初の「早期攻略」戦略が大きく崩れ、長期化を呈する情勢となり、おびただしい民間人の子供、老人が犠牲となっている。
 その行為そのものは侵略以外の何物でもなく、「イラク解放」「民主化」の大義は根底から崩れ去り、「侵略者・米英帝国主義」そして「戦争屋ブッシュ」への憎しみが増すばかりである。いまや、米国の多国籍資本の代理人として振舞うブッシュ政権の本性は全世界の民衆が知りうるものであり、その意味では、全ての民衆を敵にまわしたといえる。
 この侵略者を支援する日本政府・小泉政権は、日本の忌まわしい戦前のアジア侵略の歴史を教訓とすることなく、「加担」から「加害者」の立場へと移り、イラク民衆のみならず、アラブ全民衆を完全に敵にまわしている。この行為は朝鮮戦争による戦後復興と高度成長、そしてベトナム戦争でも戦争特需で繁栄を謳歌してきた事実を忘れ、三度繰り返すことであり、他国の民衆の血をもって自国の「平和」をあがなうという卑劣極まりない「加害者・国」になることを決して認める訳にはいかない。今、イラク戦争を即時停止させるのは、世界民衆の反戦の声であり、行動である。
 北海道では、全世界的統一行動日の1・18、2・15、3・8と連続して、各地でイラク攻撃に反対する市民集会が開催されて来ている。組織に依存しない自主・自立的な運動の広がりは宗教者、高校生などを隊列に加え、党派、労働組合を乗り越えた運動として展開されている。とくに札幌、小樽、函館、室蘭などでは、非核平和条例運動を進めてきた市民団体が中心となって運動が進められ、大きなうねりとなっている。地方自治体選挙のみにうつつを抜かしている労働官僚の無指導を批判しつつ、市民集会へ合流する労働組合、労働者も増して来ている。
 3・29には札幌一六〇〇名、函館二〇〇名、小樽でもと、開戦抗議・戦争中止の集会・デモが連鎖的に世界的行動と連携して取り組まれている。とくに、これらの地域は、非核平和条例運動が戦争政策を押しとどめる一つとして運動の高揚を図ってきたことから、今の日米の政治手法、さらには有事法制が制定されたとき、非核平和条例が空文化する恐れがあることへの危機も運動の広がりを作り出している。
 侵略への加害者にこれ以上ならないために、全国で運動を広げよう。そして、イラクの空に平和を取り戻そう!(北海道M通信員)

東海
 名古屋で千五百、四日市、津でも
 広がる自前の行動

 三月二十日、米英軍がイラク侵略戦争を強行した。
 三月二十一日。三重県四日市市の主婦が呼びかけて行なわれた市内ピースウォークには、二〇〇人もの人びとが集まった。それぞれが作ったプラカードや、ゼッケン、Tシャツなどに米英のイラク侵略に抗議する思いのたけが書き込まれている。
 午後二時、四日市市公園にさんさんごご集まった人達が大きな輪をつくった。主催者が、「いま、なんとかして戦争を止めなかったら地球はきっとこわれちゃうよ 」と発言したのを手はじめに、参加したそれぞれが思いを主張した。三〇人も集まれば、と思って呼びかけられた集会に、二〇〇人もの人が集まった。繁華街の歩道を色とりどりのゼッケンをつけて、米英のイラク侵略戦争反対の声をあげて歩いた。小さな子どもたちも親といっしょに声を上げて歩いた。街の人でも、途中からピースウォークに参加する人もいた。
 三月二十三日。津市では、「市民講座21」の人達が、沖縄で米軍基地に反対し活動を続けている市民運動家・秋山勝さんの講演会を開いた。秋山さんは、今年一月にイラクを訪問し現地の人びとと交流してきたことを、ビデオや写真パネルなどで紹介した。話の中で、いまバグダッド空爆のニュースが流れており、先日会ってきたイラクの人びとが無事でいるのか心が痛むと発言した。
 秋山さんは、米英が問答無用のイラク攻撃をもくろんできた中で、これに対抗する勢力として世界の反戦の市民の動きが登場しつつあること、フランスやドイツなども、世界の反戦の市民運動の高まりに後押しされて、イラクへの武力行使に反対し続けることができたのだ、ということを発言した。
 アメリカを中心とした新自由主義の強引なやり方に対し、対抗しうる勢力がなかなか見あたらない重苦しい状況のなかで、世界の市民運動が反戦の声をあげて動き出したことは大きいと思う。いま始まったばかりのイラク侵略戦争に対して、自分の出来る身近なことで反対の意思表示をすることの大事さを実感した。
 同じ三月二十三日、名古屋市の白川公園では、「有事法制反対ピースアクション」の主催で、イラク侵略戦争に反対する集会、デモがおこなわれた。一五〇〇名の人びとが結集し、大きな力を示した。白川公園から出発したデモは、長蛇の列をつくって名古屋の繁華街・栄の目抜き通り通り抜けた。途中、飛び入りでデモに参加する人も、あちこちで目についた。
 市民が発言し、それぞれの思いを胸にもって、出来ることから自前の行動に訴えはしめている。大きな変化のはじまりではないか、という感じがする。(東海 S通信員)


