アンソニー・ギデンズ著   
   『第三の道』を評す
      野宿労働者運動の前進の為に   
                          深山和彦

    はじめに

 野宿労働者運動は、その当初、国家・行政当局の野宿労働者に対するの排除と対決するところから出発した。
 しかし、野宿労働者の増大と運動の発展とにより国家・行政当局も排除では問題が解決しないことを認めざるを得なくなり、自立支援策を検討し始める。それとともに、主戦場は、単なる排除をめぐる攻防領域から、自立支援策の内容をめぐる攻防領域に基本的に移行したのであった。この主戦場の移行を確固とするために運動は、特別立法の制定を求めていく。この転換局面において、「反排除」「野宿の権利」を実質上自己目的とする傾向が、運動の前進にとっての桎梏として立ち現れた訳である。
 昨年夏、支援法の制定が勝ち取られた。それは、上記の傾向との路線闘争を、基本的に決着づけたということでもある。ただしこの路線問題は、主戦場からはずれたところでだが、残存しつづけるだろう。
 これからの主戦場での攻防においては、野宿を大量的に生み出しつつあるこれまでの社会=経済システムに換えて、どのような新たな社会=経済システムを構想し、たたかいとり、創造していくのか、その為に支援法をどのように活用していくのかという点において、運動主体の路線が鋭く問われずにいない。この戦場においては、支援法制定運動の中で「第三の道」派との合作が創られてきた訳だが、今後の支援法をテコとした就労支援システムづくり、町づくりにおいて、この合作は一層大きな力を発揮するに違いない。この合作を確固として推進するためにも、その限界を含めてここいらで、相手の路線の基本を正しく把握しておかねばならない。
 「第三の道」とは何か? イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズが著した「第三の道」(佐和隆光訳、日本経済新聞社)をとりあげて、検討してみることにする。

 @ 名称の由来と政治性格

 ギデンズは、「第三の道」をつぎのように性格付けている。
 「過去二、三〇年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案のための枠組みである。別の言葉で言い換えれば、旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道、という意味での第三の道なのである。」(p55)
 「第三の道が目指すところを一言で要約すれば、グローバリゼーション、個人の生活の変貌、自然と人間との関わり等々、私たちが直面する大きな変化の中で、市民一人ひとりが自ら道を切り開いてゆく営みを支援することにほかならない。」(p115)
 「第三の道の政治は、グローバリゼーションを肯定すべきである。……
 グローバリゼーションは国民の結束と伝統的価値を脅かすものだ、と決め付ける極右の経済的かつ文化的な保護主義者に、社会民主主義者は対抗しなければならない。……
 ただし、第三の道の政治は、グローバリゼーションと自由貿易の全的支持との間に、一線を画すべきである。自由貿易は経済的発展の原動力となり得る。しかし、市場の力は社会と文化を破壊しかねないから、自由貿易がもたらす様々な帰結に対する監視を怠ってはならない。」(p115)
 「集産主義を放棄した第三の道の政治には、個人と共同体の関係を再構築し、権利と義務のあり方を見直すことが求められる。……
 新しい政治の第一のモットーは、権利は必ず責任を伴うである。…旧式の社会民主主義は、無条件に権利を要求する傾きが強かった。個人主義が浸透するにつれて、個人の権利に義務を伴わせる必要が高まった。……
 現代社会における第二の原則は、民主主義なくして権威なしである。…
 伝統や習慣の影響力を失った社会においては、民主主義なしに権威を確立することはできない。新しい個人主義は、必ずしも権威を干からびさせるのではなく、人々の行動と参加による権威の再構築を求めるのである」(p116―117)と。
 ここから浮かび上がる「第三の道」の特徴は、多国籍展開する金融独占資本の利益に奉仕する新自由主義グローバリズムを推進しつつ、同時に、その下で進行する社会の破綻に抗して新たな社会づくりに起ち上がりはじめた人々の営みを支持し、これを一層民主化された国家の枠内に包摂する、といったところであるだろう。資本(=労働手段)の拡大再生産という環境下でパイの分け前を要求する改良主義から、資本(=労働手段)の拡大再生産の時代が終り「人間」を目的とする社会を人々が模索し始める環境下、この趨勢に自己を適合させこれを体制内に包摂する改良主義へ、これが「第三の道」への路線転換の本質である。
 すなわち「第三の道」のこの本質は、動き始めた社会革命にとって、ある程度まで促進的であると共に、限界を有しているということである。 

