書評

月刊誌『創』02年11月号(創出版)

  塩見孝也氏のインタビュー記事を読んで

                              深山和彦

 元赤軍派議長・塩見孝也氏が、雑誌「創」(11月号)に「『よど号』グループよ、拉致問題の真実を語れ!」と題するインタビューを掲載した。そこにおいて彼は、「よど号」グループへの「乗り移り」で政治的延命を策してきたこの間の路線を捨て去り、「よど号」グループに「自白」を迫る側へ鞍替えすると、天下に声明した。警察と立場を同じくしたのである。転向声明である。
 塩見氏は、周りにかつての同志がただの一人もいなくなって既に久しい。「元赤軍派」の恥、「元ブント」の恥としかいいようのない彼の在り様に「引退」の勧告も為されてきた訳だが、ここまで来たらもう忠告しても無駄だろう。とことん「帝国主義の手先」の役割を果たしたらよいと思う。
 
1、 自己保身

 塩見氏は、「創」で次ぎのように述べている。
 「今『よど号』グループを動かしているのは、革命とか日朝友好ですら関係ない、本質的には彼等の自己保身でしかない」と。
 これほど恥知らずな言はない。それというのも塩見氏こそ、この30年の「自己保身」歴の集積をもって今日在る存在だからだ。
 塩見氏は、70年代前半期の総括論争において、赤軍派の路線の全面的破産を認めようとしなかった。軍事第一主義であり、大衆運動から離れたところで武装闘争を追求する赤軍派の路線と同志殺しとの深い結びつきを、彼は認めようとしなかった。銃撃戦は正しかったが、粛清は間違いだった。粛清事件は、森恒夫個人の資質から生じた問題である(俺がいれば起こらなかった)、と。それは、赤軍派の完膚なきまでの解体という現実を前にしながら「革命戦争路線」は正しかったと強弁する「元赤軍派議長」の自己保身であった。
 70年代前半期の総括論争は、大きな岐路であった。勇気を振るって誤りを認め、路線転換を計る時であった。国内の赤軍派の主だったものは、赤軍派へと至るブントの路線的根拠の切開を通して新たな路線を獲得し、労働運動の中に入っていった。しかし塩見氏の場合は、根本的な路線転換を為すことが出来なかった。ここに、彼の今日までの政治態度の原点があるのである。それ以後の彼の政治選択は、自己保身の積み重ねでしかない。
 一つのエピソード―八〇年代初頭、裁判中の塩見氏は、刑務所に居た私に弁護士を通して、田宮に全ての責任を押し付ける(「朝鮮に居るのだから気にすることはない」)方針に添って証言してくれと打診してきた。これにはさすがにあきれたが、既にそこまで腐っていたということである。
 塩見氏には、他人を「自己保身」だと批判する資格はないのだ。

2、 乗り移り

 このインタビューの中味の一つの特徴は、塩見氏が救援のレベルを超えて、「よど号」グループへの思想・政治的「乗り移り」をやって来た自己の態度について、曖昧にしていることである。彼は、自己の誤りを直視せず、主体的総括を回避する態度においては、一貫しているのだ。
 彼の「自己保身」路線は、出獄してからは、文字通り防衛的なものから脱し、政治展開しだす。それは、「よど号」グループへの「乗り移り」路線へと脱皮するのである。
 塩見氏個人の政治的再生のためにのみ為された「よど号」グループへの「乗り移り」は、獄中20年を献身的に支えた元赤軍派の最後の仲間達の切り捨て(逆に言えば塩見氏が見限られた訳だが)を通して強行される。朝鮮の「スターリン主義」への「乗り移り」に対して、皆あきれ果てたということのようである。もっとも私の立場から言えば、70年代前半期に問われたブント―赤軍派の破産の総括において、そもそも赤軍派の破産を認めない総括であったから、共和国の体制(官僚制国家資本主義の一形態)を正しく批判できるような世界観を獲得しえるはずもなく、「乗り移り」を正当化する主体的根拠を引きずっていたということになる。
 ともあれ、おのれの政治的再起の為に「よど号」グループを利用しようと「乗り移り」をやった者が、変わり身の早いのも当然だろう。「よど号」グループも、塩見氏(その前座の高沢)の本質を見抜けなかったのであるから、酷かもしれないが自業自得という感は否めない。
 
