新春労働運動座談会

三中総・労組決議をどう実践するか

  個人加入のゼネラルユニオンと地域ユニオンを発展させよう!

 企業別組合の危機を越え

  日本労働運動の新生を


旧年は、小泉連立政権と独占資本による失業・賃下げ・権利破壊の攻撃が激化し、また戦時派兵が強行されるなど資本攻勢・反動攻勢が強められ、これらと闘うことのできる日本労働運動の新しい再建が切実に問われた年であった。新年2002年は、何としてもその課題を着実に進める一年として勝ちとりたいものである。そして新しい労働運動の方向をめぐって、少なからぬ労働組合と活動家の努力が開始されていることも事実である。
わが労働者共産党が昨年六月の第三回中央委員会総会で決定した決議「我々がめざす労働組合運動の基本方向」は、こうした努力の重要な一環である。この三中総・労組決議が指し示すものは何なのか、当面は何に取り組むべきなのかなどを中心に、おもに労働組合運動の分野で活動している同志に集まってもらい、おおいに議論してもらった。(編集部)  


 N 地域ユニオン
 K 民間中小労組
 C 地域ユニオン
 M 日雇労組
 Y 民間中小労組
 O 教育労働者
 司会 編集部


司会 昨年の本紙の新春労働運動座談会では、国労が「四党合意」問題で揺れていた時期でもあったので、その要因の一つは企業別組合の限界というのがあるだろう、対比的にわれわれは企業の枠を越えた個人加入制のユニオンや中小労組を発展させて、新しい労働運動を切り拓いていく必要がある、という討論を行なった。その後、昨夏に三中総をやり、労働組合決議を決議した。
 三中総・労組決議は、みなさん周知のように、「企業の枠にとらわれない、個人加入のゼネラルユニオンや地域ユニオンを日本の労働組合運動の主流におしあげ、広範な労働者の階級的団結を固めることこそ、労働者階級の解放を前進させる道である」とし、「全国的な個人加入のゼネラルユニオンの形成」など五方面の課題を決定している。
 今日の討論は、この三中総決議を受けてやっていきたい。個人加入制の運動を主流派にしていこうというこの決議の方向について、みなさん各自の部署や組合から見て、どういう感想をもつか。
 決議案が最初出されたときは、ぼくの地方でもかなり討議になった。ぼくの地方組織にも既成の労組、官公労などの同志がいるんだから、そういう同志がどういうふうに自分の組合の中で道筋を作りながら、決議が言う個人加入の労働組合の流れに連帯できるのか。ただユニオンをやればよいではなく、その辺をもっと明らかにしていく必要があるだろう。そういう今後の課題をふまえたうえで、あの決議は分かるのだけれども。自分自身は地域ユニオンをやっているから関与しやすいが、労働運動全体の政策というとき、まだこれからという感じがあるのが率直なところ。
司会 首都圏地方でも相当論議になったよ。党なのに、一つの大衆運動の形態しか見ないのか?とか。そういう誤解を避けるために、細かい修正が入った上での採択となった。
 一つだけハッキリしているのは、今の企業別組合では限界が来ていて、決議がそれに代わる道筋のポイントを提起したという点だろうね。
 大手の組合の役員から話を聞いても、やっぱり危機感をもっている。どうしたら組合に入るメリットを説得できるのか。合理化に協力している組合だから、端的に言って、組合員がユニオンに相談に行ったら困る、とかの危機感がある。連合や大手の幹部の人たちにも、企業別というのはどうもダメなんじゃないかという意見は出て来ているんだけど、どう打開していくのか、方向が見えていないという現状にあるのだろう。
 昨年の連合や全労連の大会などでも、すごく危機感は出ているといえる。組織率がどんどん下がっている。とくに連合は七月参議院選挙では、七三一万組合員なのに連合推せん候補には、計一六九万票しか入っていない。労働組合の存在価値が下がっていて、連合も全労連も期せずして同じく、組織拡大を最重要課題として決定している。
 連合はナショナルセンターとして、すべての労働者の代表としてがんばるんだという方針を大会に出し、他の労働団体との部分的・課題別の共闘もありうるという方針をだした。しかし、全労連が十月に連合と共闘する用意があると発表したら、連合の草野事務局長がそういう共闘をやるつもりはないと言っている。大会方針が、わずか数週間でつぶされている。そういう状況から見ると、本当に危機感をもってるのか。情勢分析の言葉としては危機感をもっているが、どこから立て直すかという処方せんは持っていない。
