12・19韓国大統領選挙

太陽政策継承のノ・ムヒョン氏が勝利

  民衆が平和統一の回答


 十二月十九日、世界中の注視の下、朝鮮半島のみならず日本をはじめとした東アジア情勢の命運を決するかもしれない韓国大統領選挙がおこなわれた。この結果であるノ・ムヒョン(盧武鉉)氏の当選は、すでに周知のことと思う。しかしながら、次の点を明らかにしておく必要があるだろう。
 この韓国大統領選挙のさなか、米帝ブッシュによる朝鮮民主主義人民共和国への核疑惑なるものがとりざたされ、韓国国民が米帝軍事戦略に従うか、自主的な統一政策を取るかという選択が注視された。野党ハンナラ党のイ・フェチャン(李会昌)氏は、キム・デジュン政権の太陽政策=統一政策を否定し、対米協調路線を主張した。与党千年民主党のノ・ムヒョン氏は、三金政治に代表される旧世代からの世代交代と、太陽政策の継承を主張した。
 ノ・ムヒョン氏の勝利の背景には、確かに昨年米軍装甲車による女子中学生轢殺(れきさつ)事件で、米軍事法廷での主犯者への無罪判決に対し、韓国民衆の怒りは頂点に達していた事実もある。しかしこのような判決を出す米帝の韓国民衆をはじめとした世界人民への、米帝軍事戦略に付き従うかさもなければ敵対するかという横暴な態度に対する、韓国民衆の率直な反応ではないだろうか。まさに戦争か平和かが問われ、これに韓国民衆が、平和統一の回答を出したのである。
 ノ・ムヒョン氏は、下層出身の民衆弁護士で、「国民統合」を主張しているが、労働運動への対応をふくむ政治経済などいま一つ不鮮明であり、新政権についてはその実際を韓国民衆とともに見守ることが必要であるだろう。
 それとともにこの大統領選挙で、第三の候補者として注目された民主労働党のクォン・ヨンギル(権永吉)氏は、三・九%、九五万七一四八票を獲得した。民主党、ハンナラ党の二大政党による、政策面でもハッキリとし対立点が鮮明となる選挙戦で、これだけの得票を得たのは、その選挙対策委員会も表明したとおり、勝利と評価しても良いのではないだろうか。
 民主労働党は労働者民衆の立場に立ち、日韓投資協定や自由貿易協定、労働運動への弾圧、国家保安法に反対し、女子中学生轢殺(れきさつ)事件では米軍犯罪根絶の先頭にいち早く立って闘ってきた。クォン陣営は、民主労総をはじめとした民主労働運動や全国連合などの民族統一在野民衆団体、そして幅広い進歩陣営のもとに選挙戦を闘うことができた。選挙後、全国連合のハン・チュンモック執行委員長も「進歩陣営の大団結のために、ともに努力しよう」と表明したとおり、今後の労働者民衆の団結と前進が、朝鮮半島の統一と東アジアの平和にとって決定的な力となるだろう。  (Ku)

 

韓国少女れき殺事件

  無罪判決に二波の大抗議


 十二月のソウルは、二度に渡り十万人の反米のうねりで燃え上がった。十二月十四日、三十一日の二日間おこなわれた「米軍装甲車事故シン・ヒョンスン、シン・ミソン殺人事件汎国民対策委員会」が主催する「『主権回復の日』汎国民平和大行進」に、韓国全土で二十万人、ソウルで十万人がそれぞれ参加し、韓国民衆の理不尽な米軍への怒りを全世界に表明した。
 六月十三日に起こった轢殺(れきさつ)事件に対して米軍は、SOFA(韓米地位協定)を楯にして犯人の米兵たちをかくまい、十一月二十日と二十三日には、米軍事法廷で無罪判決を出すという暴挙をおこなった。この判決に韓国民衆の怒りは天をつき、連日のようにろうそくデモが行われた。汎国民対策委員会が、アメリカ政府に公式謝罪と真相究明、SOFAの全面改定を要求する百万人署名を展開していたさなかに、この不当な判決が下されたのである。
 十四日のソウル集会は、市庁舎前広場を埋めつくす民衆を前にして糾弾集会がもたれ、百三十万人分以上の署名をホワイト・ハウスに提出した訪米報告などが行われた。また沖縄から参加した桑江テル子さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)が連帯のあいさつを行い、十一月二日沖縄で起きた米兵による強姦事件を報告し、日韓連帯を訴えた。 三十一日には、ソウル・アメリカ大使館近くのクワンハムン広場でろうそくデモが行われた。十四日のデモは、大統領選直前で親米反北の立場を取り続けたイ・フェチャン氏に大きな打撃となり、ノ・ムヒョン氏の当選への力添えとなったのは確かなことである。また三十一日のデモも含めて、イラク、朝鮮民主主義人民共和国への攻撃を準備ならびに画策する米帝の実像を明らかにしたといえる。
 「同盟国」韓国における反米闘争の広がりは、米帝ブッシュへの重大な打撃となり、世界の労働者人民への絶大な勇気をもたらすこととなろう。 (S)

