特集・新春座談会

 二〇〇三年、われわれは、イラク―朝鮮をめぐって「戦争か平和か」の問題に待った無しで立たされることになる。それは、これからの一時代の国家の在り方をめぐる熾烈を攻防ともならざるを得ない。われわれは、アメリカ帝国主義の侵略戦争、日本帝国主義の参戦に断固として対決し、平和を闘い取らねばならない。
 この年、同時に問われるのが、大量失業時代に敢然と立ち向かう態度である。アメリカ帝国主義の新自由主義グローバリズムに同調する小泉・竹中構造改革によって、失業者が確実に急増する。その数は、四百万から七百万人にも達するといわれている。この事態は、新しい経済システムの在り方をめぐる攻防を孕みつつ、反失業闘争を広範に勃興させずにいないだろう。そこで編集部は、大量失業時代のとばくちにおいて反失業闘争を組織し、昨年夏には野宿労働者支援法を全国の仲間とともに闘い取った釜ヶ崎反失連・釜ヶ崎日雇労働組合のメンバー三名と釜ヶ崎講座のメンバー一名に集まってもらい、支援法獲得までの一〇年を振り返ると共に、今後のたたかいの方向を大いに語ってもらった。(編集部)

大量失業時代に敢然と立ち向かい

 野宿者支援法を武器に

  反失業闘争の大躍進を

             大阪・釜ヶ崎の仲間、大いに語る

           座談会参加者  釜ヶ崎反失連・釜日労 A氏

                        同上         B氏

                        同上         C氏

                     釜ヶ崎講座        D氏

                     司会          編集部

 

