野宿労働者運動と反戦闘争

             ブルジョア民主主義の欺瞞突く野宿労働者
                          
 (1)
 9・11事態を受けて米帝は、報復・侵略戦争をテコに、国家間矛盾を後景化させ、民衆の間に広がる反米勢力を主要な敵とする戦略を押し出した。米帝は全世界の人民を監視し、分断し、反米闘争の鎮圧に動員する活動をあからさまに展開し、全世界の諸国家に同調を強要し、世界のどこであろうと米軍やCIAを送りこむ態勢を強化した。日帝・小泉政権は、この時を逃してならじとばかり米帝に忠誠を誓った。
 米帝の軍事は、ブルジョア民主主義政治の継続として行使されている。この政治は、第二次世界大戦においてファシズムとブロック化の日・独・伊帝国主義に勝利し、次いで官僚制国家資本主義で東側ブロックを形成したソ連社会帝国主義との冷戦にも勝利し、金融独占資本の多国籍展開の時代を開いた。
 労働者階級の自己解放事業の前進は、このブルジョア民主主義政治の欺瞞を暴露し、その呪縛を解き、米帝を主柱とする国際反革命同盟体制の打倒をめざす攻囲陣を構築することで実現される。そこにおいて、野宿労働者の運動が果たすことのできる役割は、決して小さくない。
 野宿労働者の増大は、支配階級が自己の生産諸関係の下で被支配階級の物質的生活を再生産できなくなってきていることの端的な現れである。したがって支配階級は、自己が支配階級でありつづけることの失格をその存在によって明らかにする野宿労働者を民主主義(諸権利)から実質的に排除するし、野宿労働者は、民主主義(諸権利)を行使できる物質的条件を基本的に欠いている。ブルジョア民主主義から排除されている労働者が起ち上がることの政治的意味は、極めて大きいのである。
 (2)
 野宿労働者の運動の基本的スタンスが、確立されねばならない。
 かつて寄せ場労働運動において、三つの路線があった。一つは、寄せ場労働者に「民主的権利の保障を」という路線であり、これは日雇労働者の常用化を求める傾向と重なる関係にあった。この路線は、寄せ場労働者の現実の中心的な要求と闘いに立脚したものではなかった。七〇年代はじめに端を発する釜共闘・山谷現闘委潮流は、この傾向と一線を画し、寄せ場労働者の現実の中心的な要求と闘いに立脚して発展した。
 だが後者の潮流には、その内部に二つの路線が存在した。
 一つは、寄せ場労働者の現状に拝跪し、それらに溶解する路線であった。この傾向は、「市民社会敵論」を語り、「暴動」を賛美して一見戦闘的ではあるが、客観的には、資本主義がつくりだす労働者階級の現役軍と産業予備軍の分断構造を、下層の側にあって固定する役回りを担っていた。ブルジョア階級を思想的に告発するだけで自己満足し、労働者階級の分断構造を下層の側から打破する政治的目的意識性、国家権力を打倒し資本主義を廃絶する政治的目的意識性は、完全に欠如していた。
 もう一つは、われわれが推進してきた・共産主義革命を目指す立場からの運動路線である。詳細は略す。
 野宿労働者の運動は、寄せ場労働運動と重なる形で発展してきた。そして寄せ場労働運動においてと同質の路線問題を抱えている。   
 憲法上の権利の保障・生活保護法の活用を基軸に据える路線がある。この路線は、とりあげる課題自身は必要不可欠の課題だとしても、社会に貢献できる仕事をもって生き甲斐のある自立した生活を再建したいとする広範な労働者の要求を基軸に据えていないことから、真にダイナミックな大衆運動を導かない。
 野宿労働者の現状に拝跪する路線がある。国家行政との関係では排除反対一点張りの、野宿生活防衛路線である。当初国家行政が排除攻撃を基本政策としていた段階では、この路線傾向とも固く団結してたたかえた。しかしこの路線傾向は、国家行政が労働者の反撃に直面して「自立支援」策を基軸にした問題解決へと方向転換した段階に至って、これに対応できず、運動の危機を招いている。
 われわれは、国家行政の政策転換に対応して、運動と結びついた形で労働者の事業を組織し、発展させる道を開いた。この事業においては、環境・福祉などの活動領域が重きをなす社会の方向転換を考慮し、地域住民との関係の改善と地域づくりが追求されている。こうした中で、新時代に適合した運動構造の再構築を模索しているのである。 
 (3)
 野宿労働者の運動は、今、資本主義社会が崩れていく時代の自己の全運動構造を獲得する局面に在るように思われる。失業労働者全体との団結した闘い、労働者階級の就業層と失業層の団結した闘い、国家との政治攻防を重視し、射程に入れることである。米帝を主柱とする国際反革命同盟体制との対決を強めていかねばならない。                            (深山和彦)