働くものの分断許さず、02春闘闘いぬこう

  大きな展望で反失業を


 2002年春闘は、かってない賃下げ・首切り攻撃の中で闘われている。しかしデフレ不況は政府と独占資本にそれを構造的に生んだ責任があるのであって、われわれ労働者にその尻拭いをする責任は全くない。労働組合の仲間たちは臆することなく声をあげ、賃金・労働条件改善の要求を突き付けよう。
 また連合が反戦の課題を放棄しているなか、今春闘で有事立法・憲法改悪に反対する労働組合としての闘いを、地域共闘・課題別共闘などを通じて押し出すこともきわめて重要な情勢となっている。
 そして「雇用春闘」と言われる現在、反失業・雇用闘争を大きな展望をもってとらえ直していくことが問われている。それは正規・非正規の労働者の分断を許さず、あたらしい社会をめざす意識性をもった労働組合の社会的・政治的闘いとして模索し、開始されるべきである。
 日経連など資本家たちは、「ベースアップは論外、定期昇給も凍結・見直し」(一月・労問研報告)とし、首がつながっても賃下げは当然としている。これに対し、連合は、賃金では定昇分の防衛を抵抗線とし、雇用では正社員の優先的雇用維持を主眼としている。
 笹森連合会長は二月八日の春闘開始集会で、「雇用を守ることが労働組合の役割とするなら、今こそ労組の出番だ。連合がやらなくて誰がやるのか」と息巻いたが、真っ先に首を切られるパートなど非正規労働者・未組織労働者の雇用と権利はどうしてくれるのか。賃金でも、多くが定昇のない中小職場では、連合がベア無しで手を打てばもろに賃下げ圧力となる。本当の「雇用春闘」と言うならば、大企業労使のリストラ容認による企業再編のしわ寄せをもろに受ける労働者階級多数派(中小企業労働者・非正規雇用労働者)の働く権利を確立し、守れる春闘でなければならない。
 雇用問題では、企業別組合の企業内主義的限界が露骨に出やすくなる。大失業時代の今こそ、企業の枠を越えた個人加入の労働組合を前進させ、日本の労働組合運動の主流派にしていく大方向が必要である。現在は少なくとも、でたらめな整理解雇に地域からチェックを入れることのできるような、個人加入労組を各地に確立していくことが必要だ。

  前提問われるワークシェア


 また、「雇用春闘」と関連し、ワークシェアリング(WS)論議が盛んになっている。しかし一部で導入が労使交渉されているWSの実態は、連合も「ワークシェアではなく賃金シェア」と言わざるを得ないもので、要するに企業内の賃下げを伴う時短であり、従来の操業短縮と変わらないものである。
 「賃金を半分にして雇用を二倍にする」というのが、WSの資本家的理解である(こうしたWSであっても、労働生産性が落ちるとして資本は乗り気ではないのだが)。これは雇用形態では「正社員一人をパート二人にする」ということにもなる。小泉が労働規制緩和をすすめれば雇用が増える、と言っているのはこのことである。
 厚生労働省のパート研究会は二月五日に中間報告を出したが、それはパートの処遇改善を正社員処遇の改変と並行してすすめ、前者の賃金は後者の八割程度へ、とする「日本型均衡処遇」を唱えている。しかし本当に均等待遇を実現するためには、パート代替などのための解雇を禁止すること、権利・社会保障を含めた平等のための法制化、賃金決定を個別企業まかせではなく社会的規制にかけることなどが必要である。これらを抜きにした「働き方の多様な選択」は、WSの美名の下に雇用・権利破壊をすすめるものにしかならない。
 WSは資本主義体制の下においては、それが比較的公平に行なわれる場合であっても、総資本が総賃金をどれだけ用意するか、という大枠に限界づけられている。現在の反失業闘争においては、国や自治体の責任による公的就労の実現を要求し、そうした雇用創出のなかで労働者・市民のヘゲモニーによるWSを実施するという方向が重点となるだろう。資本増殖には不向きな仕事であっても、社会的には必要であり利潤を生まなくても運営できる仕事はたくさんある。労働権の保障を国家に迫り、社会生活を労働者が組織していくことが必要だ。
 現在、国会で審議中の「野宿者自立支援法案」の制定を求める運動は、こうした反失業・雇用闘争の大きな展望のなかに位置付けられるものである。
 個人加入の新しい労働組合と、新しい反失業・雇用闘争を前進させよう。