 A 社会変革目標

 キデンズは、「第三の道」が目指す社会変革の目標について次ぎのように述べている。
 「アクティブな市民社会を育て上げることは、第三の道の政治に課せられた、最も重要な課題の一つである。市民社会が衰退しようとしまいと、旧左派にとっては、どこ吹く風であった。それとは対象的に新左派は、市民社会の盛衰を大いに気にかける。」(p137)
 「政府が取り組むべき主要な課題の一つは、貧困層における市民的秩序の回復を支援することである。…
 市民参加が最も後れているのは、経済的、社会進歩に取り残された地域や近隣においてのことである。貧しい地域社会を蘇生させるには、より広範な市民意識を涵養する必要があり、そのためには地域の経済振興が必要となってくる。」(p143)
 「ほとんどの国は、一九五〇年代後半に導入された『専門的な警備のあり方』を実践している。…しかし、グローバリゼーションが上から下への権限委譲を促すという傾向は、警察権限においても例外ではない。
 犯罪の摘発よりも、犯罪の防止に重点を置こうと言う新しい考え方は、コミュニティー単位の警備という考え方と表裏の関係にある。
 警察と市民の協力体制を樹立するには、政府諸機関、刑事司法制度、地域の諸団体、コミュニティーの組織の協力関係が、ありとあらゆる経済団体や少数民族団体等を巻き込んだ、包括的なものとならなければならない。」(p153)
 「家族のルールとは何なのか。それは民主主義の一語につきる。」(p160)
 「第三の道の政治は、平等を包含(inclusion)、不平等を排除(exclusion)と定義する。
 これらの用語については、若干の解説を要するであろう。
 最も広い意味での包含とは、市民権の尊重を意味する。もう少し詳しく言うと、社会の全構成員が、形式的にではなく日常生活において保有する、市民としての権利・義務、政治的な権利・義務を尊重することである。
 またそれは、機会を与えること、そして公共空間に参加する権利を保障することをも意味する。
 自尊心を満足させ、生活水準を高める上で、労働が中心的役割を果たす社会では、仕事へのアクセスが、機会を拡大する要因の一つに数えられる。また、教育は必ずしも雇用の可能性を広げるわけではないにせよ、機会を拡大する効果を間違いなく有している。」(p173―4)
 「指針とすべきなのは、生計費を直接支給するのではなく、できる限り人的資本(human capital)に投資することである。私たちは、福祉国家のかわりに、ポジティブ・ウェルフェア社会という文脈の中で機能する社会投資国家(social investment state)を構想しなければならない。」(p196―7)
 以上から見ることのできる「第三の道」の社会変革の諸目標における肯定面は、次の点にあるだろう。
 第一は、「アクティブな市民社会を育て上げること」を重視し、「市民参加」を促進する姿勢を押し出していることである。
 今日の社会発展の推進力は、かつてのような労働手段の発達(物的豊かさへの欲求)ではない。今日の社会発展の推進力は、人々の自由な自己発展(その欲求)に移行しつつある。労働手段(資本)が主役に時代から、人間が主役の時代へである。そうした中で今日、いまだ資本主義が支配的な時代ではあるが、人々の「参加」の要素を欠いては、生産活動も、地域生活も成り立たなくなってきているのである。
 「第三の道」は、時代のこの変化に自己を適合させ、この変化を支持する姿勢を明らかにしている。われわれは、労働者の「参加」にあれこれの制約を加えようとする側面は批判しつつ、この側面と協力して、労働者が変革の力を大胆に展開できる政治環境を創り出していかねばならない。
 第二は、社会崩壊の諸現象が各方面に現れてきている中で、危機意識を持って対策を立てようとしていることである。
 今日、労働手段の成熟と人間の自由な自己発展への欲求の増大という物質的生産諸力レベルの歴史的な飛躍が、資本主義の下では、世界的規模での投機資本の肥大化と資本間競争の過激化、地球環境破壊、労働に対する監視の飛躍的強化と大量失業、支配システムの構成環を成す既存の学校制度や家族制度の機能麻痺、などとして否定的に現れ、社会を崩壊に導いている。こうした中で注目すべきは、新自由主義が現代の環境問題や失業問題等々に関し基本的に意に介さないのに対して、「第三の道」がそれらを社会崩壊の兆候と捉え、危機意識を持って対策を立てようとしていることである。
 もとより真の打開策は、資本主義に代わる新たな社会システムを構築する方向にしかない。われわれは、「第三の道」派がこの方向に一歩でも前進しようとするならこれと合作していかねばならない。
 第三は、「生計費を直接支給する」福祉から、個々人の能力開発を支援する福祉へ、という発想の転換があることである。
 この転換は、個々人の条件と欲求に応じた「自由な発展」を支援する未来社会の福祉へと向かう時代の趨勢に規定されてもいる。この方面にも、「第三の道」派と合作できる可能性が開かれている。
 しかしわれわれは、「第三の道」の社会変革の諸目標における否定面、「第三の道」派との合作の限界についても、わきまえておかねばならない。
 第一は、「市民参加」が、ブルジョア国家、資本主義、市場経済の枠組みを前提に、それらの下位システムとして位置付けられている。つまり、ブルジョア国家、資本主義、市場経済を廃絶し、社会革命を最後まで完遂する構想と運動を欠いているということである。
 第二は、ブルジョア階級の社会システムが崩壊した地域における対策が、労働者の自己解放運動として新たな社会システムを創造する方向をもって提起されるのではなく、ブルジョア的秩序(市民権の尊重、公共空間への参加、雇用)への排除された人々の包含(inclusion)として語られている。つまり、既存の社会システムの弥縫方策の域を出ていないのである。
 また今日の家族崩壊に対する対策が、その最深の根拠である夫の妻に対する・親の子に対する経済的支配、すなわち私有財産制度と社会的分業(男女の役割分業を構成環とする)への隷属構造を打破することに基軸を据えず、経済的支配には手を触れずに民主主義的関係の徹底化を説教するというレベルに止まっていることである。
 第三は、福祉政策の転換が、「人」に目を向けながらも、国家を財政破綻から救出する目的、経済構造の再編成にともない資本が必要とする労働力を育成する目的に限界付けられていることである。 

