史的唯物論と共産主義革命についての平易な一考察

 レーニン主義の創造的発展によせて 〔下〕

                 西条 龍太郎

 

   二十世紀革命思想としてのレーニン主義


 レーニン主義とは何か? レーニン主義とは、二十世紀「戦争と革命の時代」のマルクス主義であり、二十世紀の革命思想−理論である。
 レーニンは、『人民の友とは何か』『何をなすべきか』『帝国主義』『国家と革命』等の基本原理論によって、世紀末より二十世紀初頭に台頭してきたベルンシュタインの修正主義、カウツキーの中間主義(のちに社会排外主義)に対して、マルクス主義を擁護して闘い、ロシア革命を成功裏に牽引した。さらに、第二インターナショナルの社会排外主義への転落に抗して第三インターナショナルを結成し、世界革命を目指しつつも、一九二四年に没した。つまり彼は、世界革命運動の激動期一九二九年〜三五年の攻防、一九四五年〜五〇年の激動を看ることなく没した。当然、一九一七年革命後のロシアの社会主義建設の進展、その「成功」も看ることなく逝ったのである。
 その後、ロシアではスターリンの専制指導下、世界革命の放棄・裏切り、一国社会主義(プロ独の自己目的化)が路線化され、スターリン指導部は「マルクス・レーニン主義」という言説を吹聴しつつも、カウツキー達以上の裏切りを行なった。
 結果として、世界革命に敗北したソ連は、西側帝国主義に対して、スターリンからフルシチョフ、ブレジネフへと経済競争と軍事力で対抗し、「社会主義とは資本主義に追いつき追い越す」ことであるとして、党−国家官僚体制の「社会帝国主義」へと転化し、全世界労働者人民の闘いを裏切り、弾圧するものとなった。ソ連は、アメリカ帝国主義と冷戦的共存体制を敷いていたが、ついにはソ連−東欧労働者人民の「民主化」闘争に自己解体することとなったのであった。
 西欧においてはトロツキー等が、発展登場国においては毛沢東が、相対的にはスターリン主義への批判とその乗り越えを目指したが、基本的には敗北した。彼らは明確にはスターリン主義・現代修正主義に対する綱領的批判と対決の路線が無くて、諸方策についての部分的批判に留まったのである。すでに時代は、レーニンの時代から更に飛躍した時代に推移しており、二十一世紀に通用する創造的思想が要請されていた。彼らには、そのようなマルクス主義的科学的予見、とくに官僚主義との闘いの必然性についての認識が不足していた。
 今日的な、地球的崩壊にまで至っている資本主義世界の死の苦悶は、全人類にとって世界革命の新しい時代が必然であることを示している。今日、変革を求める通俗的な表現は「共生」と呼ばれているが、それは正に共産主義社会の実現に他ならないのである。だからこそ現代のマルクス主義者にとって、スターリン主義−官僚主義との闘いは絶対的戦略なのである。
 現代、二十一世紀は、地球的自然と人類が、帝国主義の戦争、貧困、環境破壊、ヒトゲノム、デジタル的コンピュータの進行によって崩壊するか、これらを克服して「共生」の社会を闘いとるかの、分かれ目にある。労働者階級への絶望と反共主義のここ十年、結局資本主義−民主主義は未来を示せなかった。やはり「真」の共産主義を闘いとることにしか解決策はないのである。そのためには、レーニン主義について再検討し、その意義と限界、創造的発展の方向を明らかにしなければならない。

   党建設論の再検討


 レーニン主義の歴史的意義と限界、今日の検討課題を、その党建設論・国家論・帝国主義論について検討してみよう。
 (一)、『何をなすべきか』に基づく党建設路線は、一九〇〇年当時のヨーロッパに台頭していた第二インターナショナルの修正主義・日和見主義潮流の議会政党風の党建設路線に対して、またロシアにおける経済主義者、ブルジョア議会主義者の合法主義に対して、実践的に革命党建設の方針が提起されたものであり、当時としては正しかったと言える。
 そしてレーニンの党建設方針は、一方では、一九〇五年の革命と議会開設の過程では党の再組織−開かれた党へと発展し、一九〇七年〜一九一二年においては、再び解党主義との闘いと議会政策・反ボイコット論が同時に述べられている。一九一七年には、ソビエトの支持の拡大を中心にした党の大衆化が、また一方では一九一八年〜二〇年における戦時共産主義の時代にはクロンシュタットの反乱を背景とした「分派の禁止」として、そしてネップ時代以降になると開かれた党へ、すなわち労働組合論争において労働組合の軍隊化に反対するともに組合サンジカリズム独裁に反対する党として、党−大衆(ソビエト、労働組合)の関係における大衆と友に歩む路線と作風として、党建設方針が述べられている。
 これらからは、レーニンの組織論が、具体的実践の中で、常に、プロレタリアート人民の立場、人民とともに歩む道の選択であることが分かるのである。『何をなすべきか』を教条化して絶対視するのでもなく、拒絶反応で否定するのでもなくて、創造的に把握すべきであろう。今日の発展段階においては、党内民主主義の徹底化、分派の自由、状況によっては複数の前衛の存在も必要であり、複数の共産党による協議会運動なども考えられる。