十年の闘争を振り返って

司会 それでは座談会を始めたいと思います。最初に、支援法制定までの十年の反失業闘争を振り返ってということでお願いします。Aさん、口火を切ってください。
 政党が寄せ場の問題を国会に出すというのは、今まであり得ないことなんですね。横の広がりがなかったんです。だけど、あまりにも全国の公園とか路上で野宿者が溢れたから一般の人の目に付くようになった。ということと、やっぱり今の構造的不況で失業者が大量に出てきたということで支援法が成立したと思っています。
 九二年釜日労(釜ヶ崎日雇労働組合)が反失業闘争を開始した。全般的には、日本資本主義が大量の失業者を生み出して激動に突入するだろうと、それは避けられないと読みきった中で、まず寄せ場に集中する野宿の問題を取り上げて突出する。それだけでは限界があるということで翌年、もっと広範にやれる内容を確立して反失連が結成される。反失連は当初から、社会的経済的な矛盾、制度的な疲弊を指摘し、新たな仕組みを創らねばならないと主張し、したがって名称も釜ヶ崎の就労・生活保障制度の実現をめざす連絡会とした。ただ単に怒りをぶちまけるとか、今の諸制度の枠内での押し上げとかではだめなんだというところを見据えて。で、新しい制度を獲得するためには、党派、政党を問わないというところでの超党派、あらゆる所に呼びかけてやっていく、ということにした訳です。いわば今日の展開を見通して。
 闘争においては、支援法とか新しい仕組みを作らないでは、支配者の側にしても社会秩序を維持できないんだというところまで闘い抜きのぼり詰めることが、一つのポイントだった。それが九二年の市更相暴動であり、翌年のセンター実力占拠であり、九七年〜九九年の市・府庁前の野営闘争であり、そこらへんで磯村(市長)を小渕(首相)へと走らせた、というところがあるんじゃないか。そういった形で闘い切らなかったら、やっぱ既存の制度の枠内でやれる、間に合うということで全部やられていったろう。
 そうした闘いによって獲得した特別清掃事業やシェルターは、それはそれで責任をもってしたたかにこなしていく。新しい行き方、働き方を含めて実験をしていく。
 同時進行というか、両方を使いこなしてきた。そうした点で、役人から一定の評価を勝ち取っていくこともできた。そういったことの延長線上に支援法の獲得があったと思う。
 九二年からの反失業闘争においては、労働者が何を考え、何を求めているんだということを真剣に考えて、糾弾だけではダメなんだと、一つひとつ階段を登るように勝ち取っていく闘いをしてきた。
 おいらは働きたいんだから仕事を出せちゅうね、これがやっぱり野宿をしているもんとか、野宿する可能性のあるもんの要求やったと思うね。その辺のところで、釜ヶ崎がまとまったからね。日本最大の野宿者、日雇い労働者がおる大阪から声が出たちゅうのは、政府とかがほっとけなくなった一つの原因や思います。
 支援法の制定は、この不況の中にあっても働いて生きていける社会へ進む踏み段として、意義がある。
 ただ現実に仲間達は、「法律の制定はええことや」と思って頑張って応援してくれたんやけれども、それがどういう形で返ってくるのか、実感としてわからない状態にある。だから、この法律を使って、筋を通していくというか、仕事の保障を求めていくことは、始まったばかりだと思います。
 公園とか路上で寝る権利を主張していたもんがそもそも支援法に反対していたんだけれども、釜の中にもそうしたもんがいた。反失連の中でわりと論議になって、丁々発止で話し合いをして、結局、路上や公園で寝る権利を主張するんじゃなく、路上や公園から脱却する運動をするんだと決めた。そのことによって、支援法制定の運動をキチッとやらないといかんということになっていったと思います。あの時、路上や公園で寝る権利をといった運動に迷い込んでいたら、支援法は勝ち取れなかっただろうし、あの決定は大きかったね。
 全国的に、路上や公園で寝る権利を主張するもんのが多かったイメージがあったからね。ところが釜から、そうじゃないということをボンと打ち出したという、これはやっぱ大きかったんじゃない。
 野宿の権利を言う人達との路線対立があった訳ですが、それは、民主主義の問題というか、憲法に集約される権利擁護運動との考え方の違いが、根底にあるんじゃないかと思っています。労働者は基本的に無権利で、既存の枠組みの中では、不安定な日雇い就労を余儀なくされて使い捨てられ、あるいは施設収容を押し付けられ、野垂れ死にを強いられる。それに対する闘いを具体的に組織していく。そういう中では、社会一般の生活スタイルとか権利とかはどうでもよい。まずは、闘う為の食い扶持と寝床の確保である。雨に打たれているよりは、まだ屋根だけでも在る方が良い。コンクリートの上に寝るよりはまあちょっと畳がけの方がええと。そんな形でどんどん勝ち取り、闘いを押し上げていってやつらの支配の仕方を破産させる。従来の仕組みは現実にそぐわない、新たな仕組みが必要だとやつらにも認めざるを得なくさせる。将来を見据えて経済システムの問題だということを浮き上がらせる訳や。既存の枠組みの内部での権利の問題ではないということ。
A 労働者と長期の闘争を共にやっていこうとしたら、成果を出さなければいけなかった。それがしんどかったね。それまでみたいに糾弾して帰ってきたら楽なんだよね。
 それとかつては、大阪市や府が反失連や釜日労と話し合いをすることなど考えられなかった。話し合いをせざるを得ない闘いを積み重ねてきたし、まためちゃめちゃなことはしないと。労働者、野宿者を代弁する団体だということを市や府が認めざるを得ないくする運動をしてきた、その積み重ねが支援法の制定につながったんじゃないかな。
 野宿の権利という主張は、テントを張っている仲間にしてみたら非常に解かり易いですよね。「明日からここを退いてください」と言われたら、「それは困りますわ」と思いますわね。しかし同じように解かり易い要求というのは、「何らかの仕事をして生活できれば」という思いですね。それらから取り出して、「やっぱ野宿の権利なんだ」「やっぱ仕事なんだ」というような形で割り切りすぎるのはよくないと思うのですよ。野宿の権利、じゃずっと野宿しているのか、そういう訳にはいかないんだということで、反失連が立てたことは絶対に間違いじゃないと思っているんですけど、しかし仕事の保障が全ての野宿の仲間達への施策として勝ち取られていない現状では、「単純化しすぎるのはどうもなあ」というのが感想なんです。
 生活保護の問題にしてもそうなんですが、生保で一部分の人達を包括できるから、そればっかりをやるというのでいけるのか、いけなかったから反失業闘争をやらなければならなかったというスタートの部分をどうするのか、生保を主張する人達はわからないところがあるんですね。よく反失連では、両輪で進めるべきものと言いますが。
 生保は、最後のセイフティーネットである訳だけれども、労働者は一般的には働かんとメシが食えない訳だからね。だけど仕事がない。だからまず仕事量をどう確保するかというのが軸になる。
 仕事が確保できない。そうした中で生活をどうするか、というところで生保の活用というのはあるだろうと思う。
 生保をとったところでどういう社会にしまんねんというところのイメージが、生保を中心的に推進している人達の主張には見えないというところがありますね。
 それと支援法というのは、ただ仕事や生保をだしたらいいというものではないと思う。支援法というのは、どんな生活していくんだということまで網羅せなあかん。そりゃ法律できたからって網羅できることではない。せやから今後いっしょに考え、どうしていったらいいか話し合いが必要じゃないかな。