 

労働法改悪

すべての労働組合の共同戦線を

  許すな!首切り自由化法


 十二月二六日に厚生労働省の労働政策審議会が、首切り原則自由化など「労働法制大改悪」の最終報告の採択を、公労使委員の合意がないまま強行した。今春通常国会で、これに沿った労働基準法等の法改悪案が提出されようとしている。これに対する闘いが、当面の急務である。
 十二月十七日の審議会では経済産業省別館前で、二六日の審議会に対しては厚生労働省前で、多くの労働者が大改悪の報告を出すな!労働法改悪阻止!の行動に立った。全国ユニオン、首都圏や地方のユニオン、小泉改革NO!非正規労働者の権利確立をめざす秋の共同行動などが結集し、また労政審に委員を送っている連合も、数百名を動員している。
 改悪案の内容は次のようなものになろうとしている。(@〜Bは労働基準法、Cは労働者派遣法)
 @ 解雇の自由化。「使用者は労働者を解雇できるが、正当な理由なしに解雇した場合は無効」などと明記する。裁判所が解雇無効と判断した場合、金銭解決を労使双方が請求して雇用契約を終了できるようにする。
 これは、労働基準法が解雇を規制する基準を明記していない法的不備の中でこれを正すのではなく、裁判の判例で確定している整理解雇四要件など「解雇には正当な事由が必要」という原則を、真っ向から逆転させ、原則的には解雇は自由、例外的にのみ無効とされるとするものである。また金銭支払いによって、不当解雇の撤回要求を退けられるとするのであるから、不当解雇のやり得となる。労働者にとって解雇訴訟に訴える意味が無くなってしまう。ブルジョア新聞では、今回の労制審報告を解雇規制のルール作りであるかのように報道しているが、まさに首切り自由化法である。
 A 裁量労働制の拡大。九八年に導入された裁量労働制を、対象事業所を本社以外にも拡大するなど、大幅に使いやすくするものである。裁量労働制のほとんどの実態は、ホワイトカラーの長時間労働を残業手当なしで済ませるためのものである。この攻撃は、労働時間規制そのものをなくす(ホワイトカラー・イグザンプション)ことへ向かっている。
 B 有期雇用の期間延長。現行の上限一年を三年に延長等であるが、有期雇用と定めのない雇用との均等待遇を実現し、反復更新は定めのない雇用とするなどの改正でなければ、期間延長をしても不安定雇用を拡大するだけである。
 C 派遣労働の拡大。現行の期間制限一年を三年に延長し、製造業への派遣を解禁(一年制限)するという。すでに請負の形で派遣労働が工場で行われているが、これを追認し、本来違法の常用代替をおしすすめ、全産業で使い捨て労働者を拡大しようとしている。
 今回、九八年の労働基準法大改悪の内容の拡大にとどまらず、解雇自由化を打ち出して  きた。労働法制を自由化すれば雇用が増えるなどというのは、ウソである。一方で失業増と不安定・無権利労働者の増大、他方で長時間過密労働の就業者の拡大である。ワークシェアリングには労働規制緩和が必要なのか。むしろ逆である。パートタイム等とフルタイムとの均等待遇(もちろん労働時間が違えば給料は均等ではないが)を法的強制力をもって実現し、互換的にならなければ進展しない。
 九七〜九八年時の労基法改悪反対闘争のように、全労働団体が共同戦線を張って闘い阻止しよう。(F)

 

