今こそ有事法案を廃案へ
混迷する小泉戦争内閣圧倒し、
全国から6・16代々木公園へ
武力攻撃事態法案など有事法制三法案を今国会で成立させようとする小泉連立政権の目論みは、全国での「戦争法をつぶせ」の大衆運動、アジア諸国の懸念と批判、そして小泉内閣と自民党自身の混迷・失態によって、しだいに破綻の様相を深めつつある。
今こそ、六月八日の沖縄集会や六月十五日の大阪集会を始めとする各地でのたたかいを盛り上げ、そして六月十六日の巨万の中央行動(代々木公園・午後一時)に全国から攻め上り、六月十九日国会会期末の延長による有事法制三法案の成立策動を粉砕して、小泉戦争内閣を打倒しようではないか。
四月十七日に提出が強行された有事法案は、五月七日から衆院有事法制特別委員会で実質審議入りしたが、何をもって「武力攻撃事態」「そのおそれ」「予測される事態」とするのか言葉遊びの政府見解を改めて提出せねばならなかったことにも示されるように、法案自体としてもデタラメであることが明らかになるとともに、「海外の自衛隊が攻撃されても武力攻撃事態」との政府答弁などにたちまち法案の本質が暴露されている。日本が侵略されることへの備えならば憲法違反ではないと考え、法案を容認している人々は考え直すべきである。法案は、自衛権の名の下に侵略と反動の道に日本を引きずり込むものである。(昨年十月には津野内閣法制局長官が、「他国領域での自衛隊の武力活動で自衛権発動の要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論として許されないわけではない」などと答弁している)。
小泉首相のスローガンは「備えあれば憂いなし」であるが、有事法案の真意が米軍の対「テロ」戦争への自衛隊の参加、「周辺事態」での米日両軍の出撃、これらの対外戦争を支えるための国内戦時体制作りにあることは明らかだ。ところが、このスローガンに同調し、「普通の国家」として有事法制・非常事態法制は当然だとして、有事法制原則賛成、今の政府提出法案には反対という立場をとっている野党が民主党、自由党である。こうした連中は、国会承認手続きなどで何か修正が入り、政治的面子が保たれればいつでも法案成立に加担しかねない。是非が問われているのは、主権機能の一般論としての有事法制ではなく、現在までの日米関係と世界情勢の中で今の日本の有事法制がどのような意味を持つかということである。これらブルジョア野党が修正協議に応じかねないのは、その論点に関して、かれらが新ガイドライン安保の堅持、グローバル資本主義の支配秩序の防衛という基本路線で自民党と同じだからである。
日本と世界の人民の平和的生存と平等の実現に敵対する、その基本路線への批判こそが推し広げられなければならない。「修正」策動をゆるさず、「廃案」へ追いこもう。
さて政府・自民党の混迷ぶりは、外交利権議員・鈴木宗雄の異常な防衛につづき、五月八日に発生した北朝鮮「脱北者」の中国瀋陽日本総領事館亡命事件で加速された。日本政府は、「不審者は追い返せ」とする難民・亡命者に極端に冷たい自国の排外主義政策を棚に上げながら、ビデオが放映されてしまった手前、中国に「主権侵害」とこぶしを挙げてみたものの、すべてが支離滅裂になってしまった。結局、ブッシュに呼応して北朝鮮への敵意をまきちらしただけである。
次ぎに二一日、一旦有事法制公聴会の日程を強引に決めたが、すぐに優先法案を何とするかの自民党の不統一もあって、設定ができなくなってしまった。その同日、小泉内閣はその延命に必須とされる郵政関連法案の審議入りを強行したが、「改革」をめぐる支配層の内部抗争が激化しつつある。
決定的な失態として、二八日、防衛庁が同庁への情報公開請求者リストを作り、自衛隊のスパイ組織=中央調査隊などにもリストが回っている事実が発覚した。防衛庁は必死で組織的関与を否定し、とかげの尻尾きりで乗り切ろうとしているが、これこそ有事法案の戦時統制の先取りであり、このような政府に有事法制を与えることは危険極まりないという世論は高まらざるをえないのである。
さらには月末になって、福田官房長官による「憲法改正の話も出てくるようになったんだから、国際情勢や国民が(核兵器を)持つべきだということになるかもしれない」との暴言が明らかになり、それについて三一日、福田官房長官が「憲法上は原爆保有も問題ではない」と暴言の上塗りをやって、国際ニュースとなっている。
およそ、統治能力の全てを失ったかのような、支配層の混迷ぶりである。これで有事法案を止められなかったら、我々運動側の失態とすら言えるのではないか。
情勢は我々に有利に傾いている。全力を挙げて当面の勝利をかちとろう。