 それで三中総方針については、基調は正しいんだけど、Nさんも言った官公労などとの関係をどうとらえていくかという問題で、一つは、今の公務員制度改革の攻防でどうなっていくかという面、もう一つは、中小労働者に密接な地域最賃制度や、環境保護などの地域的な課題。三中総方針と官公労の運動の接点がここらにあると思うのだけど、決議ではチラッとしか書かれていない。官公労運動が自分の賃金・労働条件だけでなく、地域の生活条件全体をどう良くしていくために闘うのか。官公労運動の見直しをすすめていくべきだと思う。
 わたしは官公労の日教組なんだけど、教育労働運動でも、地域とどう連携するかという視点が非常に重要になってきている。文部省側は、学校評議員制度や教科では総合科の導入など、かれらの意図で学校を地域に位置付けてきているわけだ。また十一月には、文相が教育基本法改定を中教審に諮問する、という事態に来ている。だから教育労働者が教育内容をめぐる課題を重視しつつ、自分の地域・学区に出ていく、そこで市民運動や民間労働者と連携していく、このことなしにこれからの運動はやりえない。三中総決議も、そういう方向にあると思う。
 企業別組合ができてきた日本の労働運動の歴史というのがあるわけだが、ここへきて企業別組合ではやっていけない状況がでてきている。実際問題、労働者を企業別組合では守り切れなくなっている状況が広がり、逆に言うと、この状況を変えていくチャンスの時期に来ている。この時期に三中総でこの方針を出せたというのは、先を読んで日本の労働者に道筋を示していると思う。画期的な方針が出たと言えるのだが、しかし、現実問題、それをどう実現していくかという面ではギャップがあるわけで、実践の中でその道筋を拓いていくしかない。その道筋の一つがゼネラルユニオンであり、また地域ユニオン。官公労とどう結びつくか、というのもその一つの課題となる。
M 失業が増えて、逆におれらの時代だということね。客観状況はそういうことなんだけど、失業者・野宿労働者運動としては出ていけても、日雇労働運動としてはうまく行っているわけではない。ゼネラルユニオンの構想に中小零細が合流していく、おれら日雇労組も入っていけるという方向、そういう中で日雇全協(全国日雇労働組合協議会)の今後も考えていくべきだろう。
 これまでの組合再編を振り返ると、日雇全協は全労協には入っていけなかったわけね。全協内をまとめ切れなかったから。釜日労だけだったら入れたかもしれないけれど。日雇や派遣労働者など不安定雇用の労働者がゼネラルユニオンへ向かう動きができて来れば、日雇全協の各支部でも共通した雰囲気は生まれるんじゃないか。今の時期は、日雇全協が前面に出て旗振って反失業闘争をやる。将来的には、ゼネラルユニオンに合流して、連合や大きな組合のやれない労働運動をやっていく。大企業の労働者も二重加盟でどんどん入れていく、首切られたときにはゼネラルユニオンに入っているという形。そういう方向で、日雇労組もゼネラルユニオンの構想に応じていくべきだろう。
 既成の組合についても、当然その中でいろんな方針を提起して幅広くやっていかなきゃいけないけれど、重心・重点にどう結合させていくか、その重心・重点を三中総で出したということだろう。ぼく自身は、企業別組合それ自体がいい、悪いとは言わないんだけど、それは日本的な現実の中から出てきているので、現実として日本の労働者階級が変わらないかぎり変わらないわけで。だから三中総決議は、様ざまな労働者の運動形態の中で、重点政策をどこに置くかということだと思う。
 古い話でアレなんだけど戦前の東京合同の経験で、渡辺政之輔が五百人位の地域合同を作り、それを産別に分類して対応する企業内組合を乗っ取っていく、それで総同盟に対抗する評議会という部隊を作っていった。今と内容は違うにせよ、形としては、そういうゼネラルユニオンをやっていければ展望を拓けるんじゃないか。
司会 その話で思い出したけれど、三中総では、「個人加入の」ではなく「個人加入制の」と書くべきという意見もあった。というのは、ゼネラルユニオン的なものが伸びていく過程では、企業内組合が改組して合流してくるというのが必要だから。 さて、三中総・労組決議についての把え方を一通りうかがったんだけど、共通しているのは、日本の労働運動を変えていくポイントは少なくとも出された、という点だろう。