教育基本法改悪案 通常国会提出か

  日教組は統一闘争で闘おう

 

   東京12・23集会

     北教組、広島高教組からも参加


 教育基本法の「改正案」が、早ければ今春の通常国会に提出されかねない危険な情勢になっている。昨年十一月に中央教育審議会が教育基本法見直しの「中間報告」を出し、東京など全国五ヵ所でアリバイ的に公聴会(いわゆる一日中教審)が実施された。今春に「最終報告」を出されれば法案化となってしまう。
 こうした情勢下、十二月二三日・東京の中野ZEROにおいて、「12・23教育基本法改悪反対!集会」が開かれ、教育労働者や市民など約二五〇名が参加した。主催は、昨年六月発足の「教育基本法の改悪に反対する教職員と市民の会」。
 この集会は中間報告提出前の八月に次いで二回目であるが、「教育基本法の改悪はもうひとつの有事法制です」とのスローガンに示されるように、改悪反対が広範な課題であることを訴えつつ、中教審の最終答申を許さないたたかいを!など今後の運動の拡大を確認するものであった。
 集会は最初に、十一月三十日の東京の公聴会で意見を述べた青木茂雄さん(都高教)が主催者あいさつ。公聴会は十名の意見発表者の内、「改正」反対意見は青木さんだけという偏った設定であったが、彼は意見発表を振り返りつつ、なぜ教育基本法の改悪に反対なのか、「愛国心」を法律に盛り込むこと、「教育振興基本計画」を法的に根拠づけること、結局この二点であると挨拶した。
 講演は、月刊誌『世界』編集長の岡本厚さん。岡本さんは、中間報告は「国家による人材の育成、徳目の上からの注入という教育勅語の発想である」と厳しく批判した。
 教育労働者や市民からの報告では、北教組と広島高教組からの報告があったことが目を引いた。北海道教職員組合の信岡聡さんは、教育基本法改正反対の全道キャラバン、教育を語る二五〇万人運動など北教組としての取り組みを報告した。広島高教組の秋光民恵さんは、このかんの政府の広島県教育弾圧、「文部省是正指導」の手法が全国へ広げられつつあることを報告した。
 他の教育労働者からは、都高教、アイム89、東京教組の組合員から、また国立市での性教育弾圧について、日野市での「君が代」ピアノ伴奏強制とそれを許さない裁判について当該教員から報告があった。市民からは国立市の遠藤良子さん。また大河原都議会議員(生活者ネット)、北教組出身の北川衆院議員(社民党)が挨拶した。
 集会は最後に、全国の教員・労働者・市民は手をつなごうとの集会アピールを採択し、三月の大衆集会を予定して終了した。また集会には、韓国「全国教職員労働組合」からのアピール(日本国政府は平和教育を否定する教育基本法改定の動きを即刻中断しろ)が寄せられた。(東京W通信員)

