「復帰」30年を問い、基地おしつけを糾弾する連続行動

沖縄民衆は戦争法絶対許さず

 沖縄戦という悲惨な歴史的体験を強制され、ベトナム戦争では爆撃基地・侵略基地として戦時統制をされてきた沖縄では、有事立法に強く反対する意思が広範に存在している。
 沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会(平和市民連絡会)は、四月の有事三法案の国会提出時から行動を開始し、「4・28」までの三日間連続座り込み行動に続いて、五月に入ると有事(戦争)法案阻止の闘いと一体のものとして、「5・15」の「復帰」三十年を問い、基地おしつけを糾弾する連続行動に入っていった。
 五月十五日、平和市民連絡会は「有事=戦争法制を考える市民の集い」を沖縄県女性総合センターで開いた。集いでは、座り込み集会での4・28アピールを再確認しつつ、三宅俊司弁護士を講師として有事法制三法案についての批判学習を行なった。四月二十日の日弁連理事会決議も参考にしながら、法案が「戦争準備法であり、国家総動員法である」ことが明らかにされた。
 五月十八日には県庁前の県民広場で、テント小屋を張っての終日の座り込み情宣行動。平和市民連絡会によるチラシは、「日本は一九三八年に、今回と同じように国家総動員法をつくり人的・物的資源を統制し運用する広範な権限を政府=軍隊に与えることをしました。その結果はどうだったでしょうか。沖縄では県民の約四分の一の人が殺され」たと歴史の悲惨な教訓をふりかえり、有事法案の阻止を必死で訴えている。
 夕方六時からの集会では、平和市民連絡会の構成諸団体が発言、代表の一人・城間勝さんは、「沖縄の私たちは遠慮会釈なく誰にでも有事法制反対を訴えていくべきだ。たとえば、かっては公明党とも共に闘ってきたわけですが、公明のみなさん、創価学会のみなさん、本当に今のままの法案支持でいいと思ってるんですか、と迫っていくべきだ」と訴えた。
 ほどなく、牧志公園からデモでやってきた安保50年・「復帰」30年を撃つ沖縄行動などの部隊が、県民広場に合流。全体で二〇〇名ほどになった参加者は、七時から国際通りをデモ行進した。島田正博さん(那覇市議)の音頭で「戦争法案を阻止するぞ」「基地おしつけ糾弾」「復帰三十年式典弾劾」「米軍の事件・事故糾弾」などのシュプレヒコールを叫んで行進した。国際通りの人々はデモ隊に注目し、また路線バスから沖縄在住のダグラス・ラミスさんらが声援するという一幕もあった。牧志公園でデモをしめくくり、明日の式典抗議行動を確認して終了した。
 他方、この十八日は沖縄平和センターを中心とした「5・15平和行進」の最終日で、午後、宜野湾市・海浜公園で「復帰三十年平和とくらしを守る県民大会」が約八〇〇〇名の参加で開催されている。沖縄の基地撤去闘争などで地盤低下が著しい平和センターであるが、今年は例年よりも参加者が多く、県民大会での日米両政府への要請決議では「沖縄・日本駐留米軍の即時撤去」「有事法案、メディア規制法案の廃案」などを要求して気勢をあげた。
 この毎年の「平和行進」は、「本土」の人々にとっても旧総評系組合の場合、組合員が沖縄の反基地闘争に直接触れる機会として重要な役割を持っている。沖縄平和センターには今後も「平和行進」を堅持・発展させていってもらいたい。しかし、翌日には小泉首相が来沖してくるというのに、この日で連続行動が終わりというのはいかがなものか。ここには、復帰三十年式典での野党系取り込みの策略(社民党と社大党の沖縄選出国会議員は出席している)とたたかえず、日本政府の沖縄「振興」策や稲嶺県政と全面対決できていない平和センター系の弱点が露呈しているのである。運動の指導部に日本政府と本気でたたかう気があるのか疑わしめると言わざるをない。
 したがって、日本政府と稲嶺県政の共催として行なわれる式典を前にして、今年は、平和市民連絡会が平和センターに合流せず、独自行動を貫徹したことの意味は大きいものがあると言えるだろう。

5・19

「復帰30年政府式典」を弾劾

   会場へデモで肉迫


 五月十九日、式典が行なわれる沖縄コンベンションセンターの近くの宜野湾市真志喜公園で正午から、「復帰」三十年・基地おしつけ糾弾緊急集会が平和市民連絡会の主催で開かれた。この式典弾劾の現地行動には、「復帰」30年を撃つ沖縄行動およびそれに呼応した「本土」の共闘組織(ブント系等による有事立法改憲阻止・反帝国際連帯・反戦闘争実行委員会)、さらに反戦共同行動委員会など中核派系の人々も合流して、約三〇〇名が結集した。
 集会ではまず、平和市民連絡会事務局長の崎原盛秀さんが主催者あいさつ、「三十年前、核つき復帰糾弾の集会が行なわれた。そして三十年たって暗雲漂うきびしい状況となっている。日本政府の不条理な圧力、植民地的状況に一歩も引き下がってはならない。最近の県民世論調査では六九%が、辺野古への基地移設を拒否している。運動側がしっかりすれば反撃は作れる。沖縄を拠点とする有事法制も阻止できる」と訴えた。

