9・30 JCO臨界被曝事故三周年集会

  東海村被曝者の闘い支援を


 九月三十日午後六時半ごろから、東京の中央区京橋プラザで、JCO臨界被曝事故3周年集会が開かれた。
 主催は、市民団体・労働者団体や個人による9・30実行委員会で、当日小雨まじりの悪天候であったが、約二〇〇名ほどの結集でおこなわれた。
 集会は、柏木信泰(アソシエ21)さん、阿部則子(いろりばた会議)さんの司会で行われ、最初に実行委員会の柳田真(たんぽぽ舎)さんから基調報告がなされた。報告では、二人の死者、七〇〇人弱のヒバク者、三一万人の避難者を出したJCO臨界事故に怒り、その責任を追及する三年間の共同行動をふりかえりつつ、「今こそ原発廃止」を、と訴えた。そして、今後の運動の方向として、 JCO事故の原因と責任を追及する。教訓を運動として広げる。 臨界事故被害者の会の運動を支援する。 電力会社と国の共犯=原発データの改ざん・事故隠しを徹底追及する運動の一翼を担おう。 今こそ原発廃止へ〜推進派のまき返しをゆるさない―を提起した。
 次に名城大学教授の槌田敦さんから『JCO事故と原発事故』と題した講演をうけた。槌田氏は、この間、JCO臨界事故調査市民の会の代表として、会の人びとともに、事故原因の調査を積みかねて来ており、その成果が講演された。講演によると、JCO事故の基本的原因は、科学技術庁、原子力安全委員会が「適切な形状管理をしなかった」というお粗末さにある。事故の基本的責任は、安全委と科技庁にあり、動燃も同罪である。最大の責任はやはりJCOにあり、「臨界をまったく知らない作業者には、責任は一切ない」のである。
 次に、たんぽぽ舎の山崎久隆さんから特別報告「電力会社と国の事故隠し」が行われた。報告で印象に残ったのは、損傷を隠し、報告もせずに原発の運転を続けることが長年の体質となっている危険性と、「失敗に学ばない」という基礎的な誤りが続いているということである。「失敗に学ばない」という点では、政治・社会問題(例えば第二次大戦の戦争責任など)だけではなく、科学技術の世界でも日常化している点で同じことであろう。それなのに「技術信仰と過信」がまかり通っている現状は、きわめて深刻である。
最後に臨界事故被害者の会の大泉実成さんから訴えがあった。それによると、損害賠償についてこの間交渉してきたが、JCO側は風評被害についてはわずかばかり行うが、人間への被害については完全にゼロ回答であった。JCOのその姿勢には、国が強力にバックアップしているとのことである。被害者の会では訴訟について三回にわたる総会で討論を積み重ねてきた。中では、裁判をやっても病気が治る訳ではない、結婚に際して差別されるのではないか、などの意見が多くでた。それでも大泉さんの両親のように事故の真相と責任の追及のためにも訴訟したいという人もおり、これには会のひとびとも理解してくれたという。社会における差別体質、五〇年間もかけて作られた原発村としての政治環境などもあり、結局臨界ヒバク事故での損害賠償を要求する訴訟は、現在、大泉さんの両親の二人だけであるが、全国各地からの物心両面の支援がほんとうに求められている。
 JCO臨界事故の刑事裁判は、九月二日、水戸地裁で、検察側が元会社幹部らに禁固四年〜二年六月の求刑がなされている。だがそこでは、長期間の違法行為を見逃してきた国の安全審査のズサンさや、無理な注文をした動燃の責任には全く触れられていない。これではまた同じ過ちを繰り返す可能性は十分にあると言わざるをえない。一説では、特殊法人の動燃が裏金作り(地元対策費を捻り出すために)を目的に、JCOに無理な注文をしてきたという指摘もある。であればこそ、国や動燃の責任を問わない裁判は、茶番でしかない。これでは「失敗から学ぶ」ことなどとうてい不可能である。
 集会後、参加者は銀座〜東京電力にむけ、キャンドル・デモをおこない、反原発を訴えた。 (H)