  今と割れている課題

司会 これまでの討論で、釜ヶ崎のこの十年の反失業闘争が獲得してきた運動の質が、だいたい浮き彫りにされたように思います。続いて、いま運動が抱えている課題、問われている課題について、考えているところを提起して下さい。
 それは、寄せ場・野宿者の運動の枠を越えて、失業している多くの労働者や他の労働組合や諸団体との連帯を創っていくこと。寄せ場・野宿者の枠だけでは、支援法ができても、それをどういう風に利用していくかというところで行き詰まる。要するに地域の理解がなければ、公園から出ていけ、路上で寝るな、支援法ができたんやからもうおまえら路上から出ていって自分でやらんかい、という風になってしまうということ。
 釜ヶ崎講座は、二〇〇一年の十一月に立ち上げて、同年十二月八日から講演の集いを頻繁にもつ形で、それを通しながら、釜ヶ崎の理解と釜ヶ崎の運動との結びつきを追求するということをやってきた。この十年来の反失業闘争を見ていく中では、支援の方は戸惑いながら立ち遅れてきて、ようやく当該の運動についていく、というのが正直なところだと感じますね。
 釜講座というのは、そういう支援の側の問題点を、当該の突出・転換に対応する形で克服し、講座というスタイルを通して、釜ヶ崎の運動と結びつくチャンネルをひろげようということで始めることになったんだと思うんです。
 私が課題だと思っていることは、野宿の人達がすごく仕事なり活動をしたがっているということなんですよ。今まで景気がいいときは仕事をやって発揮してきた自己の能力というものを発揮できないから、じゃあどこで発揮したらいいのかということで悶々としているのが現実なんですわ。だからビラまき一つでもやり始めておぼえてしまうと、ビラまきがもう楽しくてしょうがない訳です。一つひとつ活動をやっておぼえていくことがすごく楽しい。だから私が思っているのは、運動を支えていくものというのは、たんなる主張というものだけではないということ。野宿生活者自身の活動ないし仕事が広がってですね、それが社会に対する波及効果を持つんだということを考えるべきじゃないかと。
 たとえばいま野営闘争をやっている訳ですが、ゼッケンをつけてですね、「野宿生活者に仕事を!」ということで大阪市庁前をボランティア清掃する。野宿の仲間達は、すごく喜んで、仕事をすることが喜びとなって、たとえそれが無償でもやってくれるんですね。どんどん掃除をしちゃって止まらないという状況があります。このように、野宿生活者が自分たちの手の仕事でやっていけるものを、運動として獲得しあるいは創り出すんだという発想をもってやらなければいけません。
 しかしそのためのアイディアが足らないということがあるんですよ。アイディアはどこから仕入れてくるのかというと、それが野宿生活者であれ、支援者であれ、アイディアを持ち寄って採用していく構造を作らなかったら、中途半端なところで終ってしまうんだろうなという思いが強くあります。
 ところで支援者のスタンスの問題なんですが、どうしても「学ぶ」というところに集約されてしまうんですね。学ぶんじゃなくて一緒に問題を解決していくという風にどうして立てられないのかと。そういう隔たりをどう超えていくのか、意識的に取り組まなければいけないなあと、常々感じております。
 シェルターにしろ、ここでは生活保護水準以下なんだよね。労働者が働いていて生活する水準からしたら極めてお粗末な支給な訳でしょ。それでも一つひとつ、自分たちが今よりは少しでもと、彼ら自身が要求を出していく。その要求を我々が責任をもってまとめていく。そういう彼ら自身が獲得したという質を、他の団体というのは見ていない。シェルターにしろ高齢者特別就労事業にしろ、闘って勝ち取ったんだということを見ていないから、ただ単に行政が、飼い殺しみたいなあてがい扶持、いわば暴動対策としてやらしているだけなんだという風に、全面否定してしまう。
 うちの内部なんかにもおるけれど、一緒に闘っていないから見えない訳よ。どうしても観念の世界だの、あるべき文化的生活だのがあるからね。全てを紙切れの上で判断してしまう。運動しない、闘いもしない、横から眺めておってああでもないこうでもない、けたおちへちまとわめいている。評論家ばかりの論議になっている訳よ。そこらへんをどうはっきりさせていくのかなあと。
 そういった連中といちいちやりあっても仕方がないから、我々は現実に頑張っている人達と共に歩む以外ないかなあとも思っている。それが釜ヶ崎のすばらしいところでもある。労働者と共に行くと。

