名護市長選はなぜ敗北したのか

  巨大基地建設阻止のために


 二月三日に投票された沖縄・名護市長選挙は、周知のように海上基地建設反対の宮城康博候補が現職岸本市長に大差で敗北する結果となった。
 九七年十二月の名護市民投票では、投票方式のねじまげにもかかわらず、明確な基地移設反対票が一六六三九、容認票が一四二六七であった。今回の市長選では宮城票が一一一四八、岸本票が二〇三五六であるから、約五千票以上が基地容認派に奪われるという大敗北であった。
 この敗北はなぜ発生したのか。候補選定の遅れ、宮城陣営の不統一、岸本派による不在者投票の異常な多さ、若年失業率が高い沖縄の経済情勢などなど、それらも敗北の一因や背景であるにせよ、より根底にあるものは何なのだろうか。このかんの現場の経過を振り返り、今後に教訓を得ていきたい。

  <戦略なき闘いでジリ貧状態>


 投票日前日の二日の午後五時、名護市街十字路でうちあげ式があった。約三千名、半数がヤマトー。黄色の「やすひろシャツ」に「やすひろ旗」を持った本土部隊がショーを展開している。上田耕一郎が失点だらけの演説をしている。名護市民にとって新たな米軍基地を拒否する選挙戦は、本格的に成し得ないまま、とうとうジリ貧のまま、その幕を閉じようとしている。

  岸本は基地問題を封印


 岸本は表に出ず、宣伝カーにも乗らず、演説もせず、ただひたすら地域の隅々を廻って、お母さんたちと握手をして廻っている。「握手されたら、もうボーッとして落っこちてしまう」とは、ある女性の言。反基地の主要な担い手たちを“殺し”て廻っているのだ。名桜大学のオープントークも岸本は拒絶した。彼にとって絶対マイナス要因の「基地」を封印するためだ。
 日本政府は、市民投票時の直接介入は止めている。「金融特区」「大学院大学」「高専」等々、振興策を断続的にマスコミに流し、移設は避けられないとのムード作りを、代替施設協議会や閣議の動向としてやるようになった。
 しかし、9・11事件以来、米軍のアフガン空爆がお茶の間にも飛び込んできて沖縄戦体験を呼びもどし、「基地を作ってアフガンみたいになるなら、なんてアホーサー」(お母さん)、というような認識も広がりつつある。
 この認識を土台にすえれば「五分五分に戦える」と言う活動家は少なくなかった。ペシャワール会・中村哲氏の那覇講演や、平和市民連絡会のテント小屋運動、「報復戦争やめろ」や難民救援カンパなどは市長選の前哨戦たりうるのだが、名護には波及していかなかった。

  敵に有利な振興策での争い


 こうした微妙な情勢のなか、一月十六日の報道各社とのインタビューでは、宮城候補は、名護市民がたどった市民投票以来四年間の実情に率直に答えていないうえ、基本認識についても明瞭ではなかった。「軍民共用空港は不用。軌道交通を導入する」、これではもう名護のお母さんたちの認識を代弁することはできない。米軍基地を岸本同様に「軍民共用空港」と言いかえ、「軌道交通」と並べてどっちを選択するか、という感覚である。「基地を作るより、鉄道を作りましょう」と連呼する宣伝カーもあったが、振興策の土俵で競えば岸本に分がある。
 市民投票に従う、市民投票で結論は出ている、と何回も言ったが、それは、振興策でも鉄軌道でもなく、米軍の軍事基地に対して無条件でNO!と結論するものではないのか。「鉄軌道」は市民投票の選択肢に存在しない。