司会 ところでゼネラルユニオンというと、八〇年代の早い時期に総評高野派の清水慎三さんが提案し、連合が結成へ向かう八〇年代の過程で討論された経緯もあるんだけれど、そのときのゼネラルユニオンの提案はなぜ受け入れられなかったのだろう?
K そのことはわたし自身よくわからない面もあるんだけど、‥‥あの当時は、軸になる組織をどう作っていくかということを誰も議論しなかったのでは。そして、全国一般型の運動の延長線上にしかゼネラルユニオン論を立てられなかった、清水提案がではなく受けとめる側がということだけど、それが当時の新左翼系の労働運動活動家の最大の弱さだったのではないか。本来なら、あそこでいろんな、連合に行かない産別の部隊が全部残って合流して、中心の組合を軸にゼネラルユニオンを形成するという展望を持てばよかったのだけど、みんな自分の部署だけでゼネラルユニオン論を解釈してしまった、そういう構想の弱さがあったのではないか。
 あの頃の雰囲気を思い出すと‥‥全国労組連が八二年末結成で、全国労働者討論集会が毎年重ねられて、その八七年の集会で「十月会議」の結成という経過。日雇労組もこの流れの中にいたんだが、要するに、連合、全労連と形成されてきてみんなあわて出した。十月会議をどういう方向にもって行くかで、あわてた。
K だから、総評労働運動の中の批判的ではあるがその一部分でしかなかった、新左翼系が。本体がぐらぐらしてきたときに、総評におんぶしていたので自分がどうするかというのが弱かったんじゃないか。
M 十月会議に参加していたのを、個人加入の一つのものでまとめていたら相当な人数になっていたと思う、あのときやったら。しかし全労協を作るという提案に合流するとなったときに、それに行けなくなったのが出てきた。八七年の国鉄分割・民営化の強行、その国鉄闘争が背景にあって途中でスピードが早くなった。要するに、国労を中心にして全労協を作ろうという形になった。単産が分裂したらいかんから二重加盟で一部全労協に入るとか、全体で入れないとか、対応はいろいろだったが、もっと長く論議していろいろやっていたら、全労協とは違う形の、もっと広い組織になっていたかもしれん。全労協は、都労連の二重加盟があったので頭数としてはそれなりの数で出発できたけど、いろいろな部分を受け入れていた十月会議の広さ、内容的な広さを、全労協は狭くしてしまったと、おれらとしてはそう思う。
司会 労働戦線再編の過程では、それぞれの組合の組織防衛という次元での対応を越えられなかった。新しい構想に引きつけるような中心組合がなかったということか。
 いや、中心組合はやはり国労だったと思うよ。国労でよかったかどうかは別として。国労を中心に立てるのは、当時の闘争という面ではよかったかもしれないが、新たな組織作りの中心としてはどうだったのか、今思えばそうではなかったということになる。あの頃は新左翼系も、岩井章さんを持ち上げていた、そういう判断がよかったかどうか。
 つまり、あの頃はみんな、国鉄闘争を中心に、そこに諸組織の結集軸を求めたわけだ。そして岩井章の指導に期待したが、その指導は国鉄闘争をどう闘っていくかという指導であって、労戦統一全体の中で国労をどう動かすかという指導ではなかった。岩井さんには、国労を中心にゼネラルユニオン的なものを、という考えはなかったはずだが、新左翼系は片想いというか、そういう期待を岩井章と国労に寄せていたんじゃないか。争議をやっているところに、組織作りを委ねるんじゃなくて、組合が盤石のところに中心軸を置いて争議組合もまとめていくというのができていたならば、状況は違ってきたのかもしれないが。
司会 今現在、いくつかの個人加入制の中小単産の間で、組織合同も展望した動きがある。この中には、ゼネラルユニオンを構想する指導者もいるんだろうが、そういう方向へ順調に進んで行くという現状にはないと聞いている。党派関係とか、いろんな事情もあるんだろうが、この最近の中小単産の動きについてはどうか。
 それは全港湾、全日建連帯、全国一般全国協の三単産の動きのことだけど、順調に行かないのは、それらの中小単産の中にも企業別組合的な要素があるということじゃないの。 でも、八〇年代の過程で、労戦問題で決断していたら、ゼネラルユニオンというのは充分可能性はあったんじゃないか。ところが、当時は、組合の指導部全体に、そういう方向へ踏み出すのは分裂主義者だと言われるんじゃないかという危惧がひろくあったわけだ。それで連合の中にも入って行く対応になった。現在のように非正規労働者がこれだけ増える、組織率がここまで落ちるという状況が、当時の状況であったならば、かなり決断できたかもしれないが。
司会 三単産などの動向はあるにせよ、なぜゼネラルユニオンなのか、労働運動全体を立て直すためにそういう方向が必要だという自覚を持つというか、前提的な論議自体もまだすすんでいないのでは?地域ユニオンなんかでも、日常のことで活動家は忙殺されているわけで、ゼネラルユニオンなんて言っても、どこの話し? というのが一般的だと思うのだが。
 地域ユニオンと、今の中小三単産のゼネラルユニオンの可能性をもった動きとはまだ一緒ではないわけで、そりゃ将来は一緒になるかもしれないが。ゼネラルユニオンというのは日本全体でそれを作るという問題であり、中心になる組合の形を作ってもらわないと出発できないわけだ。その出発点がうまくできれば、地域の諸組合もそれに結集する可能性があるということだ。
 地域ユニオン運動というのは地域に根ざして、いろんな問題に取り組んで運動・組織を発展させていく、そういうスタイル。今は、そういう地域ユニオンの全国ネットワークがあるわけだが、それがゼネラルユニオンをめざす動きとどう連携していけるのか、というのは今後の課題ということになる。

