野宿者自立支援法案をめぐる論争について  

  支援法と野宿労働者運動   

                                               深山和彦

 

 野宿労働者の自立支援法の制定が、大詰めを迎えている。野宿労働者の運動は、支援法の今国会中の成立を求めてやるべきことをやってきた。今や運動体は、法案成立への詰めの工作を行うだけでなく、速やかに法案を活用できる主体の形成へ向かわなければならない時期に入っている。
 だがここに至って、いまだ法案の意義さえ理解できない活動家達が存在している。われわれは、こうした人々に対して、できるだけの説得をすべきだろうと思う。
 
1、 支援法の制定で何が出来るのか

 ここに、釜ヶ崎反失連が現在大阪市と大阪府に対して提出している要求書がある。その要求項目は、支援法の成立がどうであれ行政に対して実施を求めているものではあるが、支援法の成立で本格的実施を展望した当面の諸施策でもある。各地の特殊性があり、必要な諸施策の内容を一律に語ることは出来ないが、これによって、支援法での制定で何が可能になるのか大枠のイメージを作ることはできるだろう。
「<就労対策>
(1) 大阪府下および大阪市全域の野宿生活者に対する就労対策
 @野宿からの脱出・野宿の防止を可能とする特別就労事業を各自治体において実施されたい。A野宿生活者および生活困窮者を対象とする長期職業訓練的内容をもつ公的就労制度を確立、実施されたい。B野宿生活者の実情に即した就労支援を行うNPO等を育成するため、国が失業―野宿対策に特化した助成金制度をつくるよう要望されたい。C野宿生活者のための公的就労を実施するにあたり、環境や社会生活の質の向上に資する事業に対するニーズ調査を実施されたい。D自立支援センター入所者が@Aの公的就労制度を活用して就労による自立を果たせるようにされたい。
(2)釜ヶ崎における就労対策
@ 高齢日雇労働者のための特別就労事業を大幅に拡大されたい。A日雇労働者を対象とした特別就労制度を作られたい。B「A」の特別就労契約期間を終了する労働者のうち希望者を対象とする長期職業訓練的内容をもつ特別就労制度を実施されたい。C建設労働からの転出を希望する日雇労働者に対する長期職業訓練的内容をもつ特別就労制度をつくり、受け入れ窓口をあいりん労働公共職業安定所または西成労働福祉センター等に設置されたい。D長期に渡って野宿状態が固定されている日雇労働者に対して、実情に即したケアつき職業訓練、仕事紹介をおこなわれたい。E南職安跡地等を利用して、野宿生活者のための就労・生活支援センターを開設されたい。F現行掛け捨てともなりうる雇用保険支給条件の緩和を、引き続き強く国に要望されたい。
<野宿生活者の社会再包摂のための施策>
@野宿経験をもつ生活保護受給者を対象とする生きがい労働の開拓。A野宿経験者が集中する地域での福祉サービスの充実。B住居への入居支援。C野宿生活者ケアセンターの設置。D自立支援センターの居住性を改善されたい。」(以上詳細は略した)
 ここに語られている公的就労事業、職業訓練、就労・生活支援センター、生活保護受給者を対象とする生きがい労働の開拓、福祉サービス等々の経営・管理は、釜ヶ崎NPOを中心とした「非営利組織」が引き受けることになるだろう。
 支援法の成立は、以上のような構想の大規模な実現を可能にするのである。各地の運動は速やかに、その地の実状に合った野宿から抜け出せるシステム、野宿を予防するシステムを構想し、要求を提示して労働者を組織し、NPO等を立ち上げて事業経営を最初は小規模であれ引き受けていく準備をしていかなければならない。

  2、支援法反対論の問題点

@「適正化」条項のゴジラ化
 
 支援法は、人が野宿をしないで済むような総合施策を、野宿者の人権を尊重しつつ実施することを、国に義務付けるものである。支援法の基本性格はこれである。これに対し、もし公園等に関する「適正化」条項が挿入されるならば、この基本性格は無に帰し支援法は排除法になってしまう、と主張する人がいる。
 この点を論じる際に踏まえるべきは、この法律が拠って立つ政治基盤である。
 すなわち、一九九六年の新宿ダンボール村強制撤去反対闘争を転回点に政府の側が、強制撤去で問題は解決しないとの認識を持たざるをえなくなったこと、そうした政治状況の中で野宿労働者の運動が押し上げてこの特別法が制定されようとしていること、したがって「適正化」条項が一人歩きする政治状況にはないということであり、行政の勇み足は基本的にはね返せるということである。基本性格が確固としていれば、公園等に関する「適正化」条項が挿入されたとしても、それは、総合施策により人が野宿をしないで済むようになった状態として位置付けることが可能な範囲の妥協なのである。
 「与党案となれば、排除を前提とした対策となるのは確実」などという主張がよく聞かれるが、あまりに幼稚な政治観、敗北主義的結論と言わねばならない。
 国家・地方行政府は、社会=経済システムの破綻を放置し・住民相互の対立が激化し・支配秩序が崩壊していく事態を見過ごす訳にはいかない立場にある。そうした中で、既存の社会=経済システムの破綻の中で、新しい社会=経済システムを創造していくことのでき、また現に生存の必要に迫られて創造し始めているのが、失業・野宿労働者の運動である。政府はこれを無視することはできないのである。
 もちろん周辺住民サイドの排除のベクトルは強く根深いし、それが与党案に反映される諸利害の一部分として現れもする。しかしそれさえも、露骨な形で表出させうる時代でないし、総合施策による解決の路線に乗る以外にないのである。それに現実には支援法は、与党単独ではなく、野宿労働者運動が闘い取る形で押し上げられ、超党派の支持により制定されようとしているのである。
 そして大切なことは、運動自身が、この法律を活用し、野宿をしないで済むシステムを創出し運営し発展させることによって社会的信頼を獲得し、行政の側の強制排除の動きを許さない政治力量を一層高めることである。運動は、この可能性を現実化しなければならない。もし運動が、せっかくの可能性を現実化しようとしないならば、その時は、「総合施策」を強制排除のための手段に転化する道が開かれてゆく。これが生きた攻防の弁証法というものだろう。