  「基地・戦争」の焦点が拡散


 宮城康博氏で市長候補の決定がなされるやいなや、ヤマトの人びとがどっと名護に入ってきて、氏の側を固めた。市民投票時には意識的に宮城氏のカリスマ性が形成されていたが、今日の名護ではそれは克服されつつあった。が、遠方では彼のカリスマ的人気は強く残っていた。ドーナツ型になったカリスマ性が選挙戦をゆがめ、ジリ貧化の一因となったことは否めない。
 名護ヘリ基地反対協や名護市民からすれば、「基地に反対する」、「市民投票に従い、日本政府と闘う」が第一義的であり、「やすひろ」は第二義的である。ヤマトーにとっては、市民感覚はどうでもよい、眼中にないのであって、「黄色のシャツ」で「やすひろ旗」を踊らすのである。
 宮城候補の不明瞭な基本認識は、このような防壁に守られて、「公共事業の分離発注」「介護保険料の減免」「農漁業振興」「教育の整備」等へ拡散していく。岸本派は、「黄色いシャツ着たへんな人たちが名護に来ている。かれらに推される市長が生れたら、名護の財政はおかしくなり振興策もダメになる」と、地域廻りをした。この強迫は効きめがある。
 宮城陣営はある意味では、九八年前回市長選での玉城氏の惜敗を「教訓」にしているとも言える。前回市長選では、岸本は「大田知事に従う」(事実上の移設凍結)として、はぐらかし戦術に出た。他方、玉城陣営は、基地反対の紙と音の大量の爆弾が投下された市民投票の直後に、さらなる反基地の爆弾を投下した。それで市民は、もういい、ウルサイとなって耳目をふさいだ。市民は、はぐらかされて噛み合わない争点の中での「基地反対」の言葉・説教にあきてしまっているのであって、基地そのものを容認しているのではない。しかし、こうした経過から、「基地一点ばりでは選挙はできない」と主張する人びとも発生し、諸施策のら列から「基地抜き」まで種々の度合いをもつ焦点ボケをも生み出すこととなった。(焦点を定めている人びとも、言葉だけの反基地の説教には注意すべきだが。)
 しかし今日は、四年前とはちがう。すさまじい大量殺人兵器によるアフガン空爆は、自らの東海岸・辺野古の危険性と重なり合う。米・日のいう「テロとの戦争」がもたらす現実味を持ってきた恐怖は、振興策や「岸本の握手」や「あきらめムード」を吹き飛ばす力に転化する可能性が充分あった。コザのK氏は言った。「お前ら、ゴチャゴチャ多すぎる。岸本がNOと言わんから倒す必要があるんであって、候補は誰でもよいから早く決めろ。表が沖縄戦でウラがアフガン、言葉は一行でよい。こないだの戦争、あすのアフガン、空爆に気をつけよう!だ」。

  市民の登場阻む政党・労組選対


 選挙戦のジリ貧状況は進行するが、無風状態。本部は司令塔をやめている。投票日前の「三日戦争」直前には、「基地問題でいがみあうより、みんなで夢を語りあおう」「街づくり・人づくり・夢づくり」「たとえばこんなアイ・ラブ名護」との高価な多色刷りが出てきた。岸本側のビラかと思ったら、労組選対2号ビラだった。九〇%「基地抜き」の出現である。三日戦争をどう戦うかではなく、時間を浪費せよということなのか、疑念が生まれる。
選対本部は日共が多数派を占め、無言の実権を握っている。所々に人材を送り、実情を知りながらも、ことさら問題を主張しない。参院選の失敗を埋めもどすことで満足なのだろう。
 本部長は、辺野古「命を守る会」など諸団体から信認の厚い玉城吉和県議であるが、上原康助氏との盟友関係は切れたと言っても、各種各層との妥協が県議にはつきものだ。連合的な考え方も周辺には存在しよう。労組選対2号ビラは、中央選対のすき間をついて出てきたものだろうか?
 連合沖縄は告示直前に、決定を出した。それは市長選に「取り組まず」であった。ここ数年、連合と稲嶺知事との間で「県民大会」「雇用問題」などでは接渉が多い。「基地」問題を排除して選挙・政治をやる姿勢も見えはじめている。今名護市長選は、連合も含め県政与野党・選挙界にとっては今年十一月の知事選とつながっている。連合の決定は、この線で出ている。
 ヘリ基地反対協は事務局長を選対事務局次長に送り出し、自らは凍結状態においた。政党・労組などは、反対協で選挙をするということは好まないだろう。現実の政治的対立の構造は「日本政府」対「反対協」で進行してきたにもかかわらず、選挙戦における基本認識や政策については、政党・労組による選対の支配下に置かれるという逆流現象が生まれた。ジリ貧を破るべき市民の台頭はなかった。

