2002年新春アピール

「南」「北」民衆運動の国際連帯かちとろう

   アメリカ帝国主義を主柱とする

   世界支配秩序は必ず崩壊する!

               労働者共産党 中央常任委員会

 昨年の九月十一日、米帝は自国の軍事・経済中枢に対する同時テロ攻撃に見舞われた。超大国の威信を傷つけられた米帝は、報復戦争に打って出た。「おたずね者」に指定したのは、ウサマ・ビンラディン(アルカイダ)と彼らをかくまう最貧国アフガニスタンのタリバン政権だった。ウサマとタリバンは、米帝を主柱とする国際反革命同盟体制の横暴と多国籍企業の強欲の犠牲となって貧困と飢餓の淵に沈むイスラム諸国下層民衆の屈辱と怒りを土壌に増勢してきたイスラム原理主義の一翼であった。
 米帝は、この報復・アフガニスタン侵略戦争をテコに、全世界の諸国家に「米国を選ぶのか、テロリストを選ぶのか二つに一つだ」と迫って忠誠を誓わせ、冷戦時代までの国家間対立の残滓や日帝に残る憲法九条を理由とした対米協力への及び腰的態度を一挙に後景化し、国際反革命同盟体制を文字通り各国人民を監視し、分断し、反米闘争を攻勢的に壊滅する体制へと再編し始めた。ブッシュが始めたこの「新しい戦争」は、その本質において民衆を相手とする戦争である。それは、アフガニスタン、パレスチナ…で戦果をどれほど重ねてもそれはそれで民衆の屈辱と怒りを倍化させるだけであり、支配秩序の崩壊を拡大し、結局は敗北せざるを得ないものである。
 だが他方プロレタリアートの革命運動は、樹立されたプロレタリア諸国家の変質と崩壊に端的な二〇世紀の挫折の中から戦列を建て直す苦闘の過程に未だ在る。そうした中で民衆の運動は、「北」の諸国においてはブルジョア民主主義の下での改良主義的対抗に止まり、「南」の諸国においてはイスラム原理主義的な形でのブルジョア民主主義(近代化)への対抗を強めるなど、資本の世界支配体制と対決する際の普遍的連帯原理を持てないまま、アメリカ民主主義を普遍的価値と振りかざした分断と抑圧の政治・軍事攻勢に晒されているのである。われわれは、敵のブルジョア民主主義政治の欺瞞と対決し、民衆運動の国際的な連帯を闘い取ることの出来る革命的政治を構築していかねばならない。
 「第三次世界大戦」論を唱え、来るはずもない帝国主義間世界大戦への備えを呼びかけるような、何十年も前の時代認識に立脚した政治態度は正されねばならない。われわれは、アメリカ帝国主義を主柱とする帝国主義諸国家の国際的連合と対決する時代にいるのだ。
 米帝の「グローバリズム」と対決するに当たって、「北」の諸国においては、「民族」の旗を中心的に掲げる主張も正されねばならない。われわれは、帝国主義諸国の国家システムそのものを問う革命の時代にあるのだ。
 革命的政治の構築にとって、忍び寄る世界同時不況は正念場となるだろう。
 産業は、グローバルな重層的体系を獲得し、かつまた物を生産するシステムとしては、これ以上の本質的飛躍の見えない成熟段階に到達している。中国が世界の工場になりつつあるといっても、それは「北」の諸国からの工場の移転が牽引しているのであり、新産業に牽引されて進展するグローバル化した産業構造の世界的再編成を意味しない。
 「北」の諸国では、物の生産能力が消費の資本主義的限界と衝突して慢性的過剰に陥り、失業労働者が溢れ出てくる時代になっている。東アジアや中南米の新興工業諸国の「相対的安定」は揺らいでいくだろう。最貧諸国民衆の貧困・飢餓状況は一段と悪化するだろう。社会の存立の危機が、「南」の地域から次第に広がっていくに違いない。
 産業から遊離しますます肥大化する貨幣資本は、カジノ経済を繁盛させる。富が一握りの人々へ途方もなく集中し、社会の腐敗が進行する。激しい競争に叩きこまれる資本は、労働者に対する首切りと搾取の強化を競うとともに、大量生産・大量消費・大量廃棄の自然環境破壊サイクルを拡大させる。
 アメリカ民主主義の欺瞞が白日の下に晒される。「北」の諸国では、「物」(=資本)でなく「人間」が目的である社会、「人間」存在の基盤である自然環境を大切にする社会への希求が高まりつつある。世界同時不況の渦中から新しく勃興するのは、これまでのような物の生産領域における新産業ではないだろう。ワークシェアリング、労働時間短縮と連動した環境、育児、職業訓練を含む生涯的学習、福祉などの人間の発展に関わる社会的諸活動である。それらは、利潤目的の賃金奴隷制には本質的に適合しないものである。
 世界支配秩序はゆっくりと確実に崩れていく。新しい社会への胎動が見えてくる。わが国の階級攻防も、この世界史的過程の中にあるのだ。
 日帝・支配階級にとって、9・11事態は、米帝への忠誠が試される正念場であった。政府は、反テロ・追悼キャンペーンを全力で組織し、「湾岸の轍を踏むな」とばかり報復戦争への参戦に踏み切った。米帝を中心とする国際社会の平和に寄与するということを実質的に意味する憲法前文を利用し、九条による寄与の在り方の限度付けを完全に踏みにじったのであった。これは、日本の軍事大国化に対するアジア諸国の民衆の危惧と憤激を一段と増幅させることになった。
 この十年、日帝・支配階級は、戦後の「安保ただ乗り」「利益誘導型」政治が行き詰まり、諸国金融独占資本の多国籍展開に適合した政治への転換が問われ、守旧vs改革の泥沼の抗争を激化させてきた。小泉「改革」政権は、この抗争を抜き差しならぬものにしつつある。憲法九条の改悪が出来ないまま侵略戦争に参戦し、完全な違憲状況にはまり込んだ。外相田中の外務省改革に外務官僚が抵抗、外務省が機能低下をきたした。公共事業予算を槍玉に挙げるが既得権益層の抵抗も強く、財政赤字の肥大化に歯止めを掛け得ず、新産業育成の展望も開けず、ひたすらリストラを加速した。
 ブルジョア階級の支配秩序は崩れ出しているが、民衆の多くは支配階級の内部抗争、とりわけ「改革」の幻想に取り込まれ、労働者階級の運動は依然政治的推進力を失ったまま、深い停滞と混迷の中にある。われわれは、世界支配秩序防衛の軍事介入、新自由主義政策、ますます高まる首切りと失業の重圧、総じて多国籍企業の利害と対決し、一人ひとりの欲求を尊重にする仕方で、地域社会づくりの活動に根ざして、国際的・全国的に団結した労働者の大衆的反撃を組織していかねばならない。
 全党は三中総決議に基づき、全国的な個人加入のゼネラルユニオンの形成、地域ユニオンの一層の発展、野宿労働者運動の飛躍を闘い取り、新しい労働運動の流れを主流に押し上げていこう。全国の共産主義者、先進的労働者との団結・統合を推し進め、革命の時代を切り開こう。