荒木氏へのアドバイス

野宿者支援法活用できる路線を

                           深山和彦

 「赤星」(02年9月号)に、山谷争議団の一員でもある荒木剛氏が、「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(以下支援法)、および、我々の路線に関して批判らしきものを掲載しているので、反批判がてら若干の指摘をしておきたい。趣旨は、表明されている荒木氏のスタンスが、山谷の野宿労働者運動の一層の決定的とも言える無力化に道を開くものだということである。荒木氏は、そのことに無自覚なようである。

1、 野宿者の要求に立脚しない路線は転換すべき

 荒木氏は、新宿連絡会の笠井氏に「野宿者運動を『反体制運動』に変質させようとする部分がいる」と批判されたことに対し、「体制(マジョリティー)の側ではない少数派の人々の運動が反体制運動となるのは必然ではないのか」(「赤星」02年9月号)と反発している。笠井氏は、荒木氏たちが野宿労働者の最も切実な要求に立脚して運動を組織する態度に欠けていること、おのれのさび付いた「観念」の範囲内に野宿労働者運動の発展(要求の実現)を押し止める態度について批判したのである。これに対して荒木氏は、野宿労働者運動の発展(要求の実現)より「反体制」が大切だ、と開き直った訳である。
 多くの調査が示す通り野宿労働者の要求の中心は「仕事」である。しかし、野宿労働者にとって一定の武器になる「生活保護法」などの現行法は、この大失業時代に「仕事」を確保する助けになるかというと、そうした要求に正面から応えるものでないことは明らかである。だからこそ、特別法制定要求運動は、野宿労働者の支持を得てダイナミックな運動になったのである。
 支援法獲得の運動の発展は、自己の「反体制」性を売り物にするために野宿労働者運動の内に身を置く転倒した人々をしりごみさせずにいなかった。それというのも支援法の獲得は、野宿労働者運動が闘い取るものであると共に、社会の破綻の現れの一つである「ホームレス問題」に対して、対処を問われた国家と諸階級諸階層の超党派的協議を介して実現される性格のものだったからである。 
 今になって荒木氏が「現行法だけでは不十分であり、立法化をも射程に入れていた」(同上)というのはウソである。彼の実際の態度は、荒木氏がそれしか注目しない「適正化」条項が現れるはるか以前から、そもそも釜ヶ崎が特別法制定運動を起こそうとした当初より、しりごみ的だった。野宿労働者の先頭に立って能動的に闘い取る態度を一度も見せたことはなく、特別法制定運動の外部に身を置いて、法案が出てきてからその問題点捜しにのみ神経を使っていたのである。
 荒木氏は、野宿労働者のダイナミックな大衆運動として展開された支援法制定運動に何故おのれが能動的に関われなかったのか、自問すべきだろう。

2、支援法の基本性格を見ようとしない路線は転換すべき

 荒木氏は、機関紙「プロレタリア」(七月一日号)の私の論文を引用して批判しているが、使用した語句の意味を取り違え、おかしな論旨の流れになってしまっている。語句の意味の取り違えを指摘することに紙数を使いたくはないが、文脈からすると大事な語句なので、誤りを指摘しておきたい。
 荒木氏は、わたしの論文から<「基本的性格が確固としていれば、公園等に関する『適正化』条項が挿入されたとしても」「可能な範囲の妥協なのである」>という主張を引用し批判している。彼はここで、「基本性格」の意味を「釜ヶ崎のNPOを中心とした運動」だと取り違えて断定し、NPOの評価を巡る議論へと移っていってしまっているのである。
 この「基本性格」が何を意味するのかは、私の論文を読めば誰しも明らかだろうと思う。引用された上記の箇所のすぐ前において、「支援法は、人が野宿をしないで済むような総合施策を、野宿者の人権を尊重しつつ実施することを国に義務付けるものである。支援法の基本性格はこれである」と述べ、これを受けた展開の中で上記の箇所があるからである。
 さて荒木氏は、支援法が「強制排除」のための法案だと強弁する。彼は、支援法のこの「基本性格」を見たくない、その気持ちが強すぎて本当に見えないのかもしれない。だから「基本性格」の意味を無意識に取り違えて読んでしまったのだと思う。しかし支援法の基本性格は、支援法そのものにおいても、衆議院厚生労働委員会決議によっても、明確なのである。支援法のこの基本性格を無視した公共施設の「適正化」は違法行為になる。当の「適正化」条項においても、「ホームレスの自立の支援等に関する施策との連携を図りつつ」との条件が付されている。あとは、運動の側がこれを活用するか否かの問題である。
 千葉県・市川市によって八月二日になされた野宿者に対する公園・駐輪場からの強制排除通告は、支援法成立後はじめての排除攻撃として注目された。この攻撃は「都市公園法」および「市川市都市公園条例」、「所有権に基づく妨害排除請求権」などを法的根拠にして画策されたようだが、支援法を武器に運動側が反撃し排除通告の白紙撤回を勝ち取っている。支援法は、「強制排除」を阻止するための武器として役立った訳である。荒木氏は、この事実を素直に受け容れ、支援法の「基本性格」を認めるべきである。 

3、支援法を活用できない路線は転換すべき

 支援法活用の眼目は、「仕事保障・能力開発」への財政措置の獲得とその受け皿としての運動による「非営利事業」の拡大にある。
 だが荒木氏は、野宿労働者にとっての就労事業を要とするNPOの重要性をわかろうとせず、山谷でこうした受け皿づくりに未だ着手しないばかりか、これを推進するわれわれの路線を昔の構造改革路線に重ね合わせて批判することで「非営利事業」の大規模展開による仕事保障システムの建設を実質的に拒否してしまっているのだ。これでは、野宿労働者の広範な支持が得れなくて当たり前というものだろう。
 荒木氏は、「当事者運動の流儀を貫いてきた」と言う。だが、野宿労働者のダイナミックな大衆運動を組織できないばかりか、野宿労働者の広範な支持をも得れない「当事者運動の流儀」とは、一体全体どんな代物だったのか、ここらで捉え返したほうがよい。
 ともあれ荒木氏は、運動が正念場にさしかかっているということに気付くべきである。
 支援法をしっかり活用すれば、運動は、強制排除の動きをも野宿者支援の総合施策づくりに転化し、新しい社会を目指す・地域の牽引力の地位と大きな闘争力量とを獲得していくことができる。しかし、荒木氏のように支援法について「認めるわけにはいかない」などという態度をとり、総合施策を構想し闘い取ることも、受け皿をつくることもしないならば、右翼・ヤクザを含む有象無象の受け皿が跋扈することになる。運動に対する野宿労働者の参加と支持は、確実にあわれなレベルへと後退する。当然、強制排除をはね返すことも出来なくなるのである。

4、最後に

 荒木氏には、山谷の運動の総括をテコにした大いなる転換を期待したい。