11月沖縄県知事選挙 困難な局面越えて

  小異を残して大同団結を


   日共は分裂選挙中止せよ

 十一月十七日投票の沖縄県知事選挙に対して、日共は十月四日、とうとう独自予定候補を立てた。数か月にわたるドタバタ劇のはてに最悪のケースを選んだ。現職・稲嶺に対するに、すでに九月二十四日出馬表明した吉元政矩と並んで、新垣繁信を分裂して立候補させるわけで、県民大衆に対して戦わずして敗北を押しつけるものである。これ以上の大衆軽視・侮辱はない。
 おそらく日共自身も最善の策だとは思っていまい。ボタンのかけちがいから、もがいてきた結果、独自候補擁立の喜劇を演じざるをえなくなった。
 ボタンのかけちがいとは何か。五月段階で、社大党・新垣重雄書記長が招集した五党(社大、共産、社民、民主、自由連合)による協議会は、普天間基地の県内移設反対などを政策合意として決定し、候補者として照屋寛徳(前参院議員)の擁立で大勢が一致していた。妥当な人選である。
 しかし日共は八月、「拒否権」を発動して、照屋をつぶした。この「照屋つぶし」には正当な理由などない。昨年参院選でのセクト争いの延長以外には、理由がない。
 本命を正当な理由もなくつぶした日共は、あせりと点数かせぎから、山内徳信(大田県政時の出納長、元恩納村長)擁立のキャンペーンを始めた。しかし、日共のこのキャンペーンによって、山内擁立策を持っていた社大党は行き場を失うこととなった。日共イニシァチブによる山内擁立キャンペーンは、山内氏本人と社大党に嫌悪され、「山内」もつぶされた。日共は「照屋はイヤだ」と言ってつぶし、「山内が好きだ」と言ってつぶし、自己チューのかぎりをつくした。
 そして、五党協議では名前が出ていなかった「吉元」が、照屋、山内の本命が消えるのを待っていたかのように出現して来た。
 日共が拒否権を使わなければ「照屋」は成立していたし、山内キャンペーンを張らなければ「山内」は成立していた。「吉元」成立は、日共自らがたぐりよせた結果でもある。あわてふためいた日共は、「吉元は革新ではない」と言い、「革新で無党派を立てなければならない」と言った。しかし日共は、知事選を統一候補でたたかおうとして成立した五党協議をぶちこわし、結局、恥知らずにも敗北の分裂候補擁立に行きついたのである。
 

  昨年参院選の敗北繰り返すな

「照屋」つぶしの背景は、昨年七月の参院選までさかのぼる。この〇一年参院選は、翌年二月の名護市長選の直前というタイミングで、名護の市長選と新基地反対運動にもろに影響を与えるばかりでなく、現在の知事選にも重大な作用を及ぼす政治的位置にあった。また沖縄でただ一人を選出するわけで、「軍事基地」と「反戦平和」をめぐっての沖縄人民と日本政府の対決構造を鮮明に描いてみせる場でもあった。また、利益誘導の要素は除けないとしても、地縁・血縁の影響が少ない選挙であるから、対決構造の総数的調査、県民投票とも言えるものであった。県民大衆はこの選挙を通じて、日本政府に目にものをみせたかった。
 結果は次の通りであった。
照屋(共闘) 245375
嘉陽(共) 46401
西銘(自)  265821
 照屋と嘉陽を足せば、西銘を25955票上回っており、沖縄人民側が日本政府側に勝っているのである。しかし現実の選挙結果は、二万票差で照屋は西銘に敗北した。この参院選の革新分裂とその結果は、その後の運動に巨大な矛盾を生み出したにちがいないが、表面では沈黙が続いた。
 この参院選中、日共サイドでも、「分裂してまで立てるべきではない」、「嘉陽に入れるのは死票どころか西銘に入れるのと同じだから、入れない。比例は党に入れる」等々、党内外の批判・不満が噴出した。それを、「協定を結ばない照屋が悪い」、「革新共闘の看板たる大田が社民党比例区で出たのが悪い」だの、社民党側のある意味で当然な限界をもち出して責任転嫁し、党内を押さえこんだ。党外に対しては、「県民の願いにそむく結果になったかも知れない」、「軍事基地反対の一点で一致し、共闘を作り出していく。その基礎ができた」などと粉飾した。沖縄人民に対して利敵行為を謝罪せず、自己批判も政策上の見直しも行なわなかった。日共の獲得票数は、沖縄選挙区で半減、とくに市民運動の前線の名護で七割を失い、比例区でも七割を失った。
 日共は、参院選で分裂選挙をやり、あれだけ居直りをやっていては、今回、「照屋」を容認することが特に党内に対してできなくなる。あのときの説明がすべてウソになるからだ。あの惨たんたる選挙結果を正しく総括しえていたなら、「照屋」にYESと言えたし、再び三たびの窮地を迎えることもなかった。
 日共に対し、日本政府に対する沖縄人民の軍事基地撤去の闘いの発展を第一義的に考えること、党利や党の言い分は第二義的に考えること、妥協が不可欠であることを率直に認めること、最後まで他の四党その他の民主的な人びとの共闘をあきらめず、「独自候補」=新垣氏の出馬を考え直すことを提案したい。