滋賀
 草津、大津せ枠組みこえ
 駅前は解放区状態

 滋賀では大津市で、「党派系列」の枠をこえた平和を願う市民グループが共同で、二月十五日、三〇〇名でピースウォークを取り組んだのを皮切りに、三月八日、十五日も、三〇〇〜四〇〇名の結集で、連続した平和行動に取り組んできた。
 三月二十日、草津市では、アメリカによるイラク侵略戦争突入に抗議し、午後六時から、JR草津駅前広場に続々と市民が集まり、誰彼となくビラを配り、署名を集め、マイクを握って、戦争反対をアピール。制服姿の高校生たちは平和の唄を歌い続け、アメリカ人女性は飛びこみで「ノー・ウォー」と声をかけながら、ビラを配る‥‥。共産党系の市民団体が、「百万人署名運動」のビラを配り、署名を集める光景も。最高時には、一〇〇名近い市民が、駅前広場を解放区状態に。
 そして、三月二十三日、大津市内で、四度目の「ピースウォーク・イン・滋賀」を、三〇〇名で貫徹した。三井寺の福家長吏や堅田教会の川端牧師など宗教者、平和団体、女性団体、県内各地からの参加者が、強く米英の開戦に抗議した。「米英軍のイラク攻撃をただちに中止させ、小泉首相の戦争支持を撤回させよう」とのアピールを採択し、市内をデモ行進した。 (関西A通信員)


京都
 
3・23御池河原に五千
 
歩こう世界の人々と

京都では、「イラク攻撃をとめよう。〈歩こう 世界の人々とともに〉京都実行委員会」が、世界同時行動の三月十五日、再び京都市役所前で反戦行動を呼びかけ、約四〇〇〇人が参加した。
 集会は、参加できなかった歌手の加藤登紀子さんらの連帯メッセージの紹介をはじめ、同じく歌手の高石友也さんが「イマジン」を歌うなど参加者を激励。また、京都弁護士会会長の田畑祐晃さんらがトークで反戦を訴えた。
 同実行委員会は、アメリカのイラク攻撃が始まった三月二十日には四条河原町で抗議行動を展開し、再び三月二十三日には御池河原を集合場所にしてピースウォークを開催。この3・23には前回を上回る約五〇〇〇人が参加して、「戦争即時中止」や「日本は戦争協力をやめよ」と声をはりあげて反戦を訴えた。二キロのデモコースは、参加者で埋まった。 さらに三月二十八日には、関西の仲間たちと大阪にある米国総領事館の包囲抗議行動を共にたたかった。そして同実行委員会は、さらに三月三十日、同じ御池河原でピースウォークを呼びかけ、集まった約三〇〇〇人が花見でにぎわう円山公園まで歩いた。
 なお、同実行委員会は、四月五日、四月十九日にもピースウォークを準備している。(関西D通信員)


福岡
 反戦の輪は侵略開始以降にこそ
 
近郊の町々へも拡大

 米英のイラク侵攻の危機が迫った三月十五日以降、福岡でも反戦の様々な取り組みが行われ、二十日の侵攻開始以降その闘いの輪は確実に拡がっている。
 十五日にはバグダット行動・沖縄派遣団の報告集会が開催され、平良夏芽牧師(日本基督教団沖縄教区うふざと教会)が報告。同日、市民運動グループを中心とした四十七団体四百人が集まり、米領事館への抗議・申し入れ行動を行う。全労連傘下の地区労連も独自に集会・デモを行い三百人が結集。
 翌十六日には「女性たちのデモ」に二百五十人が参加。他にも新たに二つの市民運動が生まれた。一つは七十歳になる山下尊子さんが一人で企画した「非戦の傘」。傘に反戦のスローガンを描いて街頭を歩くもので、初めての試みにもかかわらず百五十人が参加。もう一つの取り組みは若者を中心とした平和運動グループ・ピースボート福岡に全共闘世代の中年たちが協力して起こした「ピースアクションふくおか」の行動である。夜になるとこれも若者たちが中心となって公開Eメールを駆使して様々な市民運動を手掛けている「CHANCE!福岡」が、ロウソクを灯しての反戦行動・ピースキャンドルを開始。
 十八日には連合福岡の集会・デモに千人の労働者が参加。同日夜からはピースボート福岡のメンバーが米領事館前で四十八時間耐久座り込みに突入。
翌十九日からは市内中心部の警固公園と米領事館前の二カ所で若者を中心にピースキャンドルが同時並行して開始される。
 イラク侵攻が開始された二十日からはこれらの様々な取り組みが入れ替わり立ち替わり、あるいは共同行動として連続的に行われるようになる。
 これまでの取り組みは市内中心部での行動であったが、侵攻が始まると生協などが中心となって郊外でも抗議デモが行われるようになる。福岡市近郊の人口5万人の古賀市では予想を超える三百人が参加。
 二十二日の朝刊には自治労県本部が全単組の委員長の連名でイラクからの撤退を求める全面広告を掲載。賛同の反響が県本部にEメールなどで数多く寄せられる。
二十三日には「非戦の傘」の行動に「ピースアクションふくおか」が合流し、参加者は三百人以上に昇る。次週以降は共催で土曜夜の領事館前の「光の輪で包む」非戦行動と日曜昼の「非戦の傘」行動が予定されており、
反戦の輪は確実に拡がりつつある。(九州M通信員)