≪書評≫

 

「めしと魂と相互扶助」 樋口篤三著 第三書館


 三月十七日、東京・後楽園会館で、樋口篤三さんの『めしと魂と相互扶助』出版記念・祝う会がひらかれた。第一部は、「めしと魂と相互扶助―高野実、清水慎三と今日の課題」と題して、樋口さん、渡辺治・一橋大教授、龍井葉二・連合総合労働局長によるシンポジウム、第二部は、出版を祝うパーティー。幅広い層から一四〇名もの人々が集まった。
 私が樋口さんと話しをするようになったのは、最近のことである。運動のあり方に関する見解が近いようだと感じたことが契機な訳だが、革命家として人を惹きつけるなかなかの人であった。時代は、彼を必要としている。彼もまた、それに応える用意がある。この本は、そのことを確信させる一冊である。書評はこの一語に尽きるのだが、以下四点にわたって述べてみたい。
 第一は、読む人に、革命を志す樋口篤三がその魂をもって語りかけていることである。私を革命の事業に導いた人々が、いつのまにかマルクス主義を貶める立場に「転向」している軽さと比較して、土台の重さの違いを感じさせるものがある。
 第二は、これまでの革命運動に対する総括があるということである。度重なる主観主義のあやまり!全くその通りであった。ブント―赤軍派の破産の経験は、私自身にとっては非常に貴重なものであったが、四十・五十年代の教訓の継承性の欠如という問題としても捉え返さねばならないということだろう。
 第三は、戦略があるということである。特に、社会革命を現在的任務として位置付け、実践されている点は、手本とすべきことである。
 第四は、共産主義者の大同団結を目指していることである。党組織の現代的な在り方をも含め、多いに議論してみたいものである。
 ということで、皆さんに一読を薦めたい。(深山和彦)

 

「自衛隊の対テロ作戦」 小西誠著 社会批評社


 小西誠さんは長らく中核派の反戦自衛官として有名な人であったが、近年は中核派を離れ、軍事問題や左翼の再建の問題などで独立した批評活動を行なっているようである。
 七〇年安保対策で自衛隊の治安出動訓練が開始された一九六九年、「国民を守る」ために自衛隊に入隊していた小西さんは、「銃口を国民に向ける」訓練は到底容認できなかったので、基地内外に「治安訓練反対」のチラシを貼り、全隊員の面前で訓練を拒否した。
 それで、自衛隊を懲戒解雇されるとともに、「政府の活動能率を低下させる怠業および怠業的行為を扇動した」として自衛隊法違反で起訴されたが、結局一九八一年には、「小西の行為は表現の自由の枠内」とする無罪判決が確定した。
 この小西さんの叛軍決起をふくめ自衛隊内外から批判のあった治安出動訓練は、七〇年直後一旦中止されることになったが、今やこの治安出動訓練が三十年ぶりに公然と復活しているという。
 この本は、その自衛隊の治安出動態勢の現段階を、多くの未公開文書を使って分析・解説したものである。
 小西さんの解説の要旨は、次の諸点にあるようだ。
 自衛隊は、当面の主任務を「有事下に出動する軍隊」から「平時・非常時に出動する軍隊」へ、すなわち、警察機関に代わり「国家の危機管理」を軍事的に担う実力組織へと移行している。このことは、戦後の自衛隊のあり方を根本から転換させる。ソ連脅威論の崩壊によって「有事」事態を喪失してしまった自衛隊が、その膨大な装備と予算を維持するために、新任務を創り出そうとしている。
 とすると、現在の有事立法は何を狙っているのか。その制定目的の核心は、防衛出動下の「日本有事」という事態ではなく、自衛隊用語で言うところの「非常時」下の有事立法の整備にあると言えよう。もうひとつが、周辺事態法下の物資の収用と人員とくに民間人の強制動員である。
 「21世紀型の新戦争」論は、9・11事件で急に出てきたのではない。米国の低強度戦争論がすでに存在し、日本では九五年の新防衛大綱があいまいな形でそれを示していた。9・11事件は、米日の軍事当局にとって「ソ連脅威論」に代わる「テロ脅威論」という「主敵」を手にすることを可能とした「神風」であったにすぎない。
 以上の小西さんの分析には、若干論議を呼ぶ点もあるようにおもえるが、現在の有事立法反対運動において有益な諸論点を提起している。また、「派兵の時代における自衛隊員の『戦死』という出来事は、……自衛隊の崩壊、ひいては政府・国家の崩壊の引き金となる」という見解や、「インターネット時代の『兵営』の溶解」という観点も自衛隊工作の上で実践的に重要で面白い観点だと思った.
 ともあれ、小西さんのご活躍に期待したいと思う。(W)