司会 三中総決議が言う個人加入の大きな流れをつくっていくという方向と、現実とにはまだギャップがあるわけだけど、それを埋めていくというか、当面どういう活動が必要なのだろうか。
K 中小の組合の立場から言うと、二つほどあって、一つは、中小労働者と非正規雇用労働者の政策要求的なものをキチンと作れるかどうか、ということがある。これは、さっきの中小三単産でも、また中小政策ネットワークとしてでも、すでに政策作りへ踏み出している。これらを整理して中小労働者の政策要求と運動を作っていく。
 今までの中小政策要求というのは、格差是正要求ということで、大企業労働者と中小労働者の政策要求の違いというのが明確ではない。中小の政策要求の独自性というのは、リストラを強いる大企業・親会社から雇用保険の財源をぶんどるとか、中小労働者には失業保険給付を延長せよ、中小は低賃金なんだから給付率自体を増額せよ、とかの要求ということ。いま大企業はリストラのやり得になっている。たとえばアウトソーシングによって同じ労働者が安い賃金になって子会社で再雇用される、すると雇用保険を負担しない分だけでなく、子会社は労働者を雇ったということで雇用調整給付金を政府からもらって得をする、二重取りなんだ。あるいは海外移転をどう防ぐか、輸入課徴金を課すとか。そういうふうに大企業やり得の今の現状を変えていく政策を、中小労働者の独自の政策要求として明確にしていく。そういう闘いが、中央あるいは全国次元での中小労組の組織としての結集軸にもなっていくという方向があるんじゃないか。 もう一つは、地域における共闘をどう作っていくか。これはもう、地域ごとの首切りなど具体的課題で作っていくもの。地域共闘の中で、ゼネラルユニオンとの結びつきの、具体的土台といったものが一定作れるのではないか。
 地域ユニオンの立場からどういうことが課題かというと、当面は力をつけるということ。一つは、数多くの地域ユニオンを全国各地に作っていくということ、もう一つは、各々のユニオンが組合員を増やす、専従者を入れる、これをキチンとやって力を発揮できるようにするということだ。ますます失業者が増えてくる、駆け込み相談も増えてくる、ユニオンに相談に行ったがダメだったでは話にならないわけで、対応できる力をもたないといけない。個人加入の新しい労働運動を発展させ‥‥と言っても、前提はそういうことから。