A運動のない地域を引き合いに出す反対論

 「当事者の運動が作られていない地域においては、排除の意志はストレートに貫徹される」から「適正化」条項が挿入されるような法律には反対、という主張がある。
 一見もっともらしい主張だが、階級闘争の攻防のあり様を理解していない論法である。
 各地域は、孤立的に在る訳ではない。
 現在の運動の獲得地平は、運動のない地域を含めて浸透していくのであり、また浸透させていくことができるのである。行政が問題を起こせば、問題は社会化し、運動が生まれ、運動の獲得地平がそれまで運動のない地域にも貫徹していくのである。また支援法をテコに運動の政治力量が高まれば、いま運動のない地域への運動の広がりも加速させることができる。肝心の運動が衰退すれば、運動のない地域の未来も暗いものになる。
 こうしたことは、運動にたずさわるものにとって常識であるだろう。
 なぜ「当事者の運動が作られていない地域」が押し出されてきたのか。
 実は、現在支援法に反対している活動家達は、運動が求めるべき支援法案の中味を検討していた段階から、したがって「適正化」条項の挿入など問題になるはずもない段階から、支援法を要求することそれ自身に反対していたのである。その理由は、「まだ仲間作りの段階だから」というものであった。野宿からの脱出と野宿の防止のため、要求をまとめ、闘争を組織し、自ら就労・福祉事業を創出するなどの諸活動は、失業労働者者の運動においては最初か問われることである。それらは、「仲間作り」にとっても基軸となるものである。結局「まだ仲間作りの段階だから」という反対理由は、運動における自己の立ち遅れ、意識性の欠如を正当化するための言辞でしかなかった。いま「当事者の運動が作られていない地域」を押し出して、その背後に隠れて法案に反対する態度も、根はそこにあり、自己の立ち遅れ、意識性の欠如を正当化するためのものなのである。
 
B「有事法制と一体」論のデマ宣伝

 最近、支援法に関して「有事法制と一体」のものだと触れ回ることでこき下ろそうとする手口が使われている。寄せ場・野宿労働者の運動を知らない人達は、「有事法制」と同じ類の法律ならば悪法に違いないと騙されてしまうかもしれないので、この点についても一言述べておかねばならない。
 そもそも支援法は、野宿労働者の運動が要求し、諸政党に働きかけ、前述の基本性格を確保する内容で制定にこぎつけようとしているところのものである。米日帝国主義(多国籍企業)の権益を守るための戦争立法とは、本質的に異なるものである。
 それに支援法を「有事法制と一体」のものだと批判している人は、釜日労のように有事法制に反対して寄せ場・野宿労働者の間で大衆運動を組織しているのかというと、そうではないのである。有事法制に反対して闘っている「外部」の人々を欺く為に、外向けに語っているだけなのだ。

   3、支援法を巡って顕在化した路線分岐の性格

 今日の大失業情勢は、極めて構造的なものである。それは、支配階級の守旧派が固執する従来型公共事業の拡大で打破できる類の事態ではない。更にはそれは、支配階級の改革派が期待するような資本の牽引する新産業の勃興―産業再編成で打破できる事態でさえもない。いま大失業情勢に促迫されて求められている社会の構造変化とは、これまで資本主義社会において繰り返し展開されてきた新たな「物」の生産領域(=産業)の勃興とそれによる産業再編成ではなく、労働時間の大幅な短縮と環境保護を含めた人間のための活動の基幹化であり、この転換を促進できる社会的諸関係の創出なのである。この発展方向でしか、今日の大失業情勢は打破されない。資本関係は、それが奴隷制の一形態であり利潤を目的としている以上、社会のこの発展にとって(それをある程度利用は出来ても)本質的に桎梏でしかない。ここに、「非営利組織」が社会によって必要とされ台頭する根拠がある。そしてブルジョア国家は、社会を総括し支配秩序を確保する必要から、こうした新たな活動領域の拡大と資本関係に代わる新たな社会的諸関係の台頭をある程度受け入れ支援せざるを得ず、政治的に包摂していこうとするのである。(結局包摂しきれなくなる政治的限界に突き当たるのだが…)
 今日の反失業闘争は、社会のこの構造変化を促進・活用する仕方で展開してはじめて、展望をもつ運動として発展する。そうした中で野宿労働者の運動も、野宿の脱出と野宿の予防を目標とする・そのためのシステムをたたかいとる過程において、新しい社会を創出する総過程の構成部分としての目的意識性を強めてきているのである。支援法制定の要求は、こうした路線から生まれ、こうした路線を台頭させたのであった。
 これに対して、野宿労働者の運動の中には、野宿生活の防衛なり野宿の権利の獲得を事実上中心目標とする傾向がある。野宿生活保守路線とでも言うべき路線である。この路線の人々は、強制排除に反対するのはよいが、野宿から脱出するシステムを創出し野宿のない社会を作っていくことに対しても事実上消極的態度をとる。この人達の路線的誤りは、支援法への反対態度として顕在化することになったのである。
 支援法を闘い取り、現状の打破へ踏み出そう!