  基本法第10条と「教育振興基本計画」


 憲法改悪の教育版に等しい教育基本法改悪攻撃を前に、労働者・市民一般の関心が広がる必要とともに、問われているのは最大の教職員組合である日教組が統一闘争として改悪阻止を闘えるようになるかどうかであろう。
 日教組の榊原委員長は、十二月十一日の千葉高教組の平和集会に講演者として参加し、次のように述べている。「産別の人達と話すと、教育基本法改悪は日教組の問題だろうという。国民全体の問題として考えている人がすくない。これはこれまでの我々の運動の結果でもある。反省しなければならない。国民全体の問題と言うことは、たとえば『愛国心』にしても、単に『学習指導要領』の中にあるのと、法律の中に書き込むのとでは大きく違う。国民全体に法律によって義務を負わせることになる。」「『教育振興基本計画』は教育の『不当な支配』となり、民主教育を根幹から変えるだろう。……公権力があらゆる面まで口を出すということだ。『学習指導要領の法律化』と言える。このとおりにやらなければ処分ができる。恐ろしい法律ができることになる」。これは、まったく正しい指摘である。また、この千葉高教組の集会で、12・23集会の主催者の「教職員と市民の会」が榊原委員長に、「日教組は教育基本法改悪反対の先頭に立って闘うこと」等の要請書を渡している。
 日教組が先頭に立って闘うためには、教育改革での文部科学省とのパートナーシップ路線が、その前提である教育基本法への改悪攻撃によって破壊されたと認識し、改悪反対をすべての教職員組合の普遍的課題として押し出し、文部科学省と対決することが必要だ。そして各県教組が一丸となる統一闘争の方針を確立すべきである。広島県の県教組・高教組を含め、昨年から教育基本法改悪反対の署名運動が進められているが、他県の日教組組合員はこれを知らない。こうした運動は、日教組中央が先頭に立って全国的に取り組むべきことではないのか。
 また改悪攻撃のポイントとして、榊原委員長も強調しているように、「教育振興基本計画」の法律化を重大視する必要がある。一般に、「愛国心」等の法的押しつけの面は広く批判されているが、文部科学省としては、教育基本法第十条に「教育振興基本計画の策定の根拠となる規定を置く」(中間報告)ことを最大の課題としていると考えられる。
 教育基本法第十条(教育行政)は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」とし、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行することに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。」としている。
 したがって教育行政は本来、教育の内容を指示したり、教員を統制したりすることはできないのであり、それは教育の経済的条件などを整備するために存在しているのである。しかし中間報告では、「必要な諸条件の整備」について、「国、地方公共団体の責務を含めた教育行政の基本的な在り方を示すという新しい視点から規定」すべきだとする。その公権力の「責務」が、たとえば「教育振興基本計画」だというわけである。
 現実には、公権力による「不当な支配」が行われている。教育基本法改悪は、教育行政の位置付けを根本的に変えることによって、この「不当な支配」を一挙に合法化し、更に強化するものである。(同様に言うと、平和憲法は戦力を持ってはならないとしている。憲法改悪は、自衛隊を憲法に位置付けることによって、軍隊を一挙に合憲化し、更に強化するものである)。
 教育基本法改悪反対の闘いを、憲法改悪反対の闘いとともに拡大しよう。(W)

 

12・15

オルタフォーラム第四回総会開かる

 十二月十五日に、東京・明治大学で、オルタフォーラムの第四回総会が開催された。総会では一年間の活動報告があり、その後新たな役員が選出された。共同代表には、大阪産業大学の斎藤さんと駒沢大学の小杉さんが、事務局長には、明治大学の西川さん、編集局長には村岡さんが選出された。総会では、今年の事業の一つとして、五周年記念冊子『希望のオルタナティブ―QUESTからの問題提起』を発行することも決定された。
 総会後、第四回十二月フォーラムが開かれ、経済・海野八尋さん、法律・笹沼弘志さん、政治・西川伸一さんから、それぞれ意義深い報告がなされた。(H)

 

