「触法精神障害者」立法に反対を

  保安処分の本格登場

昨年六月、池田小幼児大量殺人事件が起こって以来、にわかに「触法精神障害者の処遇」問題がクローズアップされている。

池田小事件の直後、小泉首相はさっそく「触法精神病者の処遇」をめぐる立法化の動きを表明し、それまで、精神神経学会や自民党プロジェクトチームで見直しや「研究」がすすめられていたこの問題が急速に表面化した。

「触法精神病者問題」とは何か。政府はいままで、精神病者の犯罪については、精神鑑定を行ない、心神喪失・心神耗弱状態にある病者についてはその責任能力を全面的に、あるいは一部しか認めず「措置入院」させ、罪を問わないまま退院させるということを続けてきた。(心神耗弱状態の場合は減刑する)。

これは、第一には、起訴前の「簡易鑑定」で、ほとんどの精神病者による「犯罪」が無実になっており、それは検事の「いったん起訴したら必ず有罪にさせる」と言う、日本独特の奇妙な裁判の実態がそこに反映されている。検察としては、いったん起訴をしたら、なんとしても事件をくつがえらせたくないのである。それ自体、日本の司法制度の奇妙な構造を示している。

また、いわゆる「措置入院」は患者の意思にかかわらず行なわれる強制入院であり、現行精神保健福祉法の「医療保護入院」と並び、患者の病気の治療の要望のための入院ではなく、「社会の安全のために、治療を受けたくない病者も無理やり治療させる」という、治療処分的体質、社会防衛的な入院制度が、依然残されているのである。

現在はこれらの入院形態に加え、任意入院という、形式上「患者の意志による入院」が取り入れられたが、入退院は実質的に医者に逆らうことができず、そのうえ、任意入院でも保護室や閉鎖病棟での強引な「治療」や行動制限があり、また、任意入院で入院しても医療保護入院に切り替えられてしまうこともある。つまり、他科のような患者や家族による自由入退院という形式は、いまもって精神病者には認められていないのである。

このような簡易精神鑑定による措置送りというやり方に見直しの声が強まったのは、神戸事件や西鉄バスジャック事件、新潟の少女監禁事件、そして池田小事件など、一連の精神病者や精神病の疑いのある犯人による重大な犯罪が続き、「なぜ精神病者は裁判で裁けないのか」という世論に、応えるような形を取りつつ、これらを着実に利用して「精神病者を野放しにするな」「精神病者は多くが犯罪をくりかえす」などのキャンペーンを行ってきた結果である。

  司法の根幹を変える

小泉発言以降、行政は大きく二つの改悪を新立法で行なおうとしている。

その一つの柱は、法務省と厚生労働省の合同検討のもとに、精神鑑定によるふるいわけによって責任能力を問えない場合、「司法が入り口と出口を決める」という、医療的なものというより治安的・社会防衛的なものとして、重大な犯罪を犯した精神病者の処遇を考えていることである。

最も最近の与党三党プロジェクトチームの報告書では、裁判官、精神科医、精神保健福祉士(PSW)などにより構成される審判所で触法精神病者の処遇を決める、ということであり、そして決定にあたっては裁判官一名、医師一名によるという形にしぼられている。

この、決定に裁判官が加わるということに是非とも注目願いたい。日本の司法制度は、いわゆる三審制(地方、高等、最高)と家庭裁判所、簡易裁判所で裁判が行なわれ、それ以外の特別裁判所の設置(軍事法廷など)は法により禁じられている。今回の報告書はあきらかにその原則からの逸脱であり、司法制度そのものに重大な変更を迫るものである。

またそもそも、精神病者の入退院を医療の見地からではなく、「治療処分」として社会防衛や「公益性」のために、精神医療について無知な裁判官や、主治医でもない精神科医が「決定」するというのはどういうことか。(精神病は、病気の性質上、長い間の主治医との信頼関係のなかではじめて治療行為が可能であり、日常の行動を見ていない主治医以外の医者が見ても、症状について簡単に結論を下せるものではさらさらない)。これはあきらかに、戦後長い間葬られて来た「保安処分」の本格的登場である。

もう一つの柱は、この審判所で処分が行なわれ、専門治療施設から退院後も、全国五十の観察所による保護観察が続けられるということである。これは、「再犯のおそれ」ということに対応したものであり、犯罪を犯した精神病者は再犯の恐れがある、という根拠なき偏見にもとづくものである。

東京医科歯科大の山上皓をはじめとする一部の精神科医は、長らく「再犯予測」と言う、統計的に犯罪を犯した精神病者の再犯についての「研究」をつづけていた。これがバックボーンになって、今回、報告書に盛り込まれる形になったわけである。

そもそも、健常な犯罪者より精神病の犯罪者の方が再犯しやすい、という統計は存在しない。そして、それ以上に「再犯のおそれ」によって、行動に制限を加えるというのは、いわゆる罪刑法定主義(犯した罪に対して、刑罰が加えられる)に反している。

「再犯のおそれがあるから拘禁する」「裁判官が関与して特別施設への入退院を決める」ということは、明らかに保安処分である。

  反対運動の現状は

保安処分はかって刑法の改悪という形で立法化が試みられてきたが、「刑法改悪・保安処分反対百人委員会」などの反対のなかで廃案とされてきた。今回、反保安処分の闘いの隊列が整われていないなかで、本格的に打ち出されたのである。具体的には今春の通常国会で法案の上程が行なわれることはまちがいない。

これに対して反保安処分の隊列はどうか。これはまったく不充分であるのが現状である。

過去の保安処分攻撃のときは、進歩的な精神科医・医療従事者が闘いの中心にいた。しかし、それらはほぼ完全に政府側にからめとられ、存在しない。家族団体である全家連は、法務省と厚生労働省の合同検討会の当初から顧問弁護士を送りこみ、積極的に保安処分を推進している。当事者である精神病者はどうか。「全国組織」を名乗る全精連は、日々の地道な活動に支えられた団体とはとうてい言えない上に、合同検討会に都精連代表・小金沢を出席させ、「犯罪を犯した病者は仲間ではない」と、見事に分断にのっている。そして、その他の病者団体も、反保安処分で足並みがそろっているとは言いがたく、また戦線は微々たるものというのが正直なところである。

このような時期にあって、衝撃的な犯罪への世論の批判、そして中にはヒステリックなまでの論難をうまく手玉にとって、政府は保安処分立法の上程をもう決めてしまった。春以降、舞台は国会に移るわけである。保安処分反対の戦線を再構築しよう。(A)