沖縄からの通信

 沖縄いらく派遣団の成果を活かし

 開戦阻止する民衆の力へ

  
  2・22イラク報告集会 

二月二十二日、「イラク派遣団報告集会」が平和市民連絡会主催で行われ、那覇市民会館に約五〇〇名近くが参加した。
 十一月から今年二月までの沖縄でのイラク攻撃反対の一連の行動は、派遣団の行動を中心にしたものであった。十月の集会で、秋山勝氏が「バグダッド行動」を提案し、十一月に本決まりになり、それからは目まぐるしい動きがあった。
 数度にわたる県民広場でのアピールと国際通りデモ。12・15カデナ基地包囲自動車デモ。12・23カデナ第一ゲート行動。一月十二日に派遣団の県民へのアピール(記者会見)。一月十三日派遣団出発。1・18世界一斉行動呼応の第一ゲート行動。2・15第二波世界一斉行動呼応の第二ゲート行動(沖縄市)等々。
 小さな沖縄の小さな市民運動が健闘している。社共時代さめやらぬメディアも、いこじなまでに沖縄戦を原点にする彼らの運動を理解するようになったのだろうか、メディアの受けもいい。民衆の共感を形成し、新しい展望、可能性をひきよせているのだろう。
 2・22報告会は、島田正博団長はじめ全七名の登壇があって、一人ずつの報告がなされた。秋山勝団事務局長のナレーションによるビデオ映写が行われた。
 ヨルダンからイラクへ入る数百キロの砂漠の道。劣化ウラン弾被曝者病院での白血病、遺伝子の病の被曝者訪問。市場での子どもらとの会話。まよなかしんやさんのギター、イラク市民とのカチャーシー。児童園でブルカの老女性教師と踊り、抱擁する秋山さん。豊見山雅裕さんの車イスを押すストリートチルドレンのマブニ少年(六〜七歳)。
 一回目の爆撃で分厚い鉄筋コンクリートに丸い穴をあけられ、二回目でレーザー照準によりその穴の中へミサイルを撃ちこまれ、高熱によって四〇八名の市民の命が焼きこがされたアメリア・シェルター。ムスタン・シーリア大学で「戦争は天から突然やってくる」と話す女子学生。
 ドイツその他からのイラク訪問団との共同アピール。注目の的となった沖縄の団。団の映像とオキナワを紹介するイラク国営テレビ。島田団長に別れの抱擁をかわす看視員。団の人びととイラク市民との感情のかよいあう様が、観ている私たちに伝わってくる。涙ぐんでいる人もいる。
 集会では続いて、名護の「ジュゴンの家」の訪米団による、ワシントン1・18行動参加のビデオ映写も行われた。
 その後、池澤夏樹さん、喜納昌吉さん、鉢嶺元治さんらの連帯あいさつで報告はしめくくられた。
 
  女性らはハンスト

イラク派遣団については、もう一つの報告が必要であろう。団の一員である平良夏芽氏のお母さん・悦美さんが、金城京美さん、桑江テル子さんらと共に、団が帰島する二十一日までの九日間、浦添市の米総領事館前で、イラク攻撃反対のハンガーストライキをやったことだ。米総領事はもう一年近くも、「金曜集会」の女性たちによって抗議を受け続けている。
 また、バグダッド行動と同時的に、由井晶子さんら女性を中心とする「緊急声明『止めようイラク攻撃』実行委員会」は、芸術家・作家・ジャーナリスト・大学人・市民ら四〇〇名が超党派的に連名して、運動の大きな盛りあがりをうながす「緊急声明」を二月十四日に発した。
 
