「世界情勢」決議(労働者共産党第二回大会)の要点について

 「第三次大戦」の時代なのか

                                深山和彦

 今、世界は、大きな節目に在る。この節目の評価いかんは、革命を目指す諸潮流の今後を分かつものとなるに違いない。第二回党大会の「世界情勢」決議(「情勢・任務決議」の「世界情勢」部分)は、そのことの自覚の上に、提起されている。
 
   国際反革命同盟体制の完成と没落の始まり
 
 われわれの見解と異なる傾向の代表格に、「第三次大戦への過程が始まった」(「前進」二〇六五号)とする主張がある。
 この主張は、「二九年大恐慌を上回る世界大恐慌は、帝国主義間争闘戦を激化させ世界戦争情勢を一挙に促進する」(同上)と述べているように、今日ではその物質的基盤が後景化した帝国主義列強間の市場再分割戦争を想定している訳である。「レーニン帝国主義論」を教条主義的に当てはめることで世界を捉えようとする態度に止まる限り、そうした結論へと無理矢理もっていく以外ないのである。
 世界は、いかなる節目に在るのか。第二回党大会の「世界情勢」決議の一つのポイントは次ぎの点にある。
 「米帝を主柱とする国際反革命同盟体制は、第二次世界大戦を媒介に米帝が他の帝国主義諸国家を一定支配・統制する関係に入る(=超大国になる)ことにより誕生した国家連合体制である。…この体制は、NATO・日米安保を基本骨格としつつ、帝国主義列強がそれまで支配してきた旧植民地の独立を承認し、そうした新興独立諸国をその内に取り込むことで国際支配体系を確立した。こうして形成された国際反革命同盟体制は、帝国主義諸国の金融独占資本が本国市場を含む旧勢力圏に相互乗り入れし多国籍展開する時代に道を開き、またそうした資本主義経済のグローバル化を土台に打ち固められてきた。」(決議)
 この米帝を主柱とする国際反革命同盟体制は、二〇世紀末における中国の改革・開放への転換とソ連の崩壊とによって、多国籍展開をますます高める金融独占資本(特に米系)の利益に奉仕する真にグローバルな国家連合体制へ、民衆の反抗から世界支配秩序を防衛することに主眼を置いた体制へ、再編する条件を獲得した。この再編を現実化する契機となったのが「9・11」である。「9・11」は、「諸国民の貧困、屈辱、反米感情の増大の脅威を、米帝・支配階級に実感させ」た。米帝は、「このテロ攻撃への報復に乗り出す中で、『米国を選ぶのかテロリストを選ぶのか、二つに一つだ』(9・11直後の大統領演説)と諸国に迫って忠誠を誓わせ、諸国民の監視・分断・抑圧を主眼に据えた体制へと国際反革命同盟体制を再編成した」(決議)のである。そうした中で米帝は、自己と国際反革命同盟体制の監督下に入ろうとしない、また「民主主義」「市場経済」など多国籍企業受け入れ条件を整備しようとしないいくつかの小国の体制を居丈高に断罪し、その転換を強要しているのである。
 これが「世界情勢」決議の一つのポイントである。端的に言えば、米帝を主柱とする世界的規模の国家連合体制が基本的に完成したということであり、米帝が世界的規模の国家連合体制をもって多国籍企業のための世界支配秩序を確保する時代に入ったということ。帝国主義諸国間の世界市場再分割戦争の時代が始まったのではなく、米帝を主柱とする世界的規模の国家連合体制と全世界の諸国人民との矛盾を基軸に展開していく(共産主義世界革命へと行きつかずにいない)時代が始まったということなのである。
 
