―薬害エイズ事件への不当諸判決―

国・製薬会社・医師の犯罪を糾す

               杉原一男

 
 昨年は、日本の厚生行政や医療のあり様を問う、いくつかの裁判上での判決が出た。(1)薬害エイズ事件での帝京大ルートでの、安倍英元帝京大副学長に対する東京地裁の不当な無罪判決、同厚生省ルートでの、松村明仁元厚生省生物製剤課長に対する一部有罪ながら一部無罪とする、同東京地裁の不当判決と各々の控訴。(2)ハンセン病国賠訴訟での熊本地裁における勝訴と国の控訴断念、そしてその後の全面和解に向けた攻防。(3)チッソ水俣病における大阪高裁での勝訴判決と不当な国、県の上告。(4)在韓被爆者への援護法適用についての大阪地裁での勝利判決と、国、府の不当な控訴。そして(5)薬害ヤコブ病での損害賠償訴訟において、来年三月判決予定を前にして、「国、企業に救済責任あり」を前提とした大津、東京両地裁による和解所見発表、等である。
 これ等の事で既に本紙にて、(2)ハンセン病国賠訴訟と、(4)在韓被爆者への援護法適用問題については論じてきた。ハンセン病においては、社会防衛の立場からの九十年にもおよぶ隔離政策が「違憲」と、国の責任を問うものであった。また、それは隔離をした上での同情と施しとしてのハンセン病医療の思想を問うものであった。在韓被爆者への援護法適用問題では、これもまた、通達レベルで排除した国、大阪府の施策を鋭く問うものとなった。
 今回は、(1)の薬害エイズ事件についての東京地裁での不当判決を批判する事から、国・厚生省(行政)と製薬会社(企業)と医師(医療)の癒着と犯罪性を考えてみたい。

  薬害エイズとは

  エイズウイルス(HIV)が混入した米国由来の非加熱濃縮血液製剤を処方された世界各地の血友病患者を中心に、多数がHIVに感染した。日本では肝臓病の治療にも使用されたが、約二千名の血友病患者(患者全体の約四〇%)が、HIVに感染した。現在までエイズ(後天性免疫不全症候群)を発症し、死亡した血友病患者は、五百名を超えている。

