表現・言論弾圧の「メディア規制三法案」

 戦争体制作りの一環


 戦後初の有事法制関連三法案と共に、「人権擁護法案」と「個人情報保護法案」の国会審議が開始されている。両方案は、「青少年有害社会環境対策基本法案」とともに、いわゆる「メディア規制三法案」といわれるものであるが、問題の性格は、メディアのみにかかわらず、諸個人の表現・言論活動にもかかわる問題であり、まさに言論規制・弾圧の法案である。
 人権擁護法案に関してみると、これまで日本社会でも、国際社会でも、部落差別と国家権力による人権侵害が、日本において克服すべき人権問題の二つの重要な柱として指摘されてきた。九八年十一月の、国連の規約人権委員会の日本に対する「見解」も、入国管理所や刑務所での権力による人権侵害を指摘しながら、独立した人権機関の設立を勧告している。ところが政府の人権擁護推進審議会の答申(九九年七月)は、メディアへの批判に重点をおき、二〇〇〇年七月には、同審議会は人権侵害の種類を@差別、A虐待、B公権力による侵害、Cメディアによる侵害に分類し、メディア規制を確定的とした。そして更に今回の法案では、Bの国家権力による人権侵害は、Aに埋没させ、実質的に隠蔽させてしまっている。完全なねじ曲げである。しかも、人権委員会は、法務省の外局とし、その独立性は保障されず、国家権力の人権侵害の問題は、完全に吹き飛んでしまっている。
 個人情報保護法案に関しても、基本的人権の観点からの、政府の自主的な取り組みがあったわけではない。日本も含め世界的にIT化が進み、EUは九五年に“個人情報の保護が不十分な国にデータを移転させてはならない”とする状況となる。また、日本政府自身としても、九九年の住民基本台帳法改正の際に、「三年以内の個人情報保護法の法制化」をうたわざる得なくなる。政府はそのための検討部会を九九年七月に設置する。ところがこの流れは途中で消滅し、二〇〇〇年の一月に、法制化専門家委員会が作られ、五月に今の法案とほぼ同じもの(罰則など、先の検討部会の構想と大きく異なる)が作られる。
 個人情報保護法案の最大の問題は、明確な差別情報などの収集・活用の禁止(本来の個人情報の保護の面)が欠落しながら、他方では、個人情報の保護を逆手に取り、それを大義名分にして、政治家など公人の不正をあばき、公にする活動を弾圧・規制する所にある。しかも、「違反行為」なるものに対して、主務大臣が中止の勧告、(人権侵害が切迫している場合には)勧告内容の措置の命令ができるとしている。つまり、国家の判断で、表現の自由、言論の自由を規制・弾圧できるのである。
 今回の言論弾圧・規制法案は、基本的人権に反する(政府の考えは、諸個人の人権を実現するための政府ではなく、やはりその逆である)というだけでなく、有事法制3法案と時を同じくして、法制化が画策されているという事態が、雄弁に物語るように、“戦争のできる体制づくり”の一環としてあるということである。この背景には、日系多国籍企業の国際的活動を軍事的政治的に保障する日本帝国主義の狙いがあるのであり、それは現下ではアメリカ帝国主義の軍事戦略と極めて密接に展開されている。広範な戦線を作りつつ、戦争策動に反対する闘いをさらに発展させよう。(T)