名護ヘリ基地反対協の安次富浩さんは、「今、名護では昼夜を問わず米軍機が飛び交い、騒音に慣れさせようとしている。市当局に基地使用協定締結の動きがあるが、いまの演習に抗議しようとはしておらず、新たなごまかしとなっている。新基地と引き換えの金融特区など拒絶すべきだ。二五日には、名護で有事法案反対・移設阻止の行動を行なう」と報告した。他に、宜保幸男さん、当山栄さん、西尾市郎さんなどなどが発言した後、まさに式典が開会されんとしているコンベンションセンターへ怒りのデモに出発した。
 巨大な建物が遠くに見えてくるあたりで、警察車が異常にノロノロ運転になり(小泉の到着時間などが関係しているのか)デモの進行を妨害、これに断固抗議し、妨害を跳ね除けてデモの進撃を続行。会場前の交差点ではしばらく、式典弾劾!基地おしつけ糾弾!のシュプレを会場内に届けとばかりに繰り返した。
 デモ隊は、再び真志喜公園にもどって総括集会。活動家たちには、四月以降の一連の闘いをやりきったという表情とともに、闘いはまさにこれからだという闘志が感じられた。(本社W取材)
 

5・25名護

  戦争法反対!ヤンバルからも声あげよう

   海上基地阻止へ連動


 一坪反戦地主会北部ブロックは五月二五日、名護市内で「有事法制=戦争法反対!やんばるから声をあげよう!5・25講演集会とデモ」を行なった。この行動は有事法案に反対すると共に、メディア規制法案反対、名護への新基地建設反対を掲げたものであった。
 一坪北部代表の安次富浩さんが主催者あいさつ、「凄惨な地上戦があったこの沖縄で、このヤンバルで、新基地をつくる、米軍に協力せよなど戦争への市民の動員が画策されている。反対協で闘ってきた新基地建設阻止に勝利するためにも、名護の地から声をあげていこう」と訴えた。
 名護ヘリ基地反対協代表の宮城幸さんが連帯あいさつ、「戦前戦中は日本軍に引きずりまわされ、青春時代などなかった。家族を失い、戦後は食を求めてもがき苦しんだ。日本政府は沖縄住民にはどんな事でもやってのける」と語った。
 講演は池宮城紀夫弁護士で、有事法制三法案の危険な本質を次ぎのように解説。「三矢研究」、七八年ガイドライン以降の有事研究と長年有事法制が画策されてきたが、政府には戦争権を奪っている現憲法が立ちはだかっていた。そこで政府は、国民三分の二の同意を得ねばならない改憲ではなく、陰謀をめぐらし、立法によって憲法を葬り去るつもりだ。法案では、あらゆる公共施設・機関も個人私有財産も、軍隊が「武力攻撃のおそれ、予測される」として自由勝手に使える。徴兵制は書いてないが闇にひそんで在る。かっての国家総動員法と何ら変わらない。
 平和市民連絡会の崎原盛秀さんは、「有事三法案の廃案をめざす県民大会実行委員会」が作られたこと、その実行委で二九日〜三一日の連続座り込みが那覇で行なわれ、六月八日に県民大会が開催されることを報告した。また崎原さんは、6・8だけでなく、有事法制をつぶすための長期の共闘組織が広範に作られるべきだと指摘した。
 東海岸・辺野古の「命を守る会」の金城さん、嘉陽さんも発言した。
 集会後の市街地デモは五十名ほどのものであったが、市民の受けは良かった。名護、やんばるでも、日米戦争屋どもの正体への認識は深まりつつある。(沖縄T通信員)

有事三法案の廃案めざす6・8県民大会へ

  沖縄民衆の広範な共闘で

 沖縄では「有事三法案の廃案をめざす県民大会実行委員会」が五月二六日、市民団体・労組・県会野党など広範な勢力で作られ、六月八日の県民大会(北谷町球場前ひろば、午後四時)が一万人規模で準備されつつある。これに総結集し、沖縄から「本土」へ向けて、戦争法は沖縄人が絶対に許さないということを圧倒的に突き付けることが必要だ。
 この6・8県民大会実行委員会は、山内徳信さんが代表呼びかけ人となっているが、同氏が代表である「普天間基地の県内移設に反対する県民会議」の枠組みを広げた形で作られている。この枠組みは沖縄でもっとも広範なものであり、今回の有事法案反対での共同の取り組みを成功させると共に、有事体制=侵略体制の拠点になろうとしている海上基地反対へ突き動かしていくことが問われるだろう。
 県民大会実行委員会は、県庁前の県民広場で三日間の座り込み行動を行ない、その最終日の五月三一日には山内代表も先頭に立ち、平和センターの崎山議長なども参加、6・8への檄を飛ばして、約三百人で国際通りをデモ行進した。(沖縄T通信員)