支援法の意義と今後の運動の目標

司会 さて、この十年の反失業闘争を振り返ってもらった訳ですが、そうした運動の成果として支援法を勝ち取りました。そこで次に、支援法の意義と運動のこれからの目標ということで討論してもらいたいと思います。
 支援法は、単なる紙切れ、法律な訳だから、どうこれを労働者自身がわがものにして使いこなすかということ。
 いままでは、既存の諸制度の中で切り捨てられてきた。それじゃだめなんだということで国なり地方自治体が責任をもって野宿の問題、就労対策をやらないとダメなんだというところをキチッと明記させたということが、大きなポイントかなあと。問題はあと、どう具体的にこれに基づいて、本当に働いて生活できる仕組み、その方針を作らせていくかということになるかなあと思う。
 公的就労をつくらすしかないんだけれども、建設産業では吸収し切れなくなっている。国が言ってるようなIT産業で野宿の層が吸収されるかというと、これも不可能や。いままで野宿している層が培ってきた能力を活かすような産業いうたら、おいらはリサイクル産業しかないと思うねん。なら、おいらから行政に、こういう風なことで、このくらいの額でいけるんだという具体的なものを出さんといかんと思う。いま五千人、一日六千五百円で雇用したとして、年間百億円くらいだけれども、これ仮に三千円なにがしならば年間五〇億円ですむ訳。
 こちらから出していかんと、行政は考えないんやね、やっぱり。
 私が思うのは、支援法によって就労の機会を確保するとなった訳だけれども、その内容たるや「かつての失対事業みたいのはいやですよ」ということで、公的就労みたいのはつくらないと。けっきょく自立支援センターとかトライアル雇用とかそういった範疇に収めようとしていることに関しては、「もう特別就労やっているやないか」と、これを担保にしてやで、やるしかない。どれだけ効果を上げているかというところでは、益々運動が頑張ってですね、それを宣伝していくしかないと思っている。
 例えば五十五歳以上の人達に関して言えば、今から訓練を受けて一つの仕事を身につけるのに五年かかるとして六〇歳になり、やおら国が決めている就労不能の六十五歳になる訳です。そこで、考え方としては単なる労働という視点から、福祉的な労働というか、福祉と労働がくっついている、合体しているようなものを創らねばいけないというのが一つあります。
 これまで釜ヶ崎において行われていたのは、マイナスからゼロに戻す福祉だった訳ですよね。「野宿して体を悪くして病院に入った後ですね、ある程度良くなるとあとはポイよ」というのが福祉だったんですが、そうじゃないんやと。これからはプラスの福祉だと。プラスの福祉とは、労働者として生きてきたんであれば、労働者として頑張れる支援を行っていくことが福祉なんだと。福祉だ、労働だ、という区割りではもう動かないというところがあると思うんです。
 もう一つは、シェルターや自立支援センターからの「出口」としての就労ではなくて、「入口」としての就労なんだという発想を持つ必要があると思うんです。
 どうしても人間の基本的な権利を抽象的に考えると、住居がなければいけないとか、まずそういうところから発想して、じゃまず入れ物だけ作っておきましょうか、という流れになっちゃう訳なのですが、それがシェルターから自立支援センターというチャートを厚生労働省が引いたところに現れていると思うんです。でもこれは、障害者の運動とかの中でも否定されてきていると思うんですよ。施設を作って、そこからやおら授産して、というやり方ではなくて、地域の中で生きていかなければいけないじゃないかという風に切り換わっていった。
 その意味で、福祉的な労働と合わせてですね、入口としての労働、働いていることがセイフティーネットなんだという状態をつくっていく、そのキーストーンとして支援法は使っていくべきだろうなと考える訳です。