   世界経済の構造変化が要求する資本主義の没落

 前記「第三次大戦」論とセットで、「二九年型世界大恐慌の本格的な爆発過程が始まった」(「前進」前掲号)とする主張がなされている。「二九年型世界大恐慌」は、基本的に「世界危機の世界戦争への転化をいま一つ決定的に加速」(同上)するという視点から語られている。
 この主張の問題点は、今日の世界不況の基底に、過剰生産・過剰資本だけを見て、資本主義の仕方では本質的に組織できない社会=経済活動領域が拡大してきている事態を全く捉えていないことである。
 「世界情勢」決議は、資本主義の下での「産業の成熟」が、カジノ経済の膨張、首切りと搾取の競争、大失業情勢の深刻化、貧富の差の拡大、軍需産業(戦争への衝動と財政赤字)の一層の増大、自然環境破壊等々をグローバルな規模で途方もなく進行せしめ社会の存立をも危くすると指摘しつつ、次ぎのように述べている。
 「産業の成熟と世界同時不況の渦中から新しく勃興するのは、これまでのような物の生産領域のおける新産業ではないだろう。『物』(=資本)ではなく『人間』が目的である社会、『人間』存在の基盤である自然環境を大切にする社会への希求が、「北」の諸国の民衆の間から発し世界的に高まってきている。労働時間の短縮が闘い取られ、環境、育児、職業訓練を含む生涯学習、福祉などの一人ひとりの発展に関わる諸活動が社会の基軸に据えられていくだろう。そうした諸活動は、利潤目的の賃金奴隷制には本質的に適合しないものである。そうした諸活動が、賃金奴隷制の廃絶を射程に入れた運動と固く結合し力強く発展することによって、社会の危機が克服されていくのである。」(決議)
 「二九年大恐慌」の危機は、最終的には、国際反革命同盟体制の形成とケインズ主義政策とに支えられた・物(=資本)の生産領域における新産業(自動車産業)の勃興によって打破された。今日の「世界同時不況」の後にそのような道はない。その代わりに、「人間」が目的となる社会を創造する道(欲求と諸活動)が現れてきているのである。我々の時代の階級闘争は、この道を最後まで切り開くのか、それともブルジョア階級支配秩序の枠内に包摂し押し止めるのかをめぐって、主として展開される。革命運動が社会革命の胎動を捉えられない時、その胎動は体制の内に包摂され、社会は崩壊に向かうに違いない。
 我々は、資本主義を断罪して事足れりとする態度の危険を自覚しなければならない。

   問われる共産主義運動の質的転換

 「第三次大戦への過程が始まった」論、および「二九年型世界大恐慌の本格的な爆発過程が始まった」論は、実践上は、戦後の平和と民主主義、生活と権利が再び否定される危険に警鐘を鳴らし、それとの対決の先に革命を夢想するという路線にリンクされている。
 この路線の問題点は、現代帝国主義の政治の副次的側面に対して宣戦布告をしているだけで、その政治の根幹と対決していない点にある。
 米帝の政治は、今準備している対イラク戦争にしても、多国籍企業の利益に奉仕する「民主主義政治」の継続としての武力行使であり、日帝も参戦する場合には同質の政治の継続としてそうするのである。そこにおいて彼らは、有事法制に代表されるように民主的権利の制限と人民抑圧体制を強めようとしているが、自己の政治の根幹である「民主主義政治」を否定し「ファシズム政治」の継続として戦争をやろうとしている訳ではない。敵の政治の根幹を革命的に覆す政治を組織できず、その副次的側面に対してのみ仰々しく宣戦布告してみせる政治に止まるならば、そのような共産主義者は、主観的に革命を目指していようとも、本質的には体制内反対派でしかあり得ない。
 米帝を主柱とする国際反革命同盟体制が、多国籍企業のために軍事介入をしてまで民主主義を強要してきている中で、共産主義者がこの「民主主義政治」と根底から対決できないでいることは、「南」の諸国において、反動的イデオロギーに依拠してこの政治に対抗しようとする傾向の一定の増大を条件づけてきた。「北」の諸国の革命運動に問われているのは、資本主義が社会の存立をも危くしつつある現実を批判し、足元で胎動する社会革命をしっかり捉え、現代帝国主義の「民主主義政治」と根底から対決する運動を創造することである。第二回党大会の「世界情勢」決議は、次ぎのように締めくくっている。
 「共産主義運動が転換を果たし、多国籍企業資本主義と対決する二十一世紀の労働運動、民衆運動との結合を果たすとき、「南」「北」民衆運動の分断は打破され、グローバルな規模で政治の流れは変わるだろう。逆流に抗し、革命に時代を切り拓こう。」(決議)
 