司会 ひととおり三中総決議の、個人加入の運動を主流におしあげ、という方針を巡って討論してもらった。決議で直接触れていないことで、何か話しておくべきことは?
 ワークシェアリング論がいろんな立場から語られるようになっている。われわれとしても考え方や方針を討議しておく必要があるだろう。昨年十一月十八日に連合と日経連の『雇用に関する社会合意』というのが発表されて、それにも「ワークシェアリングに向けた合意形成に取り組む」とあるんだが、日経連の言っているワークシェアは単純に言うと、賃金を半分にすれば雇用は倍になるという類のもの。連合のほうは、労働時間当たりの単価を下げずにワークシェアを、ということなんだけど、もし本当にそれを実践しようとするなら、一切の首切り合理化をやらないという社会契約を前提としないかぎり、それは成立しないんであって、連合がリストラを認めておいてワークシェアを言うこと自体まちがっている。この点から批判しないとまずいと思う。
 雇用を確保するために賃金カットを認めて‥‥というのが、労働組合の言うワークシェアリングじゃない。野宿者問題でね、都知事の石原慎太郎が、働いている者の賃金カットして野宿者に回せば、すぐ解決するなんて言っている。つまり、行政は知らん、労働者の間で高い低いをならせ、ということでこれは行政責任を認めない態度。同様に賃下げで雇用確保というのは、企業責任を認めないという態度。
 今みたいに仕事が現実にない状況だと、労働組合の側から高低をならすということはありうるとは思うんだが、その場合でも企業責任を明確にさせたうえでの対応でないといかん。首切りを認めたうえで賃下げの雇用確保というのでは、一方で首切られて他方で首切らないで、ということで矛盾している。首切りを止めさせたうえで労資が努力する、というのはありうるでしょう。企業が雇用責任を放棄しといて、おい、おまえらの賃金を分け合わんかい、じゃ、ちょっと認められんね。ところが、学者の中でもそういう主張が出てきている。公務員の賃金を野宿者にまわせ、とかの論が出てきている。
司会 そういう攻撃になってるわけか。賃下げなしの時短、残業をなくす、というのが最も簡単な形でのワークシェアなんだろうけれど‥‥。決議で明確になっていないそれ以外の論点ありますか。
 ワークシェアということと一見似た問題なんだけど、不況がここまでくると同じような仕事に寄り集まってきているから、ますます均等待遇論、同一価値労働同一賃金論の要求がさかんになっている。しかし何をもって「均等」とするか、というと労働者の間でもなかなか論議がつきないところがある。均等待遇論で会社側を攻めて行く場合、どう考えるか、現実的課題として迫られている。こうした賃金制度の改革の問題と、社会保障制度の改革の問題とが関連し合っている。最近は厚生労働省のほうも、年金改革で、世帯単位型から共働き夫婦前提の個人単位型への変更を方針化しつつある。
Y それは、男性世帯主中心の家族制度の崩壊あるいは改変というのが背景にあるわけで、その関連でどう把えていくかという課題なんだろう。しかし支配層の側としては男女平等という美名の下で、厚生年金でも何でも結論としては悪くする、一人の保険料を二人からも取れ、というだけの意図になっているのでは。パートの差別的低賃金が改善されないまま、パート労働者にも厚生年金をかければ賃金カットにしかならない。実際として、それでは女性労働者の自立にもならない。
 同一価値労働同一賃金の要求は、賃金理論としてはマルクス主義の考え方とはちがうはずなんだけど、当面する要求としては解るわけだ。パートの女性労働者の要求としては、本工もパートも同じことやってんだから、ズバリその通りだ。だから均等要求論は戦術スローガンとしては解るが、原理論としては論議する必要があると思う。賃金要求ひとつにしても、具体的に問題をみる必要がある。
司会 賃金制度・社会保障制度・家族がからんだその論点は、旧・本紙でも紙上討論したことがあって、『労働情報』でも「仕事給」をめぐっての論議が紹介されたことがある。また討議していきたい。