3、 転向 

 塩見氏は、「創」で次ぎのように述べている。
 「地獄のそこまで嘘を言い通すという小西らの対応をずっと追及し続けるのが、僕の基本的立場だ」
 小西氏ら「よど号」グループは、「拉致」はやっていないと否定している。ところが塩見氏は、「確信は、ある程度ある」といった自己の推測を根拠に、「自白」を迫っている。
 ここで彼が意図しているのは、実は、事の真偽の追及そのものではない。事の真偽の追及について言えば、「よど号」グループは「拉致」をキッパリ否定しており、いくら追及したところで塩見氏の期待する返事が引き出せないということは、塩見氏自身が確信をもって述べているところである。では何故彼は、「よど号」グループとの電話等でのやりとりに止めないで、「追及し続ける」とわざわざ公言したのか。結局、世間向けの政治的パフォーマンスだということである。自分は「よど号」グループと立場を異にしています、「よど号」グループを追及する側に立つことにします、と宣誓したかったということなのだ。「自己保身」である。
 塩見氏は、「元赤軍派議長」が「よど号」グループに対して「自白」を迫る構図を売り物にして、商売人としての勝負に出たのである。高沢が、「宿命」で勝負に出たのと同じである。しばらくは「元赤軍派」(高沢の場合は偽称)を売り物にして生きてきたが、いよいよ「元赤軍派」として貯めた内幕情報の暴露を売り物にして、ブルジョア・ジャーナリストへと転向、という訳である。

4、責任 

 塩見氏は、9月17日の日朝首脳会談(日朝国交正常化交渉再開の合意)についての態度を今日に至るも出していない。
 「不屈の共産主義者」を騙るならば、この歴史的事態に対する自己の評価を出来るだけ早く明らかにするべきだった。何をやっているのかと思いきや、彼がこの間専心していたのは、「よど号」グループ批判だったということである。右翼が、国交正常化交渉を歓迎せず、「拉致問題」を前面に押し出し利用してこれを潰そうとしているが、塩見氏のこの間の在り方は、この右翼の動きにぴったり呼応するものとなっていたのである。
 「創」の編集部が語っているように、塩見氏の転向声明の「影響は決して小さくない」だろう。もちろん、階級闘争にとってマイナスの影響として。ただし、膿が全部出てしまうという意味では、結構なことだ。
 われわれの責任の取り方は、一つしかない。30年前に踏み込んだ道、赤軍派の破産の教訓を活かし労働者階級・人民の自己解放運動の発展に資する道を進むことである。そして「赤軍派」の諸結果を、実践的に「清算」することである。(2002.10.10)

 

『ネコでもわかる?有事法制』

     小西 誠・きさらぎ やよい著(02年10月 社会批評社)

  動物もヒトも戦争へ!

  この本は、小西誠氏と、きさらぎ やよい氏との共著である。題名にも示されるように、この本は最初に、イヌ、ネコ、ウサギ、ハト、ウマ、ゾウなどをとりあげて、戦前日本の動物たちと戦争の関係から有事法制の問題性に切り込んでいる。人だけでなく、動物も含めたあらゆるモノが根こそぎ動員される、戦争の非情さである。
PART(パート)2では、有事関連三法案の中でも戦時基本法にあたる、武力攻撃事態対処法案を徹底批判している。PART3では、国民総動員のための自衛隊法改定案・国民保護法制の批判、PART4では、「自衛隊内の有事下の総動員規定」を紹介しながら、体系的に検討・批判している。この本の一つの特徴は、単に有事関連三法案の条文検討にとどまらず、「陸上自衛隊の戦略・戦術の基本書と言われる『野外令第2部』(陸上幕僚監部編集」を頻繁に引用しながら、現に自衛隊で実践訓練されている実態に即して、有事法案を具体的に批判しているところにある。
 最後のPART5では、「戦後憲法体系を全面否定する有事法制」と題して、有事法制は現憲法の停止を宣言するものだと、批判している。
 戦後日本は、平和憲法とそれを支持する人民の闘いで、本格的に対外戦争を遂行する体制づくりが遅れていた。今日、日系資本の海外権益の増大の下で、その維持のため、米軍と連携した軍事力の発動が切実となり、憲法改悪、有事法制化が急激に進められつつある。だが、原発が多数保有されている今日、戦争が勃発した場合の悲惨さは、誰しもが容易に想像できることである。国家武装と戦争発動に反対する声は、決して一部ではない。本書にもあるように、二〇〇一年のドイツでは、良心的兵役拒否者は、一八万二四二〇人に上り、徴兵対象者の過半数になりつつあり、イタリアでもその数は、三割に上っているといわれる。世界の反戦の闘いと連帯し、さらに奮闘しよう。 (T)