医療保険法

 国民皆保険制度の危機を促進する改悪

  医療も保険も地域から


 小泉政権による、有事法制関連三法案と並ぶ反動攻勢の一翼を担う健康保険等の改悪案が、七月二十五日に参議院特別委員会で与党三党の強行採決で、翌二十六日参議院本会議で与党単独で採決された。
 この健保法改悪で首相小泉は、「三方一両損」なる故事に習う発言を繰り返したが、一方的な国民負担を科するもので、七兆円と言われる国庫負担から一兆五千億円を削減させ、国民負担へと転化させるものである。景気低迷による賃金カット、リストラの進行のなか更なる負担増は、底無しの景気悪化に拍車をかけることにもなるだろう。
 では「三方一両損」なるものの実体を、まず明らかにする必要がある。第一には、全労働者が加入する健康保険本人の窓口負担割合を二割から三割にするものである(97年小泉が厚生大臣のとき一割から二割になっている)。また七十歳以上の老人医療費を七十五歳で段階をもうけ、現行の負担割合をはるかに凌ぐ高負担化をはかっている。健保本人の三割負担は、国民健康保険の負担料率と同じになると小泉は言い放っているが、患者割合の半数を占める健保本人の料率アップは、国民が医療機関を敬遠することを招くだろう。
 もう一つは、中小・零細企業に働く労働者が加入する政府管掌保険の保険料アップである。これも国庫負担「軽減」の処方箋と言えるだろう。
 三番目は、今回の健保改悪案の以前の、四月から施行されている診療報酬の引下げである。診療報酬制度が出来て、初の引下げとなった。一般に医療は、儲かるものであると言う認識が色濃い。一部の人間を除けば、医療は、六割ぐらいが人件費で労働集約型産業の典型と言えるものなのである。医療では法人形成をしても、株式会社形式を取ることが許されておらず、他の産業部門を内部に持つことは禁止されている。それだけに、診療報酬の引下げには抜け道、逃げ道はないのである。ただただ医療労働者へのしわ寄せのみがあるだけなのだ。このことは、医療現場でのサービス低下、医療事故の増大を招く恐れを防げなくなる。
 以上の点を踏まえても、差額ベッドを始めとする自由診療部分の拡大が、ますます計られることとなる今回の「改定」によって、国民皆保険制度そのものの崩壊が促進されるだろう。政府側は、三割負担の線は崩さないと言っているが、これが健康保険に入って保険料をはらうメリットを感じるぎりぎりの線と言われているのであり、このような混合診療が進めば、国民の保健制度そのものから逃避することも避けられなくなる。
 一九六一年に国民皆保険制度の形が整ってから今日まで、国民負担率のアップ率は徐々に行われてきたが、そこには一定の地域医療、高度医療への貢献との引換えという側面を持たせてきた。しかし今回の「改定」では、憲法に保証された健康と安全を誰でもが受けることの出来る権利を、患者・国民側も診療側も阻害され、企業論理すなわち格差が明確に現れるだろう。その現れが混合診療の緩和策であり、他企業参入を容易とする医療法人の理事長要件の規制緩和である。これでは、等しく医療を受ける権利が阻害され続けて久しいアメリカの二の舞いとなるのではないか。いやアメリカ医療資本側からの、規制緩和・市場参入の圧力があったのではないか、と疑われてもおかしくはない。

  住民・自治体一体で、医療・介護・福祉を


 いまやギリギリのところに立たされた、日本の医療制度に対する対抗軸をどこにもってきたらよいのだろう。その方向性は、資本家階級と政府が進めている臓器移植にみられる高度医療の全国的ネットワーク化、それに伴う医療機関のランク付け、そして患者の差別選別化という事態に、根底的に対決することである。
 その糸口は、先進的な医療関係者によって進められている、地域医療の更なる推進。すなわち、地域住民、地方自治体と一体となり、医療・介護・福祉を等しく受ける条件をつくり出すこと。そのためにも医療保険制度の、更なる抜本的改革が必要となるだろう。衆議院議員の阿部とも子氏も提唱しているように、健保、国保と別れている保険制度を統合し、地域単位の保険にし、「地域で相互安全体制をつくる」という考えに賛意したい。
 何故ならば、あらゆる階層を含む地域の人権、福祉は、それぞれの地域においてのみ初めて相互に納得される形で保証されるのではないだろうか。医療もそのように育たなければ住民への経済的、精神的負担は増大するばかりである。ひたすら先端の高度医療を受けようと日本中を、いや世界中を飛び回ることが何を意味するかである。それとともに阿部氏も提唱する地域単位の保険制度となるならば、カネの側面も含めて、地方自治への比重が増大することとなるだろう。
 そこで次のように提唱する。医療も保険も地域から! (Ku)