 濃縮製剤によって肝炎ウイルスに感染する危険性は、七〇年代より指摘されていた。日赤の血漿分画製剤は、国内の献血によっており完全だったが、シェアは一〇%にも満たなかった。ミドリ十字など民間メーカーは、製剤の原料となる血液・血漿(けっしょう)の九〇%以上を海外とりわけ米国からの輸入でまかなっていた。血液製剤(高濃縮製剤)は二千人から二万人の売血による血液をあつめ、ひとつにプールして作られ、非常にウイルス感染の危険が多きいものだった。当時、日赤の血漿一ccの製造原価は二十五円から三十円、それに対し輸入原価はわずかに六円程度であった。製薬企業は、ここに利益を得ていたのである。
 エイズは病気としては、七八年頃に米国にて最初に記録された。この年、非加熱高濃縮製剤が発売され、血友病治療薬として大量生産が始まった。ミドリ十字が、アメリカに子会社の「アルファー社」を設立し、日本での輸入販売が開始された。
 一九八一年六月、CDC(米国立防疫センター)が初めてエイズ(AIDS)症例を報告している。「疾病・死亡率週報(MMWR)」レポートによるものである。前年十月から同年五月までの間に、兼好な若い男性同性愛者の間で「奇病」が広がっており、「カリニ肺炎」と「カボジ肉腫」を起こすのが特徴であると報告された。
 八二年五月までにはCDCは、同性愛者、麻薬常習者に続き、血友病者三人が「奇病」にかかった事をつきとめ、長年に渡り非加熱製剤を使用していた事実から、「奇病」は血液を介して感染する事を七月に報告した。九月には、CDCはエイズ(後天性免疫不全症候群)と命名した。
 八二年より八三年にかけ、アメリカではエイズの病原体が血液を介して伝播することが前述の如く報告され、全世界に警告が出された。八三年三月、同週報は「エイズの原因は血液製剤」と指摘、同月FDA(アメリカ食品医薬品局)は、既に従来より安全な血液製剤として加熱処理したトラベーノル(現バクスター)社の血液製剤を承認し、五月には全メーカーに対し、加熱製剤への転換を指示したのである。
 一方、日本では米国で普及していた「自己注射療法」は七八年に日本に導入されたが、八三年二月に、厚生省は保険適用する。ここから血友病治療薬として、大量消費時代に突入する事になる。従来は、病院で(通院で)クリオ製剤を治療薬として用いていた。クリオは、血液中の血漿成分から凝固固子だけを抽出したもので、一〜二人の血液から必要な血液凝固固子を取り出して作られていた。輸血治療時代に比べ、血友病患者にとってクリオは画期的な治療であった。それが「濃縮製剤の宅配」による投与法に変化した。このシステムは、製薬会社に莫大な利益をもたらした。
 このシステムの推進者は、ロスアンゼルス血友病治療センター所長・シェルビー・L・デートリッヒだが、彼が契約したのが、かのミドリ十字の在米子会社だったのである。安全なクリオから危険な非加熱製剤の大量自己注射へ。製薬会社が、医師、医療機関が推し進めたのであった。
 八三年六月、厚生省に「エイズ研究班」が発足し、安倍英が班長に名乗りを挙げた。八月には既にエイズへの不安が伝えられる中で、クリオへの転換への激論のため、「血液製剤小委員会」を設置した。安倍は、クリオの使用を強く主張した風間帝京大教授や大河内九州大教授等を誹謗中傷、恫喝を行い、ねじ伏せていったのだ。
 血友病友の会(患者会)から、日本でも加熱製剤への転換、早期導入の要望が厚生省に出された。八四年一月、厚生省はこの声に押され製薬会社に加熱処理製剤の治験を指示しながら、国内メーカーの生産体制が整うのを待ったため長期化し、治験終了まで導入は遅れた。厚生省は、危険性を知りながら対策を早急に行うことなく、警告や、患者からの要望を無視し、危険な非加熱製剤の使用を放置してきた。米国で従来の非加熱製剤の販売ができなくなったのに、日本の製薬会社は大量販売を続けたのだ。
 やっと八五年七月、厚生省は、各製薬会社の加熱製剤を一括承認した。八月には、販売が始まった。しかし、犯罪は更に続いたのだ。非加熱製剤の回収措置は取られず、「在庫整理」の販売は続けられ、血友病患者以外にも広く、手術の止血剤として、また未熟児や老人の点滴にまで拡大使用され、更に感染者は広まり増加しつづけたのだ。

  HIV民事訴訟・和解

血液製剤による感染者たちは、七九年に成立した「医薬品副作用被害救済制度」の適用を求めた。国は一方で患者を隔離し、差別や偏見をより煽ることが危惧される「エイズ予防法案」が提出された。八八年十二月、「エイズ予防法」は成立した。しかし、「救済制度」の対象者はAIDSを発症している者に限るという極めて不当なものであった。
 患者は訴訟の形での闘いに踏み出した。八九年五月、国と製薬会社五社を相手に大阪地裁に「HIV薬害訴訟」を起こした。十月には東京でも提訴された。「国と製薬会社は輸入血液製剤からHIV感染の危険性を予見できたにもかかわらず、安全性を確認する義務を怠った」という主旨である。原告で実名を公表したのは、赤瀬範保さん唯一人という厳しい原告の状況だった。赤瀬さんが九一年に亡くなり、石田吉明さんが名前を公表し、証言台に原告団代表として九二年五月に立った。
 原告団と「HIVと人権・情報センター」等の支援団体のねばり強い闘いの中、九五年七月、大阪HIV薬害訴訟は結審し、以降、国と企業に対する直接交渉が取組まれ、九五年十月に、大阪・東京地裁の和解勧告が出され、九六年三月、国会における座り込み、包囲行動での追及の中で、三月二十九日、歴史的和解が成立したのだった。(これ等「エイズ予防法」批判と、訴訟と和解への闘いの詳細は、旧『赫旗』紙182・183号で報告しているので略す)