 B 政治変革目標

 ギデンズは、「第三の道」が目指す政治変革の目標について、次ぎのように述べている。
 「国民国家とナショナリズムはヤヌスの双面である。すなわち、国家は市民を統合する枠組みであるのに対し、ナショナリズムは好戦的に傾きやすい。……
 ナショナリズムを抑止するのは、コスモポリタン国家でしかない。国民国家間の大規模な戦争を抑止するための鍵となるのは、コスモポリタニズムである。」(p215)
 「国民的アイデンティティーが、国家間の親和性を高め得るのは、アンビバレンス、すなわち帰属の複数化に対して、それが寛容である限りにおいてのことである。…
 国民的アイデンティティーは、個人のアイデンティティーの確かな源泉である。…
 国家の一員はコミュニティーの内外を差異化し、コミュニティー内の人に対してのみ、しかるべき義務を負う。…国家は、市民が関心を持つ諸問題について、市民一人ひとりの意思を反映する仕組みを構築しなければならない。」(p216―218)
「国家と政府の改革は、第三の道の政治、すなわち民主主義の深化・拡大の過程における基本原則の一つとされねばならない。…
 民主主義の民主化は、何よりもまず脱中央集権化を意味する。…通常の行政手続きが市民の監視を受けるようになり、従来は腐敗とみなされなかったことが腐敗とみなされ、受け入れられていたことが受け入れられなくなったのである。…正統性を保ちつづけるためにもしくは失った正統性を取り戻すために、敵不在の政府は、行政を効率化する必要に迫られている。…直接民主制は、地方政府と中央政府の在来型の投票に置き換わることはないけれども、将来、それらを補完するものとなるだろう。…危機管理能力を有することが、敵不在の政府の正統性の根拠と見なされるようになる。…政府は、その目を世界に向けなければならないし、下からの民主化は、地方自治体の枠内に収まりきらない。上からの民主化は、市民社会の刷新を先導する。」(p122−135)
 以上から見ることのできる「第三の道」の政治変革目標は、一方で米帝を主柱とする国際反革命同盟体制を強化し、他方で諸国家の民主化を推し進めるというものであり、多国籍展開する金融独占資本の利益に奉仕する目標に他ならない。
 すなわち国際関係に関する「第三の道」の態度は、世界市場を分断してしまう偏狭な民族主義に反対する。だが同時にそれは、米帝の支配的地位を受け入れることであり、小国に対しても敵対的割拠を容認せず、多国籍企業の活動しやすい制度を強要することでもある。
 各国家の支配体制に関する「第三の道」派の態度においても、民族排外主義に反対し、諸民族の共生・融合を促進する態度、総じて国家の民主化を促進する態度がある。しかし同時にそれは、国家を美化する態度、国家の廃絶に向かう時代の流れを国家の民主化の枠内に包摂し、押し止める態度になっている。〔了〕