 いま資本の側も、かつてのように上手に働かせてゼニをもうける時代から、一握りの労働者には働いてもらって、他の人は働いてもらわんでいい、黙って死んでくれと。しかし殺す訳にはいかない。かといって放置しとったら福祉とかゼニがかかってしまう。あんまりゼニがかからない仕方で生きていってもらわなあかん、ということで有効活用できる在り方を模索していると思う。彼らも困っており、焦っているのではないかな。
 世間では、野宿させておく方が安上がりだと思っている人は多いと思う。野宿させておくと入院なりせなあかんようになって、かえって金が要るんだということを、どんどん言っていくことに我々は立ち遅れている。
 一人入院したら五〇万円から七〇万円要るわけよ。施設に入ったら二〇万円から二五万円要るわけよ。六千五百円とかで仕事をして、最低一ヶ月十三日、、二ヶ月で二十六日働いて、日雇い雇用保険をもろうていったら生活保護費並の経費で済むし、野宿しているもんが社会貢献できる、ということなんだよね。
 支援法は、野宿の問題は個人の問題でなく国が責任をもってやるとうたったところにそのポイントがあるのだけれども、ただ八条の二項をみてもわかるように、自立支援事業の中味が結局は箱物なんだよなあれはな、自立支援センターとか。今までやってきた当面の対策を踏襲した内容でやりますというものでしかない。しかしそれではCさんが言ったように、針の穴を通すように一人ひとりちまちまとやる、それに終らざるを得ないだろうと。じゃ、残りの人をどうするんだと。五年も一〇年も待っておれないわけだから、運動として総体的に仕事の問題、寝場所の問題を突き付けて、そしてやっぱり広範な緊急的な就労による包摂をどうつくらせていくのか、それを国の基本方針策定まではやり切らんと仕方ないんではないかな。
 しかし向こうは、公的就労をつくると言ってないし、つくる気はない。トライヤル雇用とか、職業訓練でやりますとか言っている訳だよ。しかしそれではやれないというところをドーンと押し付けていかなくてはならない。とりあえず、訓練はどうでもええねん。やっぱり公的就労をつくらなあかんのやなと認知せしめなあかんのだよ。
 国がなぜ公的就労を渋っているかというと、一つは効果の点。やっぱり資本の論理から、仕事の為の仕事、失対の為の失対みたいな形で事業展開したくない。あと労働者が滞留するという点ね。つまり公的就労に労働者が滞留してしまい発展性がない、その繰り返しだと。これは避けたいと。
 だからこちらとしては、公的就労を要求すると共に、滞留しないような方策を提示していく必要があるわけだ。
 ぼくも反失連の会議で提起したのは、滞留につながらないためにはどうしたらいいのか、入り口としての公的就労を「たとえば三年期限にしましょうや」ということでした。その三年以内の間に、福祉的労働に移動していく部分と、新たな訓練をして別の社会的就労とか他の産業に移っていくとか、入口としての公的就労なんだ、と立てたら、それはよろしくないとアウトになってしまった訳です。ステップとしては、入口としては期限が限られていてもいいわけじゃないですか。公的就労を作らせて、期限が迫ってくる中で、次にどないすんだというところで、行政に考えさせて、こちらも考えるという状態をつくるのが一番ええ訳じゃないですか。
 そこらへんで、こちらとしてもただ単にやれやれ言うだけじゃなくて、具体的にこうやればうまくいく、何割かはそれなりに自立することができると提示する。というところが、今の攻防だね。
 今やっている特別清掃事業にしても、公的就労にきまってるやんか。だけど行政は、公的就労とか失業対策を言いたくないねん。これだけは絶対に言ってくれるなと、最初の頃の交渉の時に言われたんねん。これは釜ヶ崎対策、高齢者対策だと。それと大阪市内全体の対策ではないですよと、特に大阪市は。
 府の方は、公的機関による雇用創出、これ以外にないとはっきり言っている。一般施策の中ではもうやりようがない。ホームレス対策の特別基金を作り、それをもって特化された形でやるというスタンスだね。