  製薬会社役員に有罪

 二千名もの感染者、五百余名におよぶ死亡者を出した本事件での刑事事件は、第一に、九六年二月に死亡した患者の母親が、安倍英元帝京大副学長を殺人容疑で告発、八月に、東京地検が逮捕、同年九月十九日に、業務上過失致死罪で起訴されたものである。「帝京大ルート」と呼ばれる。
 「厚生省ルート」として、松村明仁元厚生省生物製剤課長が、東京と大阪の二人の患者に対して、非加熱製剤によるHIV感染を防ぐ行政措置を怠り、エイズに感染、死亡させたとして業務上過失致死罪にて、九六年十月に逮捕・起訴された。
 「ミドリ十字ルート」として、ミドリ十字歴代社長である松下廉蔵・須山忠利・川野武彦元社長が、同じく九六年九月、逮捕・起訴されたもので、安全な加熱製剤が販売開始になった後も、HIV汚染の危険のある非加熱製剤クリスマミンを継続して販売し、その結果、それを利用した患者がHIVに感染し、エイズを発症して死亡させたとして業務上過失致死罪にて、問われたものである。
 このうち、「ミドリ十字ルート」は、二〇〇〇年二月に、三名ともに禁固一年四ケ月から二年の実刑判決が下された。被告たちは不当にも控訴し、本年三月十五日に大阪高裁にて控訴審判決が出る事になっている(川野被告は昨年五月に死去したため公訴棄却となっている)ため、今回は論じない。

 「厚生省ルート」、不作為認定で一部有罪だが

昨年九月二十八日、東京地裁の永井敏雄裁判長は、業務上致死罪で禁固三年を求刑されていた松村明仁元厚生省生物製剤課長に対し、禁固一年・執行猶予二年の有罪判決を下した。
 裁判は、薬害事件で官僚個人が政策判断の当否をめぐって、刑事上の責任があったのかどうかを問う初めての裁判であった。判決は、公訴事実(一)の「帝京大ルート」で、八五年五月から六月にかけて、非加熱製剤を血友病患者に投与させ死亡させた事件で、投薬を原則禁止させる措置をとらなかった事には、注意義務は被告にないとして無罪を不当にも言い渡した。公訴事実(二)の「ミドリ十字ルート」で八六年四月に肝臓病患者に治療上不可欠とはいえない非加熱製剤が投与された事に対し、非加熱濃縮血液製剤の回収を製薬会社に命ずるなど、死亡を極力防ぐ行政上の注意義務があったのに怠ったとして、官僚の「不作為」を認定したものとなった。
 この判決で、有罪、無罪と別れた所は、「予見可能性」について、松村元課長は八五年末ごろまでにには非加熱製剤投与の危険性を認知できたとした事が基礎となっている。それ以前の「帝京大ルート」は無罪、それ以降の「ミドリ十字ルート」は有罪と別れる事になったのである。判決は、政策判断の当否を握る官僚個人に対し、「不作為」により重大な結果をもたらせた事に対し、責任を課した裁判上初めての面を持ちつつ、この「予見可能性」をもって、「帝京大ルート」の安倍に対する無罪判決を追認し、結果、松村に対する判決をも軽減する事になっている不当な判決である。
 元々、「帝京大ルート」の安倍に対する裁判長も、今回の「厚生省ルート」と同裁判官であり、しかも右陪席の判事・上田哲は医師資格を持ち、安倍の後輩にあたるという。判決の是非を裁判官の個人の資質や立場のみに規定する事は、慎重でなければならないが、今判決は昨年三月二十八日の安倍に対する薬害における医療界の最も責任を握る者への無罪判決、大量殺人に対する免罪を追認するものとなった。