司会 で、最後に、今年の春闘の話に行きたいんだけど。連合は統一ベースアップ要求をしない春闘、としている。一方、小泉改革で雇用破壊の労働法制改悪が一層すすめられようとしている。小泉は昨年の国会答弁で、日本の状況は「アフガンに比べれば天国だ」などと言い、戦争加担の責任を棚にあげつつ、日本の労働者の状況はもっと悪くなってもかまわないと暴言を吐いている。こういう二〇〇二春闘では、みなさんの課題は?
N 大企業の場合だとベアなしでも、三十歳代中端で五千円とか、定期昇給がある。近年は五十歳を越えるとそれも押さえられる傾向であるにせよ。ぼくら中小零細だと、首切りも賃下げも、昔だったらこんなことやっちゃダメだよというレベルで強行されている。連合の今春闘の対応だと、各労組が産別自決とかでますますばらけている。だから、やる気のある組合が連合や単産の枠を越えて、連携していかないとダメだろう。ぼくの地方でも、春闘の共闘というほどの所まではまだだが、要求をちゃんと出そうとか、首切りはやっぱりダメだよ、という組合の連携を地域で作る探りをいれてみようと思っている。
 地方都市では、首都圏みたいにいろんなユニオンの動きや活動家がいたりという状況がないわけで、解雇問題でも一つの単産・単組の中の対応ではなくて、地域の複数の組合で取り組めるようにしていくということから始めないといけない。地域共闘と言っても、その具体的な手がかりをつかむことから問われている。課題の共有化ではなく組合自決となっていると、資本の攻勢にみんな泣きをみるだけ。
 連合が統一ベア要求をしないと言うのは、定昇分は確保するという方針であって賃上げがないという訳ではない。連合はそれをかくすわけで、未組織に対する背信行為ともいえる。われわれは賃上げを今春闘でも一つの柱にする。職場では賃下げ攻撃もかかってくるが、賃上げをかかげて賃下げを許さない闘いをすすめる。さらに地域へ打って出る闘いを考えていきたい。職場で完結するたたかいではなく、地域の労働者全体の利益を守る基本姿勢で2002春闘をたたかっていきたい。
 その基本姿勢なんだけど、一般に、要求を出すこと自体が悪いというような雰囲気が非常に強まっている。これをとにかく打ち砕く、たとえ会社が苦しくても要求は出す、要求をかかげて地域で連帯する、なにしろやらなきゃダメだ、という春闘にしたい。
 日雇労組の場合はね、今は賃上げというより仕事そのものの確保。政府と自治体に公的就労、働く場所を作らせるというのが、いまの中心のたたかい。野宿者自立支援法案を成立させて、三五〇〇億円の雇用創出基金をキチンと活かすようにさせる。
 一般の労組が、支援法を野宿者だけのものと思ったら大まちがい。首切られた労働者は放っとけば、野宿労働者になる可能性がある。法案の内容には、「ホームレスとなることを余儀なくされるおそれのある者に対し、雇用の確保、生活相談その他の生活上の支援を行う」というのが入っている。だから連合もある意味では、支援法ではがんばってくれているわけ。
 方針とかはともかく、いま大切なのとにかく闘いの場を作る、ということだろうね。ものを言えない雰囲気をたたかって払っていく、そういう場を職場・地域あらゆる所から作っていく、そういう春闘が必要。
 公務員の場合、賃金確定闘争というのはもう終わってるんだけど、いわゆる人事院勧告体制そのものも含めた公務員制度の改革、この政府方針が固まってきている。公務員に労働基本権を完全付与しないまま、能力主義管理や首切りを民間同様にできるようにしようとしている。今春闘では、政府の公務員制度改革に反対し、公務員労働者が労働三権をかちとることを押し出すべきだろう。そういう公務員労働者の立場で、民間労働者の首切り自由社会許すな!の闘いと連帯していくべきだ。
司会 というわけで、春闘準備などで忙しい中、ご苦労様でした。三中総決議を出発点としつつ、われわれの方針と実践を発展させる一年としていこう。 (おわり)