  吉元陣営は「反基地」明確にせよ

 照屋寛徳氏、山内徳信氏ら本命が消去されていったのち、虎視たんたんと狙っていたのが吉元政矩氏(大田県政時の副知事)である。旧県労協系(平和センター)が主導し、社民党、連合沖縄が推せんしている。
 吉元氏は、自治労OB・現役員の人びとと共に研究機関『21フォーラム』を経営し、労働運動とくに自治労運動に影響力を保有している。日本政府官僚との人脈があり、政府に助言できるポジションにある。経済学者らとの連携も持っていると言われている。
 彼は、かつて県職労の書記長も長期にわたってやっているが、なぜか市民運動の活動家らには親近感をもたれていない。副知事時代には、「県内移設」論を口走ったり、「(政府・自衛隊が法律に基づいて自治体に要求した場合)機関委任事務として粛々と実行せざるを得ない」と発言するなど、米・日の安保条約支配体制、米軍用地特措法などを打破しなければ基本的人権を確立できない沖縄人民にとっては、彼の個性や顔がどこを向いているかは不鮮明である。
 彼は九月二十四日の出馬表明で、「現知事の公約の『十五年使用期限』は、米軍の戦略から見てもミスリードだ」、「不要な基地は造らせない」と述べた。事実上、県内に新基地は造らせないことを公約としたのであるが、過去の言動はこれと矛盾するものがある。
 吉元氏の、沖縄人民の反基地闘争、とくに名護の闘争などへの定見がいかなるものであってきたかに関わらず、稲嶺に対して戦いを挑む以上、名護・辺野古での新基地建設に反対することを明確に掲げなければ、戦いは成立しないであろう。吉元氏の支持母体を含めて、新基地反対を貫けるのでなければ戦いにならない。
 吉元擁立の母体ともなる連合沖縄は、名護市長選時に、新基地建設に反対して闘った宮城康博氏を「支持しない」とすることを、わざわざ決定し、宮城敗北に貢献している。名護の新基地建設に反対する沖縄の、およそ七割の人びとの支持を得なければ、稲嶺に勝つことはできないし、稲嶺と戦う意義もない。連合は、これらの人びとにどのような連帯感をアピールし、団結を提案できるのだろうか。生半可な公約では、走り出さない選挙にもなりえる。
 沖縄人民大衆は今、むずかしい局面に立たされている。しかし、新基地阻止の公約を吉元陣営に明確にさせることを通じながら、反基地勢力を拡げていく独自の取り組みは可能であるだろう。どちらかと言えば、日共の分裂選挙の問題の方が、問題が大と言えよう。日共は分裂選挙を中止せよ。
 私たちは、あくまで大同団結を求め、日本政府の沖縄犠牲の戦争政策・基地政策と闘うことを第一義において、あきらめることなく、投げ棄てることなく、あらゆる段階で取りえる最良の方法を取って前進して行かざるをえない。
 今、どうするか? 中期的にどうするか? 長期的にどうするか? 討論! 団結!  小異を残して大同へ!   (T)