東京1・18

「WORLD PEACE NOW」に7000人

   若者が反戦の前面に


 一月十八日の世界同時反戦行動は、反戦運動の世界的台頭を示すものとなった。日本では、東京・日比谷公園での「WORLD PEACE NOW1・18わたしたちはイラク攻撃に反対します」の行動に約七千人が参加した。これを最大規模に、札幌、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、沖縄などなど全国各地で反戦行動が展開された。
 この1・18日比谷の行動は、三十三の市民団体の呼びかけに多くの諸団体・労組・個人が合流したもので、日比谷小音楽堂でのピースコンサートの後、銀座方面へピースパレードを行ない、午後五時より野外大音楽堂で集会を行なった。
 集会では、このかんイラクを訪問した各市民団体の人々などが、民衆交流の体験に基づいてイラク民衆を殺させるな!の強い声をあげていた。「人間の盾」になるため、これからイラクへ行く市民もいる。「爆撃の後の復興支援? そんな運動ではなく、戦争を止める市民運動でなれればだめだ」と、NGO運動家は叫んだ。
 また田中優さん(未来バンク事業組合)、朴慶南さん(エッセイスト)、松崎菊也(戯作者)などが発言した。田中さんは、「イラク攻撃は、カネ・エネルギー・軍需のための戦争だ。米国の軍需は四十八兆円、全労働者の五%が雇用されている。戦争なしにはやっていけない国になっている」と、米国の軍国主義を糾弾した。朴さんは、「異常な反北朝鮮宣伝の高まり、有事立法、日本は戦争をやろうとしている。わたしたちの民族は日本が怖いです」と、日本人に警鐘を鳴らした。
 この日の行動は、このかん反戦行動で重要な役割を果たしている宗教者のみならず、民衆の国際交流や援助活動に関わる国際NGOや、国際的連携を持った環境団体などが大挙して反戦行動に登場してきたことが特徴となっている。これらの団体は、労働組合に比べて若者が圧倒的に多い。そして現代の若者は気軽に海外を行き来する。1・18での若者の多さは、日本でもこうした広範な若い社会的層が、イデオロギー的にではないが実感的に、米国を中心とした世界支配秩序への拒絶と抗議に向かいつつある傾向を示しているように思われる。
 流れは変わりつつある。社会主義の挫折を味わった古い活動家は、頭を柔軟にし、新しい流れに対応できなければ立ち遅れるだろう。戦争ではなく平和を! しかし唯平和であればよいのではない、平和とはどのような平和でなければならないのか。経験あるマルクス主義者は若い人々と共に、それを追究する責任があるだろう。可能性と課題を示した1・18であったように思う。(東京W通信員)


 
 関西1・18

  大阪、京都、神戸など各地で

   創意工夫ある諸行動


 一月十八日、米国反戦団体ANSWERの呼びかけに呼応し、関西でも種々の取組みが行なわれた。
 神戸では、カトリック神戸社会活動センターの神戸ラブ&ピースが中心に、諸団体によりANSWERの戦争反対国民投票と日本政府への反戦市民投票が、新年明け六日より始まり、街頭活動と、当日の投票集約活動が行なわれた
京都では、「イラク攻撃をとめよう。歩こう 世界の人々とともに」京都実行委員会が、京都の広範な層を集めて作られ、午後、京都市役所前で集会を行ない、市民へ訴えた。夜は三条大橋で、「キャンドルビデル」(お通夜を意味する)が、百名余りで取組まれた。 大阪では、数々の屋内・外の取組みが行なわれた。釜ケ崎反失連が対市・野営テントを張りめぐらしている真ん中にある中之島公園野外音楽堂で、Youth・Peace・Walkersの呼びかけによる1・18DO・NOT・ATTACK・IRAQ/Youth・Peace・Walkが三百名余を集めて行なわれた。呼びかけの本体は、この間、若者を中心に反戦の呼びかけを行なってきたRAFIQなどの市民グループが若者たちのグループと企画・呼びかけたもので、集会は、ダイ・インのあと前述呼びかけ団体の他、ピースボート、Global・Peace・Action、パレスチナの平和を考える会等がアピールを行ない、二時過ぎより大阪駅前まで行進し、途中アメリカ総領事館前で「イラク攻撃をやめて」と訴えた。
 同じ野外音楽堂では午後四時より、アジア共同行動やJPM90等による実行委員会主催の労働者・組合を中心とした集会に一五〇名が集合し、アメリカ総領事館への行動が取組まれた。夜はエルおおさかで、「私たちの日常と戦争〜九・一一以降の世界と加速化する監視社会」と題した講演集会が七〇名余で行なわれた。大阪女子大学教員の酒井隆史さんが、「現在の状況はブッシュの戦争・一握りの資本家と世界支配グローバリズムの戦争、メディアの扇動などの特徴」を話した。
 また、当日夜の高槻では、「劣化ウラン弾」の実態を考える講演集会が取組まれた。
 関西では統一した大きな集いではないが、若者、女性が自発的な反戦への意志を創意工夫した形で表現する取組みが中心となった。 (関西D、M、H通信員)


 
京都12・23

 天皇誕生日の「祝日」を糾弾!

