9・13野宿者支援法成立シンポに140名

  具体策の早急実施を


 去る七月三十一日、通常国会の最終日、野宿者自立支援法=「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」が成立した。
 これをふまえ九月十三日、9・13シンポジウムの集い「野宿生活者自立支援法成立 今、私達は何をすべきか」が、大阪エルおおさかで開かれた。この集いは、釜ケ崎=大阪より、昨年六月二十一日、七百名の結集で法案早期成立に向けた集会を開き、共同した闘いを創つ上げてきたNPO釜ケ崎機構、連合大阪、部落解放同盟大阪府連の三者等に、昨年末連続の講演の集いを開催してきた釜ケ崎講座が加わり、「9・13シンポ実行委員会」が形成され主催したもの。
 集いには、百四十名が参加し、会場からあふれるばかりであった。
 最初に、司会の「釜ケ崎講座」の渡邊充春さんが、シンポの意義について述べた。九三年に釜ケ崎反失業連絡会が結成され、府・市に対し施策を国に求めよ、と運動を開始した事、運動の長い取り組みが重なり、連合大阪の取り組みから民主党案への発展があった事、両者を中心に昨年共同した集会を持つなどの取り組みの上に法案成立がなされた事、その法の意義と活用により、今後の取り組みの方向を探るためシンポを持つに至った事を報告した。
 連合大阪の伊東文生事務局長が主催のあいさつをのべた後、来賓として民主党の衆議院議員の鍵田節成さんが発言した。
 鍵田さんは、民主党として、釜ケ崎の現実を見、要求を聞きながら、反映させるための法案作りを行ってきたこと、野宿を強いられていると見る事も出来ない多数の中で、まず民主党として提出したこと、提出と同時に各省庁のかけひき、綱引きにも会い、一定まとまりかけたが継続審議となり、今国会に与党案として再提出されたこと、ここで「公共施設の適正な利用の確保」の条項が盛り込まれたが、法案成立の妥協でもあるが、「運用に関する件」として衆議院厚生労働委員会で、この規定でホームレスを排除することを防じ決議が全会一致で採択されていることを報告した。

   労働者の街づくりを


 シンポにおいては、連合大阪中小対策部長の田中滋晃さんをコーディネーターに四人の方が意見を述べた。
 釜ケ崎就労・生活保障制度をめざす連絡会(釜反失連)の共同代表の本田哲郎さんは、九三年十月に釜ケ崎反失連が府市会に、府市連名で国に対し、「釜ケ崎総合対策に関する要望書」を提出されたいと請願の形で提出した要求が、出発点になったことをひもとき、出発時、反失業連絡会内部の「共通認識」としての要望のひとつに、釜ケ崎を今後も「労働者の街」と位置づけ、労働を通じて社会参加の道を求める人々の街であると認識する基本があった事、また、法せいどでの課題解決の満ちもおろそかにせず、市会・府会・国会での課題提起と決議をうながす運動を展開すると当時から確認しており、やっと法として制定された意義は大きいこと、不安な条項も含まれるが、なによりも、野宿者に対する施策が国の、また、地方自治体の責任であることが義務づけられたことが重要であることを確認したい、労働を通じた社会参加を通して、労働者の尊厳の回復を図る運動として更に発展させていきたいと、決意を述べた。
 連合大阪・中小労働センター所長の要宏輝さんは、法の成立の意義を労働運動の立場から見ると、ひとつに、従来、雇用保険と生活保護しかないセーフネットに自立・就労を軸とした網が張られたこと、ひとつに、失業者(三六〇万の完全失業、求職をあきらめた四五〇万、三四〇万のフリーター等)一千万という状態に対し、分配が適正な社会をというだけではなしに、社会再参画(一方での社会包摂)と、雇用・住宅・医療・福祉・教育の総合施策を講ずることが明記されたこと、このことの運用次第ではILOのいう「尊厳ある労働」(ディセント・ワーク)の道をも含んでいる事を重要視し、予算措置、更なる法制度の拡充や公的就労・仕事起こし等の課題にも方向を向けていく必要を述べた。
 大阪市立大学文学部社会学助教授の島和博さんは、釜ケ崎の生活実態調査に取り組んできた立場より、基本は釜ケ崎における「寄せ場」としての機能の弱体化と、労働市場の再編結果として野宿生活者が増大してるという事態の中での、また労働力政策や福祉政策まで含んだ「改革」が押しすすめられている中での法成立という性格を改めて把握しておくことが重要であること、その中では、政府の福祉システムの限界が見え、国と行政が従来排除相手であった労働組合、民間団体、そしてNPOに向かい合わざるを得なくなっており、そのせめぎあいの中で、この法を積極的に活用していく事の重要性について述べた。 西成地区街づくり委員会事務局長の冨田一幸さんは、この民主党案を基礎とした法の大事な点は、釜ケ崎・西成の「街の問題」を、自民の柳本議員の街起こしでの「街」を問題にした視点ではなく、そこに住む生活する「人間」の視点に立っている点を大位置に見る必要があることを述べた。同和行政からの経験から見れば、特別措置法ではあるが、基本法であり、「実施計画」とセットになり初めて意味を持ち、地方自治体の「計画」への政策提案が重要である事、民主党案の性格は社会包摂(ソーシャル・インクルージョン)でも「トランポリン」のような政策としての理念が含まれ、重要な役割を持っていたと評価できるのではないかと述べ、また、従来の「就労か保護か」という問題の立て方から、「半就労、半福祉」の就労支援事業の創出という性格を押しすすめる事が大事ではないか、そのための自治体発注事業の改善、民間企業でのトライアル雇用などの条件整備、もうひとつに「受け皿」としての事業体の創出整備があげられ、西成地域での具体的な街づくりに連動させて運動と活動を定着化させる重要性、可能性があることを、釜と連なる西成地区の立場から述べた。

