大阪 

「公的就労」実現求め

   野営闘争五ヶ月目に

    野宿者支援法の具体化を大阪から


 釜ケ崎反失業連絡会は、昨年九月二十八日より大阪城公園府庁前で、野営闘争を続けてきた。従来の高齢者特別就労のみならず、五十五歳以下の野宿労働者の就労機会確保や、緊急の失業−野宿対策を要求し、支援法でいう国の実態調査−基本計画提出、予算化というテンポではなく、今すぐの公的就労を求めている。全国の野宿生活者の施策の具体化を大阪から作り出すため、釜ケ崎反失連の野営闘争は続いているのである。
 すでに報じてきたように、釜ケ崎反失連の野営闘争といえども、昨年六月闘争であっても、一ケ月が限度であった。すでにこの一月二十五日で、一二〇日を越えた。十二月、大阪府よりわずかではあれ、清掃事業二〇名増の回答を得て、一月二日から府より大阪市へ転戦したのである。あいにく雨が続き、二日百名が転戦するも、三日は三徳寮テントを一時間開き仮泊する事態だった。雨続きの中、野営テントの完全な移設には数日を要した。 現在、宿所五棟と支部・炊事テント計七棟が、中之島公園に北浜から淀屋橋へ至るテントがけが続いている。
 現在、宿泊者二九〇名余、夕食の配食三二〇食である。従来、反失連参加団体「勝ち取る会」のオカズを大阪城へ搬送していたものを、期間中、三角公園の炊き出しに集中するため、野営陣地に陣取る仲間は自らの手で炊事を始めた。現在は仲間たち自身がボランティアの仲間の手も借り、自ら炊き出しを行なっている。仲間たちは、釜ケ崎の特別清掃事業に登録されている仲間が釜ケ崎へ行く一方、連日続く大阪市・府への押しかけ行動、カンパ活動に進んで参加している。
 野営テントでは、アルミ缶の買い取りも行なっている。NPO釜ケ崎の報告では、一月十二日現在で累計六万二千キロ以上になっている。
 今、長居、西成、そして十二月にオープンした大阪城公園の、大阪市が設置して社会福祉法人みおつくし福祉会が運営している仮設一時避難所(シェルター)での在所者は、約二五〇名とされている。
 今や、野営陣地は大阪市での官設置・民営のシェルターをしのいで、野営闘争のテント陣地が最大の民設置のシェルターの機能を果たしている。文字通り、闘いながら生存を支える機能を野営陣地は果たしていることになる。釜反失連の野営闘争は命を支え、生存を自ら確保するための就労の機会を求めて、府・市より具体的回答を得るまで続けられるだろう。
 六日の府・市お礼まいりデモも二〇〇余の労働者でやり抜き、連日の圧力行動・交渉の中、二月五日の大阪市の回答を迫る交渉に向け、活動を強めている。
 釜ケ崎反失連の公的就労を求めての、五ケ月目に突入した野営闘争への支持を! カンパを! ボランティアを!   (関西S通信員)

東京

 1・13日雇全協反失業総決起集会

  小異を超えて団結・闘争へ


 新春一月十三日の早朝十時より、東京・山谷の玉姫公園において、「1・13佐藤さん虐殺十八年・山岡さん虐殺十七年弾劾・追悼!日雇全協反失業総決起集会」とデモが、全国から約二五〇名の結集をもって闘い取られた。
 冒頭、司会の荒木さん(山谷争議団)が、「山谷における政府・国家との数十年にわたる仕事よこせの闘い、右翼天皇主義ファシスト金町一家解体、悪質手配師追放の闘いの歴史」について経過を語り、その過程で「日雇全協が結成」され、「そして全国の寄せ場日雇労働者の団結が形成された」こと、その中で佐藤さん、山岡さんが虐殺されたことについて述べ、「必ず日雇労働者、野宿労働者の団結で二〇〇三年からの闘いを前進させよう」と提起して、集会に入った。
 連帯の挨拶から始まり、最初に、ながきに渡って階級的争議運動を闘っている争団連の仲間を代表して国分さん(南部交流会・フジセ労組)が、「一人の首切りも許さない闘い」の歴史とその未来について激励を述べ、争団連と日雇全協の共闘の確認を新たにした。続いて原発被曝労働を考える会の藤田先生(慶応大学)から、派遣・日雇労働者の被曝の実態について報告があり、「原発に働きに行くな」、「実態を理解し、闘おう」と発言を受けた。
 続いて、なすびさん(寄せ場問題全国懇談会、山谷労働福祉会館運営委)の発言を受けた。なすびさんは、「野宿者支援法案が国会を通過した今日でも、日雇・野宿労働者の置かれた状態は変わっていない。国・自治体に対して、支援法についての賛成・反対の枠を越えて共に闘おう!団結して、論議しながら共に闘おう!」と新たな決意を述べた。更に続いて山谷労働福祉会館活動委、釜ヶ崎反失業連絡会から発言を受けた。また、知花昌一さん(沖縄反戦地主)、三里塚芝山空港反対同盟(北原事務局長)、AWC日本からのメッセージが披露された。
 再び連帯の挨拶に移り、新宿反失業連絡会、渋谷野自連から発言を受けた。新宿反失連の本田さんは、このかんの十年に渡る新宿地区での野宿者の闘いの成果と欠陥について述べつつ、「更に新宿は中心になって闘っていく」と挨拶した。
 更に続いて、日雇全協構成団体の挨拶に移り、釜日労(藤井さん)による、「日雇労働者、野宿労働者の団結を更に打ち固め、金町一家を必ず解体し、全協の更なる飛躍を闘い取ろう」との力強い決意を受けた。寿日雇労組、笹島日雇労組、山谷争議団(中村さん)と決意表明を受けたが、特に中村さんが、「小異を捨てて大同について、全協日雇と野宿労働者の団結を打ち固めよう」という挨拶を行なって締めくくった。
 〇三年飛躍の年を迎え、人数・決意共に成功裏に集会を終えて、大デモンストレーションをもって、新春の山谷地区の労働者支配を貫徹し、席巻した。(東京Y通信員)