  大量殺人を免罪する安部被告無罪判決

 三月二十九日の安倍英元帝京大副学長に対する東京地裁判決の骨子は、一、当時、血友病につき非加熱製剤によって高い効果をあげることと、エイズの予防に万全を期すことは、容易に両立し難い関係にあった。二、予見可能性については、「被告において、当時高い確立でエイズが発生することを予見することはできなかった。非加熱製剤の投与が「高い」確立でHIV感染させるものであった事実も認められない。三、結果回避義務違反については、非加熱製剤の使用が主流であり、クリオには問題点があった。したがって使用を中止しなかったことに違反はない。また、大多数の血友病専門医は非加熱製剤を使用していたので被告のみに注意義務は課せない。更に、被害の大きさから本件も悲惨で重大である。しかし結果が重大であることや、被告人に特徴的な言動があるから?死罪を要求するとするのは、犯罪の成立範囲をこわすことになるとして、被告人の過失を?見逃しているものである。
 判決は、徹底して安倍の免罪を図っている。責任を問われたこの患者の場合、治療を行ったのは八五年五月である。前述したように八三年三月には、CDCは明確に「エイズの原因は血液製剤」と指摘しているのだ。安倍自身、八一年七月イタリアでの「世界血友病連盟」の会議で、友人であるアメリカの血友病患者の容体の変化を見て認めている。更に八月、安倍の初めての血友病患者が久しぶりに安倍を受診する。この患者こそ「帝京大症例」として安倍の下で死亡した最初のエイズ患者だった。当時はまだ「奇病」としてしか報告されていない段階から安倍自身が、日本国内で最初に、一番多く接しているのである。「結果発生の危険性への予見」は、既にこの時期より安倍の中に始まっているのである。 また、八五年五月は、別な意味で重要である。先述の如く、日本において、安倍によって延ばされ続けた治験結果が出て、八五年一月に厚生省は各メーカーに加熱許可申請を出すよう指示を出した。前述の如く承認は七月となったが、国内メーカーで最初に治験を終わった化血研というメーカーは、国内シェアを一気にミドリ十字から奪うため、医療機関に加熱製剤を大量に無料で配布した。血友病治療医たちは自分たちの患者に、承認以前より選択的に安全な加熱製剤を使用しだした。当然、帝京大にも配布された。
 安倍はこの時期、まもなく安全な加熱製剤が許可されることを当然知っているのである。この中で非加熱製剤を使ったのである。しかも、この患者は五月十日の治療前までは感染していない事は判明している。しかも症状は、軽症で手首の内出血程度であったという。この患者は、七月八日まで三回の非加熱製剤を投与され、感染・発症・死亡させられたのである。この患者についての責任を、判決は先の言い訳で免罪したのである。
 そもそも判決骨子の一、の述べる血友病治療の「高い効果」と「エイズの予防」とを比している事自身が誤りである。血友病の治療はクリオ時代から、それなりの水準で行われており、問われたのは「エイズの予防」である。致死に罹(かか)るかもしれない事に対して、「治療の高い効果」を対比させる事は、根本的に間違いである。何が問われていたかを巧妙にそらす論理である。
 更に判決はいう。「大多数の血友病専門医は非加熱製剤を使用しており、被告のみに注意義務を課せない」と。安倍は「血友病の父」といわれ、当時の血友病治療の最高権威だつたのであり、厚生省研究班の座長であり、治療とエイズに関する最高の知識と情報を知り得ているのである。まったく安倍を免罪させるための論理である。
 三月の東京地裁の安倍無罪判決は、薬害エイズの最高責任者を免罪し、九月の元厚生省課長の一部無罪をも導いた。
 日本の薬害エイズ被害は、安倍を頂点とする医師・医療機関と、元厚生省、製薬会社によって引き起こされ、拡大・増幅した。「厚生省ルート」「帝京大ルート」も、いずれも控訴された。一方、「ミドリ十字ルート」も本年三月、控訴審判決となる。裁判のみならず、ヤコブ病問題にみられる様に、日本の医療における行政・企業・医療の構造的問題は、全く変わっていない。責任を追及し、被害者への、遺族への十分な補償のため、更に各々の立場で努力しよう。(了)