  公的就労を早急に


 意見交換のあと、最後にNPO釜ケ崎支援機構理事長の山田実さんが、次のように述べた。法制定の現在でも、ある面では法の中にこっそり規定されている対策は、これまでの「自立支援」の延長であり、また、調査し計画し予算確保という段取りで立てられている。釜の野宿労働者の現実は、そのような段取りを待っておれない厳しさであり、早急な施策が必要であり、また、一年半で一千名入所、その内完全就労としては一割にもみたない「就労あっせん」という施策では対応できない多数の野宿生活者がいるということである。「公的就労の創出確保」を、二年計画等ではなく早急に出す事が必要であることを強調し、釜ケ崎の現場から府市・国に対し、要求し、行動する事を述べた。
 シンポは、法制定の意義を共通に確認しつつ、また法の持つ可能性について各々の立場から方向性を提起する内容となった。一方で野宿の厳しい現実から、法制定という成果の直下で、具体策の、早急な実施に向けて要求を出し、運動をつづける事の必要性を、パネラー、参加者が確認する場ともなった。
 

   大阪府・市に対し野営闘争に突入


 シンポの集いの中でも明らかになったように、法制定後も闘いがなければ調査も計画も具体的解決策も出てこない。
 九月十日、釜ケ崎反失連や新宿連絡会等全国七団体により、対厚生労働省・国土交通省交渉が行われた。基本方針が策定されておらず、具体的回答は未だ提出されなかったが、法制定後、全国の運動体がいち早く実施策を求めて、行動を行った意義は大きい。
 釜ケ崎では翌九月十一日、対府・対市交渉を釜反失連が行った。「勝利号」や自転車でかけつけた仲間を入れて、要求行動が行われた。
 釜ケ崎の要求は、厚生労働省の概算要求にみられた、自立支援センターからの仕事あっせんなど自立支援事業の拡張を基本とする拡大では不十分であり、直ちに野宿から脱出を果たせるような公的就労を創出せよ、を中心とした具体的解決策を要求した闘いとなった。従来、全国的に先駆的事業も行われてきた大阪・釜ケ崎であり、人数的にも大阪・釜ケ崎で具体的な仕事の創出こそが必要となっているのだ。調査し、「二年後」には計画を、という悠長な状態ではない。これまでの自立支援センターと公園シェルターをつくる当面の対応策を繰り返す訳にはいかないのだ。
 府市の回答は、「ホームレス基金を国につくらせ、その中で公的就労を自治体の方針でやっていきたい」と、看板を掲げるだけであった。
 釜ケ崎反失連は、まず野宿から脱出できる仕事を求め、九月二十七日より、六月野営闘争に引継ぎ、大阪城の府庁前遊歩道公園に野営陣地を設営し、三十日より野営闘争に突入した。約四百名が泊まり込み、三十日より、府議会初日から傍聴行動に突入した。
 今秋闘争は、仕事を出させるまで闘われる。対府・市への交渉、ターミナルでの市民への情宣、カンパ活動など。二十九日から関西新空港現地闘争が取組まれ、アフガン攻撃開始一周年の七日また10・21には有事法制・戦争反対集会への参加など政治課題での取組みも、仲間で隊列を作り、取組まれる。
 全国の寄せ場、野宿の現場から公的就労要求を軸とした闘いを創り出そう。(関西S通信員)