全国で5・1メーデー行動意気高く

 

大阪 中之島メーデー

  戦争の道開く小泉打倒!


 五月一日午前十時より、大阪・中之島剣先公園にて第七十三回中之島メーデーが闘われた。
 「戦争への道をひらく小泉内閣打倒!」「競争社会反対・共生社会を!」のスローガンの下に、全日建運輸連帯関西生コン支部・武委員長、全港湾大阪支部・加来委員長、国労近畿地本・波来副委員長、全労協大阪・前田議長の代表委員による実行委員会の主催で、約二千名の労働者・市民が参加した。
 当日は前段に、NTTの十一万人首切りに対し、電通合同労組がスト突入の中、朝よりNTT西日本本社前でのリストラ強行抗議行動が行なわれた。
 前田議長の開会宣言のあと、武委員長が実行委代表挨拶を行なった。雨の中かけつけた仲間たちの挨拶が、大阪労働者弁護団、関西共同行動、「平和な島を」関西・沖縄の会、新社会党等の政党や無所属市民派地方議員とつづき、小泉内閣の戦争体制作りとの闘いなどを訴えていた。
 争議組合の紹介・決意表明では、ストに突入した電通合同を先頭に、郵政近畿労組、関生十二組合が、さらに全港湾箕面自動車教習所分会が闘争報告を行なった。
 郵政民営化に反対する特別決議、有事法制の制定に反対する決議、電通合同の闘争宣言が提案され、確認された。
 最後に、波来代表委員が「戦争への道をひらく小泉内閣を打倒し、憲法改悪・有事立法制定を阻止しよう!」などのスローガンとメーデーアピールを提案し、拍手で確認。加来代表委員が閉会宣言と団結ガンバローを行なって、時折激しくなる雨中を大阪駅までのデモに出発した。
 闘う中之島メーデーは、その中心となっていた国労、電通合同、関生支部等、リストラと争議の渦中に入る激しい情勢だ。しかし闘いの出発を確認したメーデーとなった。(関西S通信員)

第33回釜ヶ崎メーデー

  実現させるぞ!支援法


 五月一日、第三十三回釜ヶ崎メーデーが闘われた。
 釜ヶ崎日雇労働組合、釜ヶ崎反失業連絡会は四月二四日夜、西成市民会館で「メーデー学習会」を七十名の参加で開き、三十三回目を迎えた釜ヶ崎メーデーの闘いの歴史と、野宿生活者支援法早期成立へ向けた学習を行なった。
 翌二五日には組合のバス「勝利号」で上京、二六日の国会請願行動を闘い抜いた。
 四月三十日午後四時より三角公園で、恒例のメーデー前夜祭が行なわれた。釜日労の藤井さんの司会で、釜ヶ崎連帯委員会の挨拶に続き、釜ヶ崎反失連の本田さん、釜日労の松本さんが、反失業闘争と支援法成立へ向けた取り組みを報告し、反失連の山田共同代表が、三十三回目の釜ヶ崎メーデーの意義について述べ、明日に向けた決意のシュプレヒコールを釜日労の大渡さんが行なった。
 五月一日、早朝五時よりセンターにて情宣が始まる。次々とマイクでの決意表明が行なわれた。八時より五百名がセンターを出発、激しい雨の中、釜ヶ崎地区内をデモし、三角公園の炊き出しで態勢を整えた。今年の釜メーデーは、日雇・野宿労働者の団結を!貧困に苦しむ民衆との連帯を!反戦・反失業・反グローバリズムを闘おう!のスローガンを掲げ、「野宿生活者支援法を実現させるぞ!」の固い意志の下に闘いぬかれた。
 この数年の如く、大阪城公園での連合メーデー会場の清掃へ百名、高齢者特掃事業へ二百名の労働者、NPO指導員の取り組みを一方でやり切り、これらを併せ昨年と同じく千名の労働者がメーデーを闘い抜いたことになる。
 九時より三角公園を出発、再び釜地区をデモし、日本橋商店街を通りナンバまでの雨中のデモを貫徹した。(関西S通信員)

日比谷メーデー

  闘う伝統継いで2万人

 第73回メーデーが五月一日、都内の各所において行なわれた。連合が連休などによる動員の低下対策として、四月二七日にメーデー集会を繰り上げる中で、メーデーの伝統を守り、発展させようとする仲間たちの二万人が参加した。
 日比谷野外音楽堂での「日比谷メーデー」には、都労連や民間労働組合、外国人労働者などが結集し会場いっぱいの熱気に包まれた。主催者挨拶は国労東京酒田委員長が行い、続いて矢沢都労連委員長の連帯挨拶が行なわれた。決意表明は、東洋印刷の辻さんと国労闘争団の神宮さんが行なった。辻さんは、資本家による労働者解雇自由の考えが司法制度にも大きく影響を及ぼしている中、職場の解雇撤回闘争だけではなく、裁判所に対しても3000人のヒューマンチェーンを行い抗議を行なってきたことが報告された。
 また、有事法制が国会審議される中、廃案に追い込むための大きな運動を作り上げていこうとの訴えや、同一価値・同一賃金労働の実現のために、ILO111号条約(雇用、及び職業の差別待遇禁止)の批准を求める運動への呼びかけなどが行なわれた。
 メーデー参加者は最後に「働くものの団結で生活と権利、平和と民主主義を守ろう」というアピールを採択し、都内をデモ行進した。(東京H通信員)

第8回新宿メーデー

 今後問う支援法での分岐

 五月一日、第八回新宿メーデー(呼びかけ・新宿連絡会、主催・実行委員会)が新宿・柏木公園で三百六十名の参加で行われた。
 集会は、新宿連絡会、池袋連絡会、三多摩連絡会など五団体の発言を受けた。この間、野宿者立法の制定を勝ち取るために、八次にわたる国会前座り込み行動を先頭に立って推進してきた新宿連絡会の笠井さんは、「われわれは、世の中を変えて来た。自信を持って闘っていこう」と力強く呼びかけた。参加者は、団結ガンバロウ!で集会を締めくくった後、「ホームレス自立支援法の早期制定を」と大書した横断幕を先頭に新宿の町に繰り出した。
 今メーデーの中心課題は、自立支援法であった。野宿労働者運動は、釜ヶ崎からも大挙駆けつけてたたかったあの新宿ダンボール村強制撤去実力阻止闘争を契機に政治力を高め、いまや「生きがいのある社会」を模索し、周辺住民・社会的諸層(諸政党)を説得し、自立支援法の国会の全会派による制定にまでこぎつけようとしている。これができたのも、野宿労働者の要求を核心において捉え、野宿労働者自身の闘いにしっかり依拠してきたからである。
 こうしたことの反面として、野宿労働者運動において克服すべき傾向が自立法案に反対する形をとって現れたのも今メーデーの特徴であった。この傾向は、野宿労働者の現状に拝跪し、野宿生活の防衛が中心的闘争課題で、排除攻撃がなければひたすら炊き出し(プラスα)という路線として端的に表現できる。三十年近く前、寄せ場労働運動において労働者の現状に拝跪する点では同質の路線とのシビアな分岐があり、それを乗り切った釜ヶ崎において、その後の運動の発展の道が開かれた。いま東京の野宿労働者運動において、寄せ場労働運動を含めた形で、当時の分岐に比すべき、否社会的意義という意味でははるかに大きな運動の正念場を迎えている。山谷の運動主体を含め、この試練を正しく乗り切ってもらいたいと思う。(東京M通信員)