  戸籍・住基ネットの本質を問う

           2・11には、イラク侵略と日本参戦を問う集会


 京都では、部落解放同盟、部落解放共闘、市民・宗教団体らで組織する天皇制の強化を許さない京都実行委員会の主催で、昨年十二月二十三日、「天皇誕生日の『祝日』を糾弾する京都集会」を京都府部落解放センターで開催し、約一八〇名が参加した。
 同集会では、国家による住民管理を批判し続けているフリーランス・ライターの佐藤文明さんが、「皇軍狩り出し台帳としての戸籍・住基ネット」と題して講座した。
 佐藤さんは、次のように述べた。「戸籍は公地公民意識に支えられた皇民簿であった。それは天皇制のイデオロギーを支えるとともに、人々を『家』の序列に組織し、はみ出す者を切り捨てた。戸籍支配が限界を迎えながらも死守しようとしているのは、この国体を維持したいためである」。そして、「六〇年代から政府・与党の模様見の中で迷走した『国民総背番号制』が住基ネットに決したのは朝鮮有事が現実化したためだ。住基システムをこのまま許せば、内務省全盛の時代を招くことになる。これに対する抵抗は政府・自治体の中にもなくはない。多くの人々も、強引な導入を前にして、不気味なものを感じている。こうした国民統合を許さない活動を、でき得るところから始めよう」と、住基ネットの反対運動を訴えた。
 講演後、活発な質疑応答が行われ、会場からの発言で米国のイラク侵略戦争に反対しようとの呼びかけを受けて集会を閉じた。
 また、同実行委員会は、二月十一日午後一時から京都会館会議場(京都市左京区岡崎)で、「『紀元節・日の丸・君が代』とたたかおう2・11京都集会」を開き、「戦争の時代の有事立法と天皇制」(─アメリカのイラク侵略戦争と日本の参戦を問う─)と題する講演(講師は「派兵チェック」編集者・池田五律さん)と、京都市役所前までのデモンストレーションを行い、反戦・反天皇制を京都市民に訴える。 (関西D通信員)

 

三里塚闘争2003年旗開き

  全国の反空港闘争拡大へ

   ついにオーバーラン事故!暫定滑走路の使用中止せよ


 一月十二日・正午過ぎから、三里塚芝山空港反対同盟の2003年旗開き・暫定滑走路使用即時停止!集会が、現地・横堀研修センターで開催され約七十名が参加した。
 現闘の人達を中心に準備の人々が、ビールや寿司等のご馳走を用意したなかで、暫定滑走路に反対する連絡会の高橋さんの司会の下、和気あいあいとした新春の華やいだ雰囲気で集会が始まった。現地農民、支援連帯の人々が次々と決意表明を述べた。
 東峰の石井武さんが病気で参加できなかったが、横堀の熱田一さん、関西連帯する会の上坂喜美さんも参加して、盛り上がった決起集会となった。
 このかん、公団のずさんな工事の結果として、予想された通り昨年十二月一日、暫定滑走路の誘導路上で、二機が接触事故を起こした。今後の危険性を予測させて要注意であろう。
 また一方、立木伐採の違法性を問う十一月二五日の第三回東峰神社裁判において、被告・公団は、「原告が部落全員ではないので『入会権』を主張する裁判の構成要件が満たされず、所有権を確認できない」と居直り、支離滅裂な主張をしている。しかし、「部落の総意で代表登記名義人になってもらおうと正式に決議した場合、その決定は尊重されなければならない」(一九九四年最高裁判決)という判例を示すまでもなく、「全員」ではなくて「総意」が主軸であることは明白なのである。また、この裁判での被告弁護人・上野至は、千葉地裁の裁判長として「団結小屋破壊の治安立法は正当」とする東峰団結会館行政訴訟を担当していたというから、あきれる。
 集会では、東峰部落一丸となった騒音直下での粘り強い日常的闘い、横堀での熱田さん、下山さん中心の農業を守る闘いとして現地の決意が、また〇三年のさらなる闘争の展開を目指して支援連帯の決意が述べられた。
 渡辺さん(関西・東峰団結小屋維持会)は、維持会の再強化をはかりながら、このかん関西新空港二期阻止の闘い、反空港全国交流会の闘いに取り組んできたことを述べつつ、「さらに質の高い共闘を目指そう」と訴えた。また釜ヶ崎日雇労働組合の藤井さんは、「全国の反空港闘争を拡大しよう! 釜日労は反失業の闘いと連携して、有事立法阻止・空港反対の闘いを推進している。もっともっと戦線を広げ、闘いを拡大しなければならない!」と発言した。次いで諸団体から次々と発言を受け、高見圭司さん、労活評、AWC日本などから決意表明を受けた。
 最後に反対同盟の柳川秀夫さんがまとめの発言を行ない、新春の旗開きを終了した。
 その後、参加有志で、横堀の団結小屋・鉄塔の見学に行き、その闘いの意義の大きさに新たな決意を胸に刻んで帰っていった。(東京Y通信員)
 <追記>
 一月二七日、暫定滑走路でついに、韓国からの中型機(ボーイング767−300型)がオーバーラン事故を起こした。滑走路内に止まりきれず七十mもオーバーランし、誘導路灯などを壊して、八時間以上滑走路が閉鎖された。成田空港でのオーバーラン事故は、一九七八年の開港以来初めてという。
 最悪の場合、東峰部落に飛行機が突っ込むという大事故である。暫定滑走路は欠陥空港だ。空港公団はただちに、暫定滑走路の使用を中止せよ!