野営闘争継続の中から第33回釜ヶ崎越冬闘争

 「公的就労」求め90日突破

 九月二八日より大阪城公園府庁前にて闘われてきた釜ヶ崎反失業連絡会の野営闘争は、昨年十二月二六日で九〇日を突破し闘いつづけられている。
 8・8緊急要求、9・11公的就労要求、10・17五十五歳以下の公的就労要求として府・市に対し突き付けた要求を基礎に、約三百名の労働者が、連日府庁、市庁への抗議・圧力行動、そして示威行動としての清掃活動を貫徹し、午後からはターミナルに出て、市民に対し情宣とカンパ要請活動を続けている。土・日も、大阪駅・京橋・ナンバなどでの情宣活動を貫徹し抜いている。週一回の府・市・大阪労働局に対する交渉活動も行い、更に10・21の反失業・仕事よこせ・反戦デモのほか、十一月二五日、十二月二日の二波にわたり、三百名のデモ隊で「仕事よこせ」デモを行ってきた。
 連日の府庁・市役所への圧力行動・情宣の中で徐々に市民の理解も深まり、カンパも多く寄せられるようになってきた。従来一ヶ月が限度だった野営闘争は、既に九〇日を越え、野営陣地で頑張る労働者は「公的就労」を府・市に回答させるまで続ける固い意志がつくられつつある。府・市とも「ホームレス対策推進会議」を設置したが、回答は「国の方針待ち」を一歩も出ないものであった。
 十二月二〇日の対府交渉において「特別就労のみだが二〇名の増加」という初めての前進回答が出るに至った。実施は一月十四日頃からとなるし、現に野営している三百名に対してもわずか二〇名という小人数の回答ではある。しかし支援法成立後といえども、闘い抜きには具体的回答が無いということは明らかだった。未だ特別就労(五十五歳以上)の枠のみであり、要求する「公的就労」には程遠い。野営闘争の継続は必然となった。
 府のわずかではあるがその回答を踏まえて、未だゼロ回答をを重ねる市に対して、野営闘争を突き付ける為、年明けの一月二日より、府庁前より市役所前中之島公園への野営陣地の移設が行われた。あいにく一月二日遅くより悪天候となり、移設作業は難工事となり、反失連総がかりの工事となっている。
 このように野営闘争が貫徹される中、越冬闘争が開始された。三十三回目を迎えた釜ヶ崎越冬闘争の支援連帯集会は、十二月十五日大阪城公園の野営陣地で百五十名が参加して行われた。スローガンは、02−03越冬闘争をやり抜こう!野垂れ死にを許すな!我々は仕事をして飯を食いたい!
 二五日午後四時半より釜ヶ崎三角公園で越冬突入集会が行われ越冬闘争が始まった。
 今年の越冬闘争の拠点は、三角公園と府庁前大阪城公園(一月二日からは市役所前中之島公園)の二ヶ所。これまでにない闘いだ。二九・三〇日と行われた南港臨時宿泊所への入所者は千百二名と昨年に比べ百五名近く少ない。多くが府下に分散する現実と、野営陣地三百名の仲間のうち二百名が野営陣地に残って闘いを継続しているためである。
 二九日からは例年通り集中期(〜一月三日)に入り、八時からの人民パトロールには野営陣地の仲間が釜の越冬の仲間に合流し、釜ヶ崎地区内・日本橋・道頓堀・天王寺・大阪駅へと連日二百名以上の大部隊で貫徹している。三十一日からは、例年の越冬祭りも始まった。
 六日には「お礼参り」デモが、野営地の市役所から府庁に向けて行われた。今年の越冬闘争は、昨年九月末から展開されている公的就労要求を掲げた闘いに貫かれて闘われている。(大阪S通信員)

 

反グローバリズム運動家ジョゼ・ボベ氏昨秋来日

  最盛況の大阪集会

 昨年十月二十七日に、反グローバル化運動を進めるATTAC・JAPANの招きで、フランス農民同盟代表のジョゼ・ボベさんが一週間来日し、三里塚・福岡・大阪・京都・新潟そして東京と各地で、世界の反グローバル運動の紹介の講演を行い、交流を行った。 ジョゼ・ボベさんは、八一念南仏ラルザックで軍事基地拡大計画を阻止した闘いの上に、八七年農民連盟を結成、最近は、フランスの核実験へのムルロア環礁での抗議やイスラエル包囲下のラマラの「人間の鎖」に参加し、反グローバリズムの闘いとしてシアトルの反WTOの闘争に参加し、地域に根ざした農業と結びついた闘いとして遺伝子組み換え薬種を強行伐採したり、マクドナルドの進出に抗議し建設中の店舗を解体するなどの行動を積極的にけん引し、このためこの八月まで三ケ月の入獄をせまられた。
 各地の集会でボベさんは、「多国籍企業の経済に対しては政治的決定で対抗する。人権の立場で商取引を規制すること」、「不正に対しては行動を」、「闘いのグローバル化を」と訴えた。
 二十七日には、八一年にラルザックに代表団を送った三里塚農民との交流を二十一年ぶりに行った。
 大阪での二十八日の歓迎集会は、会場一杯の八百名を集め、最も盛況に行われた。集会は前述のボベさんの講演の他、ATTC・関西の主催挨拶があり、日本の運動から、「自給を進める百姓たち」の橋本さん、APWSLの山原さんの発言があり、更に、この間反グローバリゼーションを課題として、スローガンに掲げ、野営陣地での学習会を開いている釜ケ崎反失連の大戸さんが、「野営陣地より百名で参加した。反失連の闘いと反グローバル闘争を結んで闘う」と決意を述べた。
 ジョゼ・ボベさんは、離日後の十一月五日、遺伝子組み換えイネ引き抜き抗議行動に対し、禁固六ケ月の判決を下され、以前のトウモロコシ事件での猶予刑を取り消されて十四ケ月の懲役となり、十一月十九日に確定する上告破棄の弾圧をうけた。(関西M通信員)