野営闘争の現状と展望

司会 公的就労の実施要求を掲げての野営闘争は、二〇〇二年九月末に大阪府庁前で開始され、三百名の野宿労働者によって現在も継続中です。この座談会が紙面に載る頃には、野営陣地は大阪市庁前に移動しているとのこと。支援法に基づいた国の基本計画、つづく地方自治体の実施計画の策定をにらんでの勝負どころな訳ですが、この闘争の現状と展望はどうですか。
 いま闘いを九〇日以上こえて続けていく中で、積み重ねているものが質の転換に現れていることがあるなあ、というのを実感しています。労働者にしても、初めは怒鳴ったりとかね、自分のうさ晴らしという世界から、一致した行動をすることが力になるんだということが良くわかってきているというか。これは非常に追い風を受けていると感じているんですけど、だからどうするかですよね。
 何か行政から前進回答を得た時、あの野営テントをたたんでしまうと、蓄積してきたものが雲散霧消するし、ちょっとアメを投入すればあいつら帰っていくんやと行政に思わせてしまう。さあどんな闘い方があるのかしら、と考えているのが現状なんです。一年、二年、施策が行われるまでは動かんという本当の長期戦の構えでやるのか。
 当面、基本方針策定をにらんで、闘争を継続していく必要がある。その過程で何らかのものを獲得しても、微々たるものではだめだ。ダイナミックな公的就労の形成を軸にした対策以外にないんだということで闘っていく必要がある。なかなか釜には帰ってこれんでしょうなあ。
 いま地方分権化の流れの中で、地方自治体はこういう形でやりなさいと国の方も地方自治体に責任転化していく。そうした中で大阪市も、具体的に雇用対策をどうしていくかと、検討会を始めている。一応要綱案も出て、これから煮詰めていくことになるだろう。そこらへんを見据えて、キチッとした雇用・就労対策をどうつくらしていくか、獲得していくかということだろうと思う。
 来年度の国家予算に、少しでも公的就労の枠が付いたら、さがっても十分だろうと思う。あとは、ちょこちょこの闘争でも仕事の保障をかちとっていく軌道にのることができる。

連帯の課題について

司会 二〇〇三年は失業者が急増するだろう。支配階級も大変な危機意識だ。彼らも、これからの一時代の方向を決する正念場と見ている。一つひとつの闘いは大事だし、そこからしか何も生まれない訳だが、そこにおいて戦略観がとりわけ鋭く問われる局面に入るということだ。失業率が全国平均5・3%前後の現在7%を超えている近畿、18%を超えるといわれる西成区、そこでもダントツの釜ヶ崎ということで、ここの運動は極めて重要な位置を占めることになる。まあそういうことで最後に、寄せ場・野宿労働者の運動からした連帯の問題についてお願いします。
 大阪府庁や市庁でマイク情宣やるときには、地域の自立的な経済を目指さなあかんと常々言うんですよ。それはなぜかというと…
 太田府知事なんかは、小泉首相に大賛成です。「私も構造改革路線でやりますわ」ということで府政のリストラを進めるという方針でやってます。けれども、グローバル経済の中で東京の方に吸い上げるような仕組みが出来あがっているわけじゃないですか。もう弱小になってしまっている大阪とか地方が、東京に追随するやり方で進めれば、外部の資本に買い叩かれて、よりひどいところに転落していく訳ですよ。こういうやり方では、絶対に経済は回復しないというところをですね、失業者の立場から、野宿の仲間の声としてもまた、言っていく必要がある、と感じているわけなんです。
 主流か否かは別にしても政府中枢が、ある程度資本の要求も含めて、動かざるを得ないような局面に来ている。
 そうした中で大阪では、釜の運動を媒介に、部落解放運動は部落解放運動なりに、連合大阪は連合大阪なりの立場から、主張しています。けれどもある種従来運動と称してきた部分がむしろ、労働組合運動にしても何にしても、そこらへんの観点が薄い。
 現実的に支援法の成立が、二〇〇一年六月二十一日の集会の三者共闘(NPO釜ヶ崎、連合大阪、部落解放同盟大阪府連など)を基礎にした運動と、全ての政党を巻き込んだ国会対策ということの中で一つは成り立ったわけですが、当面すぐにでもそれを超えて広がるとは思わない。けれども、今回の野営闘争という突出した闘いを武器にしながら、野宿労働者の運動への連帯を労働運動や市民運動の中にもっと広めていく必要があると思いますね。
 最近カンパ活動をしててすごく手応えを感じるのは、若い人達が入れてくれるようになったんですよ。かつては中年のおばちゃんだけだったんですが、今は若い人達も男女を問わず入れてくれます。世の中、変わってきたなと痛感しているところです。
 前は、若い子は知らん顔してたもんなあ。うちら関係ないわという顔して。
 自分の就職問題などで危機感を持ち出しているんと違うか。
 若い人達が入って来れる素地というのは出来ていると思いますから、若者たちが参加してくれるときに、アイディアをつぶしたり、活動をとりあげてしまったりしないよう気をつけなければなりませんね。
司会 長時間ありがとうございました。みなさんお疲れのようなので、これで座談会を終えたいと思います。〔了〕