  国家論の再検討


 (二)、『国家と革命』を中心とした国家論や政治形態について。『国家と革命』の後書きで、レーニンは、一九一七年の革命の進行のために、プロレタリア独裁について論述の中心があり、後半部分の社会主義−共産主義については論述を「後日に延ばす」云々と述べている。『背教者カウツキー』での国家論についても、第二インターのカウツキー等指導部が戦争に賛成し、革命に反対し、ブルジョア議会主義を擁護して修正主義−改良主義へ転落したことに対して、革命推進とプロ独堅持の見地から仮借なき批判を行なったものである。
 レーニンは『国家と革命』の中で、マルクスの『ゴーダ綱領批判』等を引き合いに出して、過渡期社会と共産主義社会−国家の廃棄についても論述しているが、それらは一般論である。具体的な、遅れたロシア一国における政策は、革命の推進とプロ独、社会主義建設の当面策が中心であり、それはヨーロッパ革命・世界革命への連続性が前提的に脳裏にあるのであり、したがって『国家と革命』では、共産主義の高い段階の社会を、すなわちプロ独がどのようにプロレタリア民主主義・社会主義民主を発展させ、党−国家の廃棄へ進むのかを課題にはしていない。レーニンが一九二四年に若死にしたことと相俟って、彼には、その『国家と革命』の続き、つまり共産主義段階における党−国家の死滅ということが実践的に方針化されてはいない。レーニンの歴史的限界である。つまりレーニンにおいても、プロ独・コミューン型国家が、執行権と立法権を併せ持つ効率的で安価な政府が、どのように共産主義(高い段階)と国家死滅−党死滅への道へ進かについて明らかにされてはいないのである。
 ブルジョアジーが代議制と議会主義、言論の自由をいわゆる先進国で確立していることに対して(それが、社会上層一〜二割の利益を代表するだけの代議制であり、また正にいわゆる後進国においては全くそれらは影も形もない社会〇・五割の独裁であるが)、ソ連崩壊に行きついた共産主義運動の一旦の敗北と言う現実がある以上、「社会主義は全人民の利益を代表している」云々と教条的に繰り返すだけでは、論破され、人民に納得され得ない。プロ独−社会主義の政治制度としては、やはり過渡的形態として、暴力革命の場合は短期間の内に、平和革命の場合は即座に、プロレタリア議会、プロレタリア民主主義、政権交替と複数社会主義政党の存在、言論の自由、三権−四権の分立などの制度を確立することが必要である。
 歴史上、社会の三分のニ以上を占める労働者人民が政権を担当したことは、ロシアの一時期(ある程度、中国、ベトナム、キューバ等)を除いて真の意味ではない。そして労働者農民の政権による社会主義は失敗した。これらのことを嘲笑する人々が多いことも事実である。が、真の民主主義より、真の共産主義の方が、全人類の人間解放の道であることは今日明らかである。
 レーニンの弟子たちが、国家死滅−党死滅を進める全世界的共産主義革命を目標にしていなかった限界、それらがスターリン主義を生み出し、妨害物としての官僚主義との闘いを阻害したことが踏まえられるべきである。共産主義社会の建設、通俗的に言えば今日では「共生」の社会建設が、文字通り日程に登っている時、共産主義の原則(真の共産主義)の復権、新しい時代の共産主義が必然化している。
 そのためには、社会主義的民主主義、党民主主義(新しい党)、官僚主義を打破する民主主義制度と自覚的・自立的労働者人民の登場が必要である。新しい人間の登場なくして、世界人民の解放はないのである。
 

