野宿者支援法成立を受け

  秋期反失業闘争へ


「野宿生活者支援法」(ホームレスの自立支援等に関する特別措置法)が、七月三十一日、参院で可決された(法および委員会決議は別掲)。
 九三年反失連が、府・市連名で国に対し「釜ケ崎総合対策に関する要望書」を提出することを求めた事から約十年の闘いが、今、実を結んだのだ。
 もちろん、法制定は闘いの一里塚にすぎない。国には、総合的な施策の策定とその実施を、地方自治体には、より具体的な施策の策定と実施が義務づけられた。しかし、それを実現させるのは、現場からの闘いである。
 釜ケ崎反失業連絡会は、法成立後の八月八日、直ちに行動に立ちあがった。府・市に対し、特別措置法の各条文に沿っての要求が掲げられ、緊急要望として提出された。
 要求の軸は、一、八月の国家予算請求時に、府・市が汗をかいて、失業−野宿者対策に必要な財源を国に確保させること。仕事をして生活できる仕組みを緊急につくること。二、秋から、釜ケ崎において目に見える形で特別就労の拡大を。三、現在のシェルターや自立支援センターのあり方と問題点を行政がきっちり評価して、仲間の野宿からの脱出をしっかり支援できるように変える事。四、仕事と生活保障の仕組みを早くつくるため、縦割り行政の弊害を排し、野宿・日雇いの仲間たちと自治体、民間支援団体とが、連携プレーを組んで、失業−野宿問題にあたれるようにしていくことである(反失連ニュース八・八より)。
 全国で最多の野宿生活者がおり、闘いが進み、一定の対策が行なわれてきた大阪・釜ケ崎での一歩踏み出した要求である。八月の交渉で府・市は未だ具体的施策を示さなかった。このままでは秋に再び大規模な闘いが不可欠である。
 支援法成立後の初めての釜ケ崎夏祭りが、八月十二日から十五日に行なわれた。本年は、第三十一回目になる。今年の夏祭りの合言葉は、一、全世界の貧困に苦しむ民衆と連帯し、反戦・反差別・反グローバリズムを闘おう、一、沖縄から米軍は出ていけ 赤字関西新空港はいらん 有事法制反対 一、仕事による社会参加をかちとり、釜ケ崎をよみがえらせよう、である。
 今年は、いつにもまして多くの労働者が、参加した。十二日五時より、三角公園の舞台で、集会と映画の前夜祭が行なわれた。十三日からは、連日の屋台と労働者自らの手で組みたてられたヤグラを囲んでの盆踊りが続いた。連日のライブが続き、十三日にはスイカわり、十四日にはのど自慢が、そして、十五日は恒例のすもう大会だ。十五日には、今まで釜で亡くなった仲間たちのために、慰霊祭が行なわれた。十五日の舞台は、曾根恵子の演歌に大いに盛りあがった。
 八月八日に提出した府・市への要求、そして、概算要求で極めて低額になった予算案に対しての国への闘いは、秋期闘争として用意され始めた。釜での闘いの軸は、野宿・日雇い労働者の公的就労を大幅に行政がつくり出すことを追及する事になる。秋期反失業闘争の取り組みが開始された。
 また、昨年六月には、省交渉や6・2に大阪城にて七百名の「野宿生活者支援法の早期成立をめざす決起集会」を開くなどして大きな役割と共同した闘いを作りあげてきた連合大阪、部落解放同盟府連、NPO釜ケ崎支援機構等の団体に「釜ケ崎講座」が加わった実行委を作り、法制定後の運動の方向性を議論するシンポジウムを、来る九月十三日夜、大阪エル・おおさかにて開催することになった。
 シンポジウムのパネラーは、この間の法制定に役割を果たした、本田哲郎氏(釜ケ崎反失連)、要宏輝氏(連合大阪)、島和博氏(大阪市大)、富田一幸氏(西成地区街づくり委)の四氏で、法制定の意義、今後の方向についての大いなる論議が期待される。
(関西S通信員)