編集部だより

◆日本の歴史において、仏教の影響はきわめて大きなものがある。それは世間、大衆、出世、縁など、今日に至るも使われている言葉が仏教からきているということでもわかる。◆言葉といえば、唯物史観で重要な概念の一つに、必然性というものがある。日本では、必然性とは、「必ずそうなる」という意味合いが一般的な理解であろう。だが、欧米では、論理的な必然性という意味と、もう一つ必需・必要という意味がある。必需・必要という側面には、主体的な側面が表現されている。個々の人間が資本主義にどのように向き合おうが、絶えず再生産される資本主義の諸矛盾は、新たな人々に絶えず資本主義の根本的解決を迫り、どのような紆余曲折があろうとも、それに応える人間を絶えず生み出すということである。◆何故、日本では主体的側面が欠落するのであろうか。それには複雑な要因があるのであろうが、ただ一つ言えることは、仏教の影響である。自然法則と社会法則を区別しないで、現世をただ自然の移ろいに沿うように、「あるがまま主義」「なるがまま主義」で生きるようにすすめたのは、紛れもなく仏教思想である。◆資本主義による自然破壊を目の当たりにして、単純に東洋思想への復帰を唱える反動的傾向がある。そうではなくて、問われているのは、自然と社会の法則の区別のうえで、自然法則内での、社会発展である。そこではもはや経済成長第一主義は無縁である。(竹中)