  帝国主義論の再検討

(三)、『帝国主義論』を中心としたレーニンの経済理論は、『資本論』を中心にしたマルクス原理論を実践的・弁証法的に発展させた思想・理論である。単なるマルクス信奉者ではないレーニンの特徴が、他の第二インターナショナルの理論家たち(ベルンシュタイン、カウツキー)とは異なっている。
 レーニン『帝国主義論』の論述は、@独占資本の成立、A金融資本と産業資本の癒着、B商品の輸出から資本の輸出への推移、C植民地侵略・世界分割が完了している世界での市場再分割の抗争、D帝国主義は社会主義革命の前夜であること、E帝国主義の寄生性と腐朽制となっている。その実践的な核心は、そうした帝国主義が帝国主義戦争へ容易に転化すること。植民地・従属国では民族ブルジョアジーと買弁ブルジョアジーとの対立を生み、階級対立と民族対立が二重化され、結果、民族解放闘争も発展すること。故に帝国主義戦争は交戦国のどちらの側からみても侵略戦争であり、労働者人民は反戦平和のために闘わなければならず、最終的には自国の政府と対決して敗北させ、革命へ転化すべきであること。民族解放の闘いは正義の闘いであり、労働者は「民族の自決権」を支持しなければならないこと、これらが要旨となっている。
 当時第二インターの指導者達は、「資本家を倒して労働者の社会主義を打ち立てる」ことは一応唱えていたし、「戦争反対」も一応主張していたのであるが、「帝国主義は進歩的なものであり、工業資本の農業地域への拡大である」とか、「産業資本が超帝国主義への止揚発展を促す進歩である」とか主張するなど、帝国主義を国家権力と結びつけて分析していない帝国主義認識を背景にして、「戦争が侵略的であるか防衛的であるかは、先にどちらが攻めたかである」等と主張し、各国の社会主義者たちは「相手が先に攻めた」云々と主張し、マルクスの独仏戦争等の政策を言葉の上だけで引用して自らを合理化していた。当初は、戦争一般に反対、次には祖国防衛・愛国主義へ、ついには排外主義から独占資本の国家そのものへの支柱へと転向したのである。
 レーニンは、これらの第二インターの破産の過程で、帝国主義批判を『資本論』の発展の上に分析・展開したのである。それが、基本的に原理的に正しかったことは歴史が証明している。しかし、間違ってならないことは、レーニンは、「帝国主義戦争必然論」に依って「自国政府打倒、内乱へ!」を戦略テーゼ化して、それを教条的に絶対化したのではなかったと言うことである。「帝国主義戦争を内乱へ」は一側面であって、あくまでも第一次大戦が起きてから「テーゼ化」しているのであって、その前段においては、様々な各国の具体性に応じて革命の戦略戦術を提起しているのである。
 レーニン帝国主義批判は、資本の二十世紀的展開を実践的・具体的・包括的に論述しているのであるから、その全体像の原理を把握する必要がある。教条的に、今日の情勢下で、単純に「帝国主義戦争必然論」を当てはめてはならない。また一方で、レーニン帝国主義論を修正して、超帝国主義論的に「アメリカ帝国主義による一極支配の反革命資本主義体制は、資本主義の新しい段階であるから戦争は起きない」等と歪曲してはならない。
 今日、レーニン時代には把握できなかった独占資本の更なる巨大化と多国籍化、国家独占資本の改編と規制緩和、自由主義経済の復権によるグローバル化、労働力が国際的に移動し、資本の輸出に留まらず、民族資本の改編と帝国主義多国籍企業との癒着による直接統合−開発独裁が進んでいる。これらは、地球的規模での資本の過剰・生産力の過剰と他方での貧困の拡大、世界同時慢性恐慌状態(これらはマルクスの資本論そのものの世界である)を進め、これを元凶とした環境破壊、地球温暖化を進めている。また量子力学の発展は、コンピュータによる人間と自然の関係を破壊し、十進法・点と線・手と足と頭脳という人間と人類の定式そのものの破壊にまで進み、ヒトゲノム・ナノ領域研究は肉体労働と精神労働の永久対立さえ生じかねない。これらは、資本主義世界の地球的崩壊の段階を示している。これらは、マルクスの資本論、レーニンの帝国主義論が示す資本主義社会の破局が、原理論の次元で今日異なった形で再生していると言える。

  二十一世紀共産主義をたたかいとろう


 国家独占資本主義による資本主義体制の救済が不可能であり、完全に失敗し、打つ手がない状態で、無政府的経済争闘戦が節度無く絶望的に繰り広げられている。真の「共生」の共産主義革命以外に出口無しの時代、二十一世紀が到来したのである。マルクス主義、レーニン主義は、原理論として基本骨格を検証されつつあるのであり、したがって我々は、現代マルクス・レーニン主義の創造的発展、二十一世紀共産主義を闘い取らねばならない。
 このような時代、帝国主義の巨大化した出口無しの絶望的世界同時不況下の経済争闘戦、アメリカ帝国主義によるミサイル核兵器と再び始まった軍拡、ロシア・中国との冷戦的対立の拡大、「後進国」での危機的生存と「先進国」での飽食、民族運動・イスラム復興運動への「反テロ」という恒常的戦争体制という時代が示すものは、正に帝国主義は二十一世紀に崩壊する必然性にあるということである。今日、真の共産主義革命、正に「共生」革命が必然化している。
 一方、「ソ連」崩壊という歴史上の失敗−反動は、スターリン主義−現代修正主義、なかんずく官僚主義との闘いを人間そのものの課題としているのである。
 現代世界の崩壊的危機は、ブルジョア民主主義一般、資本主義の改良一般では解決され得ない。プロレタリア民主主義をも止揚する二十一世紀の真の共産主義の確立、レーニンの組織論・国家論・帝国主義論を二十一世紀型に止揚すること、そのような方法論を確立する必要がある。以上、レーニン主義(マルクス主義)の意義と限界、そしてその21世紀的創造性・方向性を提起した。おおいに論議を深めよう。(了)