関西でも、関空反対、三里塚連帯で旗開き

 新石垣空港の「環境評価・基本計画」縦覧へ反撃を

 関西の地でも、空港問題に取り組む運動体の旗開きや新たな闘いが始まった。
 一月十八日、泉大津市民会館にて「泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会」の旗開きが行なわれた。
 連絡会は前段で総会を開き、役員体制の再確認と闘いの方向を検討し、続いて支援の関西共同行動、釜日労、東峰団結小屋維持会等が参加し、小人数ではあったが、反空港全国連を結成させた方向をさらに追求すること、また粘り強く年二回の現地集会を開催し、昨年三十周年を迎えた関西新空港反対闘争を継続していくことを確認した。
 一月二六日には尼崎市立労働会館にて、関西三里塚闘争旗開きが行なわれ、三十名余が集まった。関西三里塚闘争連絡会、関西三里塚闘争に連帯する会の主催によるもので、今年は、「三里塚闘争の再認識と今後」と題した再確認の場となった。
 昨年の暫定滑走路使用開始による東峰部落の生活・農業破壊の現実を反対同盟・柳川秀夫さんの報告から学び、昨秋来日した仏農民活動家ジョゼ・ボゼさんの三里塚での交流会のビデオを観た後、ATTAC関西の杉村昌昭さんから、WTOでの農業問題とグローバリゼーションの関係、ジョゼ・ボベさんらの闘いと三里塚闘争の関連、さらに水問題が大きな課題になることなどの提起を受け、新たな視点での闘いと連帯について理解する場となった。
 さて昨年十二月六日、国土交通省の交通政策審議会航空分科会は、「今後の空港及び航空保安施設の整備に関する方策について」なる最終報告を決定した。これは〇三年よりの第八次空港整備計画への答申であるが、成田完全民営化、関西二期と中部国際空港の〇五年使用開始、羽田拡張を中心に整理し、拠点地方空港建設を次の柱としている。
 地方空港では、静岡空港と新石垣空港が問題となる。両者とも、反対運動により予定地の共有運動が提起され、全国からの応募があって現実に前進し、計画を阻んでいる。しかし静岡では、空港建設局と島田事務所の職員による、共有地権者への嫌がらせ電話や自宅への押しかけという妨害が行なわれている。
 石垣島では、昨年十二月二四日に「環境影響評価方法書」の縦覧を強行、さらに一月二十一日には「カラ岳陸上案の基本計画案」の公表・閲覧を行ない始めた。来年度から運用されるであろう新たな環境評価手続きPI(バブリンクインボルブメント)を逃れようと、駆け込み的に環境評価の縦覧を始めた訳である。東京、大阪、そして現地の運動体は二月十二日の意見書提出を呼びかけている。
 開始前より破綻している八空整を阻止し、今年も三里塚・羽田・中部・関西の拠点空港への闘い、静岡・石垣島の地方空港への闘いを発展させ、十一月反空港全国連集会(東京)へ結びつけていこう。(関西S通信員)

 