   小泉訪朝をどう読むか

 「世界情勢」決議は、国際情勢の上記基本動向をおさえた上で、「いくつかの副次的だが注目すべき変動」の一つとして「朝鮮半島情勢の不安定化」を挙げ、米日帝国主義の動向について次ぎのように述べている。
 「米帝が朝鮮民主主義人民共和国を『悪の枢軸』の一つと名指し、日帝も「不審船」問題等で米帝の対決・分断路線に同調する動きを強め、また米日帝の路線に同調する方向での韓国の政権交代の可能性も出てきたことで、南北民衆の願いである統一問題は後景化されようとしている。それどころか、戦争屋ブッシュの火遊びの標的になる危険が増大してきた。」(決議)
 米帝の対共和国政策の目標は、米帝を主柱とする世界的な国家連合体制の内に共和国国家を組み込むこと、同国にブルジョア民主主義制度、市場経済、市場開放を実現し多国籍企業の利益に供することである。米帝はブッシュ政権下で、懐柔取り込み路線を排し、軍事的強要路線を採用した。そして今はイラク攻撃準備の段取りに手一杯だが、イラクが片付けば次ぎは朝鮮だという態度である。これが朝鮮半島を巡る帝国主義の動向の基調であることには変わりない。
 しかしそうした中で、日帝・小泉は、九月十七日に訪朝し、懐柔取り込み路線を模索しようと決断した。その背景は次ぎのようなものとしてあるだろう。
 第一は、共和国の支配階級が、米帝の軍事的攻撃目標になることを避けるため、また、鎖国的な官僚制国家資本主義経済の破綻から市場開放・市場経済化を余儀なくされたことにより、米帝を主柱とする世界的国家連合体制に合流する方向へ動き出したこと。
 第二は、米帝が、対イラク攻撃に精力を集中する必要から、懐柔取り込み派だけでなく中軸を占める軍事的強要派もまた、日帝による共和国懐柔取り込み行動を容認する状況にあること。
 第三は、米帝の対イラク攻撃の切迫に対して、欧州帝も距離を置く情勢がはっきりしてくることによって、懐柔取り込み路線の流れに片足を置いて対イラク参戦のリスクを回避する可能性が開けたこと。
 第四は、米金融独占資本の多国籍展開に最も有利な新自由主義グローバリズムを基本的に受け入れつつも、それだけでは益々経済の停滞が深まり社会の破綻が広がる現実に直面し、欧州を手本として「東アジア経済圏」と総括されていくであろう補完システムの実現に展望を見出そうとする流れが形成されてきていること、である。
 日本帝国主義は、小泉訪朝を決断することで、東アジアにおける一定の独自性をもった補完システム構築の展望を引き寄せようとしている。もちろんそれが破綻した時の揺り戻しも大きなものになるに違いない。
 これに対して我々は、米帝の軍事的強要路線、日帝の戦争のできる国家作り路線、新自由主義グローバリズムとの対決をひきつづき基調に据え、朝鮮植民地支配の謝罪と賠償、日朝国交回復、「南北共同声明」の尊重と朝鮮半島の自主的平和統一の支持を一層強く求めていかねばならない。と同時に我々は、米帝一極支配の下で一定の独自性をもって立ち現れる可能性のある東アジアの「民主主義的」新秩序に対して、これを乗り越えこれと対決することのできる運動の質を獲得し、備えなければならない。