  2・15カデナ行動

二月十五日、世界一斉行動第二波の日、平和市民連絡会は米軍カデナ基地第二ゲート(沖縄市)で集会・デモ。ここは元米軍基地街、コザ暴動の地である。
 イラク派遣団帰島後の運動スタイルの激変を感じる。アラブのターバンスタイルがあり、ジュゴンの子ども様のものを背におぶっている人もいる。シュプレヒコールも「ブッシュ・シャロン・テロリスト」と明快、核心を突いている。時代と共に「ヤンキー・ゴーホーム」から「米軍基地NO!」に変わり、今また新しい言葉が生まれている。間接的な表現が直接的な「ブッシュ」「シャロン」に変わっている。これは誰にでも理解できるし、核心も突いている。全世界的な市民運動は、発想の転換をもたらしたのだろうか。
 国連安保理の中継――ドイツの巧みな議事運営、シリアの大胆なイスラエル二重基準の非難、フランスのシニカルな提案、うろたえるパウエル。メディアを介して、かれらの外交舞台とも直接会いまみえるようになった沖縄人の私たち一人ひとり。様ざまな関係が、わが人智に作用しているようだ。あきらかに柔らかくなったデモを、にこやかに迎えている市民。市民のあまねく連携で運動を発展させたいものだ。なぜヨーロッパ各地やワシントンのように、それが成しえないのか。
 
  2・23「一坪」総会

報告集会の翌日二月二十三日、今日は一坪反戦地主会の二十一年目の総会。やばい、からだと仕事がパンクする。かれらの健康な体には感心する。だが、こういうムリは立ちどまって反省しないと、ツブレになる。
 わたしの感じるところ、「一坪」と「市民連絡会」はダブっている。「一坪」は古いという印象があるが、年配の人びとから精神的な強い支持を受けている。市民連絡会は、機能性、将来性を持っている。
 総会でも会員は、「一坪」は陰にかくれて見えなくなった、と言う。数名が同じ指摘、やはり皆そう思っているのだ。「ダブリ」について論点未整理のまま、議事進行する。分厚い議案書に比して、討論時間が極端に短い。会員はあせりを抱いている。いくつかの提案、質問も挿入される。若い事務局長・本永春樹氏は誠実に答弁しようとする。古い前事務局長が登壇し、「答弁しない」と言う。役員も会員もここでは皆同じ比重だから、答弁してもしようがないことを皆知っているので暗黙の了解となる。時間不足で、せっかくの岡本氏や有銘氏や石川氏の言が聞けない。論議不十分の印象である。
 しかし、 「一坪」の本来活動として反戦地主を支えること。次回四月十五日の地裁行動。併合裁判の検討。 十一項目の活動指針。 六〇〇万円規模の予算。 役員体制を決定し、市民運動の幹たる地位を占めるべく、新しい二〇〇三年の「一坪」を確立して終了した。

  3・15イラク攻撃反対集会へ 

さて、イラク派遣団は帰島後、学校、団体その他から講演を多く頼まれなどしており、その影響力は長く続くだろうが、二月で基本的には締めくくりとなるだろう。かれらの果たした役割は、ばく大である。三月に入れば、より広がった運動の展開が企図されている。   
 三月八日、「とめようイラク攻撃3・8住民集会」が、沖縄市民体育館広場でもたれる。中部地区労の主催であるが、平和市民連絡会、沖縄市実行委(有銘政夫世話人)、具志川市実行委(照屋寛徳世話人)の三団体が連帯催に入る。
 三月十五日、「STOPイラク攻撃 戦争を許さない沖縄県民大会」が、那覇・与儀公園または北谷町美浜球場広場で開催される(三月五日に実行委結成)。これは、平和センター、統一連、平和市民連絡会、NGOすべての武器を楽器に(喜納昌吉)、北部地区労、中部地区労、浦添地区労、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、心にとどけ女たちの声ネットワークの九団体による呼びかけとなっている。
 反基地闘争の中心、中部での3・8行動。広範な取り組みとなり、また第三波世界一斉行動が米ANSWERから呼びかけられている日でもある。3・15の県民大会。イラク攻撃の出撃拠点・沖縄での注目されるべき闘いである。大成功させ、イラク開戦を阻止しよう。(T)