1・30石原都政にNO!市民の集い

  四月都知事選の統一候補めざす


 一月三十日夕方から、東京・文京区民センターで、石原都政にNO!市民の集い(第二回)が、同実行委員会の主催で開催された。
 集会は、前回と同じく、日本消費者連盟の富山洋子さんの司会ですすめられた。
 この日は、ちょうど東京都の外形標準課税条例についての控訴審判決の日であり、集会のメイン報告者の福士敬子都議会議員(条例採決で唯一反対)がプレス発表に追われ、集会参加が遅れ、順序をくりあげ、諸個人の発言からはじまった。最初に発言した渥美さん(なんで原宿に大規模留置所?撤回してよ!市民行動)は、都が社会事業大学跡地を、阪神淡路大震災を教訓に避難場所などに使うという約束で、いわば渋谷区から譲ってもらうという形で取得したのに、五、六百人収容の留置所を、地元の渋谷区や住民の秘密裏に建設するという都政を批判した。
次に、都高教の永井さんが、法律無視で、教育に競争原理を導入し弱者切り捨てと、労組つぶし、教員監視体制をつよめる都の教育行政を批判した。同じく都の教員・阿部さんは、自由とかなんとか、一見新しいことをいう形で、実際は「できない子」を排除し効率をあげ、さらに人を選別し、学校間格差を広げるのが「自由」なるもの中身だと都の姿勢を批判した。
 次に、衆議院議員の保坂展人氏が発言した。石原氏の都知事再選か否かの問題は、都政の問題だけでなく、日本のこれからの政治の動向を左右する重要問題であり、小異を残して大同団結し、再選を阻もうと強く訴えた。
 ここでようやく、福士さんが登場し、発言となった。最初は上告審判決についての報告である。福士さんは、わかりにくい判決だが、銀行と行政の歩み寄りを期待して、落としどころを考えたのかもしれないが、いずれにしても税の公平性という観点からは疑問を感じる判決である、税制は社会への説明責任をできるものでなければならず、議会でも一時的な感情に流されず丁寧な討論が必要であり、銀行側も社会的に公開性を高める必要があると批判した。
 石原都政については、ディーゼル車の規制をいいながら、すぐさま外環道路の推進を主張する知事の姿勢を批判し、さらに、さまざまな知事の差別発言への対処にもみられるように、マスコミも押さえられ、石原知事の実像が世間に届いていない状況の克服が大事と訴えた。石原知事は、思いつきのアイディアマンでその点ではタチは悪いが、これに対抗しうるわれわれ側の政策展開の重要性も訴えた。
次に、柴田さん(三宅島被災者支援委員会・東京から日本を変える行動する市民の会代表)は、石原知事は世間で思うほど盤石ではないことを強調した。たとえば、昨年訪米し、横田飛行場の軍民共用を訴えたが、門前払をくったこと、次々と側近が辞表をだし、石原執行体制が死に体となっていること、外形標準課税での一審につづく二審での敗退で、約二〇〇〇億円の返還をしなければならず、さらに上告して敗れると四〇〇〇億円にまで跳ね上がる可能性があること、などをあげた。  最後に一橋大学教授の渡辺治さんから、「石原思想の原点―石原はなぜ政治の中心に躍り出たのか?」と題し次の講演がおこなわれた。“石原は、中曽根や小沢が戦前の日本帝国主義の侵略を曲がりなりにも「反省」しているのに対して、これをもしないで居直り、強い日本の復権を主張している。それは対米自立論と対等な日米同盟論としての反米主義と、中国分裂攻撃としての反中国主義にみられる。強い国家は強い人間によってつくられる。この反面は弱い国への侮蔑、つまり日本帝国主義の植民地支配の正当化につながる。そしてこれは、高齢者、障害者、女性など弱い立場の人々の切り捨て、あるいは強い東京に対する弱い地方として、地方の切り捨てにつながる。
 石原が小林よしのり、西尾幹二らと違うのは、単に歴史認識の強調だけでなく、強い日本の復権のために、軍事と経済の強化を考えていることにある。具体的には、福祉、教育などの切り捨て分をエリート教育や、新成長産業とりわけ軍需産業(新技術を生み出す)につぎ込むというものである。
 石原は国政に向かう手段としてのみ、都政を考えているにしか過ぎない。広範な戦線を作り、石原を打倒することが是非とも必要だ。”と強調した。
 閉会のあいさつは、都労連交流会の柳田さんがおこなった。裁判での敗北で石原の「たそがれ」がはじまったこと、石原都政の問題点は、日本政治の未来とダブル問題であることを強調した。そして、引き続き三月十一日に第三回集会を予定しているが、その時には統一候補を確定し、紹介したいとひそやかな闘志の一端をみせた。
 石原都政の実態は、まだまだ世間には知られていない。その悪政の下で苦しむ都や区の労働者たちが広く都民と交流し、石原打倒の戦線拡大が切にのぞまれている。 (H)