沖縄県知事選挙敗北の教訓

  問われる民衆運動の政治力量


 昨年十一月十七日の沖縄県知事選挙は、沖縄革新勢力の歴史的大敗北であった。
稲嶺恵一 35万9604
 に対し
吉元政矩 14万8401
新垣繁信  4万6230
後二者合計19万4631
その差  16万5033
 十六万五千票差での現職・稲嶺の勝利であった。地元マスコミ三社は、投票終了後十分も待たずに、「当確」の超早打ちを速報。「勝敗が決している選挙」「しらけ選挙」であった。マスコミ各社は、「革新勢力の記録的敗北」、「壊滅的な打撃」、「激震二十一万票差」(吉元氏との差)等々と論評した。
 「しらけ選挙」は革新側に、有権者総数の20%=20万票の棄権票となってあらわになった。(有権者98万7千票のうち43%=42万4千票が棄権。そのうち20万=20%が革新棄権票とみられる。と言うのは前回知事選の投票率76・5%で考えると、今回棄権率43%−通常棄権率23・5%=革新側棄権率20%と算出される。)
 島袋純氏(琉球大・政治学)による、「組織化されていない、革新的な投票行動をしていた人が、戦意喪失して棄権したのだろう」という分析を、数字が裏付けている。
 この記録的な結果について、十一月十七日の投票日以降、どんなに戦術や実践をほじくり返して総括してみても、事態は日本共産党が独自候補・新垣氏を決定した十月五日に決していた。
 すでにこの「分裂」のパターンは、〇一年参院選にあった。共産党の独自候補によって「分裂」になり、投票率を落としこみながらも、この時は革新側二人の合計票は自民党側を上回った。「分裂」でなければ勝てた選挙に負け、民衆は不当・不合理の敗北に突き落とされた。うっ積していた諦めと怒りは深く眠っていた。
 今回の二度目の「分裂」は、この眠っていた「諦めと怒り」に油をそそいだ。一度ならずも二度まで屈辱的な立場に突き落とされた人々の成し得る抗議の表現は、棄権以外に手段はなかったのではなかろうか。
 共産党は、もともと大衆運動も選挙戦も両方勝とうという戦略は放棄している。本土一般における自由自ままな選挙戦をしたいのである。だから選挙時に拘束されないように、大衆運動に対しては課題ごとに共闘を提案する。
 沖縄民衆のたたかいでは、名護における新基地建設反対闘争にみられるように、反戦反基地の市民運動と市長・知事の持つ「権力」(たとえば大田知事の代理署名拒否)とは切っても切れない関係をもっている。日本政府に対する民衆の統一戦線が大きく発展すれば、あるいは発展するためには、「権力」が必要なこともある。だから共産党の自由自ままな選挙立候補の「権利」が奪われる場合も必要となる。
 しかし共産党にとっては、その「権利」は議会主義者としても至上のものでなければならない。たび重なる「分裂」選挙に対する党内部の疑問も、「東京(中央)の指令」「革命的伝統」という号令によって解消されるかのようである。知事選大敗北の起点である十月五日の独自候補・新垣の決定を地元紙一面トップに載せてもらい、問われている課題を本土並選挙に相対化した後は、弱点だらけの吉元陣営へ集中砲火を浴びせた。唯一の革新・新垣は「十万票を突破する」と訓示された。
 すでに山内徳信擁立の上策はついえ、有言無言の批判にさらされ、沖縄の「党」的興亡の瀬戸際に立たされていたので、党員はあらんかぎりの力を絞り出し、ワラにもすがって東奔西走・七転八倒でもがいていた。
 しかし民衆に見離されていて、どうなろう? 結果は、すでに基礎票を割っていた〇一年参院選の4万6401票をも確保できず、171票を失って4万6230票であった。驚くべきは、この事実を覆い隠し、十一月二二日の『赤旗』は、「獲得した票は昨年参院選の一・七倍」と報じたことである。(これは比例票と比べるというペテンなのである)。社民党に対する恨みつらみだけが踊って、革新二〇万の棄権も歴史的敗北も直視できず、誰を相手にというのか、この状況を「新たな革新の共同の出発点に」と言い変えてしまう。
 市民運動の人々は、共産党の昨年七月からのふらふらを懸念をもって注視していた。が、時間の早さ、事態の急変という面からも対応できなかった。十月五日の共産党独自候補擁立を受けて、市民運動に及ぼす甚大な悪影響を認識していた。しかし、ことの成り行きを見るだけで為すすべを持たなかった。八十年代の、一坪反戦地主会による各政党への要請行動のような行動は起こらなかった。唯一、一坪反戦の当山栄氏の提案によって、十月に各党を招いた知事選討論会が行われただけである。
 市民運動からすれば、革新共闘の生きて機能していた時代には、選挙に口出しすることは「悪」であり、「堕落」であった。むしろ市民運動は選挙に関しては、立候補も選挙運動も「してはいけない」不文律が存在していた。こうした過去から続く習慣が影響したともいえる。
 今回知事選の結果、出現してきた現象は、@政党間の決定的相互不信、A「政党はたよりにならない」という民衆の認識の広がり、B民衆に対して責任を取る政治的・選挙的な結集軸が当面見えなくなった、等である。
 体制側としても、「もう政党は信頼できない」などの無党派層が増大する政治情勢に対して、手をこまねいているわけではない。かれらはどう対処しようとしているのか。
 ひとつは、沖縄の住民が米軍犯罪が繰り返されるたびに強く主張してきた「地位協定の改正」を、題材として利用することである。これは、窮状に追いやられている共産党や社民党にも、一定の大衆運動指導への口実を与え、また連合沖縄らの政治舞台への台頭を醸成させることができる題材である。
 日本政府は外務大臣や防衛庁長官らをはじめ、「改正」ではなく「運用による改善」を、と演じている。カベが厚いと見せかけつつ、そのカベを破る功績を稲嶺知事および連合らへ、ある程度は弱気の革新諸党へも与えようとしている。各界に、地位協定改定問題での沖縄民族的合唱への動きがある。
 自民党議員有志による「日米地位協定の改定を目指し日米の真のパートナーシップを実現する会」なる議員連盟が、二月十二日に稲嶺らを招いて自民党本部でシンポジウムを開くことになっている。三月には、この議連が地位協定改正案をまとめるという。この動き、沖縄基地強化・新ガイドライン安保を支持したうえでの、「地位協定改定」という政治劇を注視しておく必要がある。
 一方、政治的結集軸が見えなくなっているなかで、沖縄民衆にとっては、二つの政治勢力が話題にのぼっている。「連合」と「市民運動」の二つである。連合沖縄は、政党間の不信、民衆の分散化を、かれらの政治的台頭と連合「政治方針」の実現への条件として歓迎するだろう。
 市民運動は、自らの力量の強化、民衆一般との広い連帯ということのみならず、諸政党との共闘がなければ、日本政府と有効に対決することはできない。しかし、膠着化・制度化していく「分裂」、各党の選挙優先にどう対応していくのか。また、平和センターの政治的弱体化、その一夜漬け的動員闘争の状況にどう対応していくのか。政治的な問題を解決していく主体性と自力を確立できるだろうか。
 課題は大きいが、いずれにせよ沖縄民衆の市民運動が力量を強め、労働組合、諸団体などの結集軸として政治的にもたくましく発展していくことを目指していくしかないだろう。(T)