  <鍵握る市民運動の前面化>


 だが、三日戦争に入るまで勝敗は決まってはいなかった。市民運動間の交流をつくり出し、方針をもって大同団結し意を決して終盤を闘えば、ジリ貧はぬけ出せたと思える。その成否は、今選挙の性質の基本認識いかんにあった。諸政策を並べる内政論では、争点のはぐらかしにハマッていく勝ち目のないコースである。振興策を拒否する以上、カネまわりは少々悪くなることを率直に認め、そのために両脇をその任に耐えられる人材でしっかり固めて、市民に見せる必要もある。が、最も重要なことは、岸本がはぐらかしている核心点、まさにその核心点だけを争点化することであった。核心点とは言うまでもなく、名護のお母さんたちが心の奥底深く抱いている「基地だけは何が何でもイヤ」「アフガンみたいになるのは怖い」である。それを率直に、言葉少なく、単純に、普通感覚で主張していくことであった。
 市民運動が市民と共に前面に出る態勢は、いつでも取れる。「命を守る会」「反対協」「十区の会」「女たちの会」「平和市民連絡会」らが、市民の面前に立つべきだった。都合のよいことに、これら市民運動の宣伝カーは公職選挙法による限定に含まれない(だがそれ故、候補者名を言うこともできない。「やすひろ」を言わなくとも、むしろ言わない方が核心点を突ける)。三日戦争で、市民運動が手分けして全力を出せば、市民の共感の輪を広げ、ボスどものしばりから「基地・戦争拒否」を解き放つことは可能だったと思う。
 九四年、名護市の隣町・本部町豊原の人びとは、自衛隊P3C基地推進派の町長を倒すために、町長選に挑んだ。その結果、安保条約は認めるが、豊原への「基地建設は何が何でもダメ」を主張し、保守王国本部町で多数票を奪った。最悪の本部町でできて、名護市で不可能ということはないはずだ。
 宮城氏の廻りを固める「本土」人たちは数的にも地元を圧倒せんばかりで、主導権を握って上すべりに華やかな戦いをやっていたが、地元感の欠如の故に、「やすひろ」を掲げて戦いの核心点を突いているのだと安心していた。「『やすひろ』が言えないでは意味がない」として、公選法上候補者名が言えない電動拡声機数十台が捨てられていた。「やすひろ」が言える紙製メガホンが採用されている。

 

  <自由な論議で情勢をまき返そう>


 こうして、残念ながら、司令塔なき戦略なき戦いは、ジリ貧のまま終局を迎えた。
 沖縄の軍事基地建設、日米共同でのアジア支配を達成していくために、米軍に基地供与する日本政府は、沖縄人の反戦反基地運動の解体を画策し続けている。この攻撃は各方面から作用してくる。
 ここ十年で前進してきた沖縄の市民運動は、この攻撃に抗する中から、歴史的体験の中から生まれ出て来た。名護の反対協もしかりである。
 東京の精神的支配下にある人びと、政党・労組は絶えざる反省と自制を行うべきである。そうしなければ、沖縄民衆自身の大きな統一戦線を作れないだけでなく、反対協を内部から破壊していくことにすらなるだろう。
 今後も、基地をめぐって沖縄人と日本政府との間には、あい入れない闘いが存在し続ける。この闘いは、長期の『島ぐるみ』の闘いでしか解決できない。
 『島ぐるみ』の闘いは、戦後沖縄をいくたびかの波になって発展しているが、今回の攻撃と市長選敗北に抗して、さらに発展していくためには、討論を解放し、言いにくい内部の問題も表に出し、市民・民衆が言いたいことを言えるようにすることを通じて、抵抗力を養わなければならない。
 市長選に勝利したとはいえ、日本政府と基地推進派にはまだまだ困難が多い。岸本・稲嶺は「十五年使用期限」のペテンをろうしてきただけに、なおさらそうだ。現在は、当初案から二倍以上になった海上巨大基地の工法を勝手に決めただけで、着工までにはまだまだ簡単に行かない。情勢をまき返し、海上基地を阻止することは必ずできる。
 この辺野古の新基地建設を阻止するためにあった市長選の、今回のジリ貧的敗北をキチンと総括し、沖縄人の心情に依拠した大同団結を固めていくことが今こそ必要だ。そうすれば、岸本や稲嶺その他の有言無言の「基地抜き」派、「もはや基地では闘えない」派どもを粉砕して、軍事基地なき沖縄を実現する大きな団結へ進んでいくことができるだろう。   (沖縄T)