大阪・釜ヶ崎

  野宿者自立支援法案は、年明け通常国会へ

   地区外との連帯ひろげ


 六月の一ケ月におよぶ大阪城公園府庁前での野営闘争のあと、九月より反失業闘争を再開し、〇一年秋期申し入れを提出し、大阪市より五十名の特別就労事業拡大を図るなどの成果を勝ち取った(本紙・統合29号)。
 ところが十月十四日、読売新聞夕刊に、市が「国に公共施設内に野宿生活者が違法設置した物件を強制撤去する権限を管理者に与える特別立法の制定を要望している」との記事が出た。おりしも西成公園でのシェルター建設についての大阪市と現地の野宿する労働者との間で、第一回確認会の席で、一、シェルターに入りたくない労働者の意志を尊重する。二、その上でテント生活を続ける労働者にシェルターへの入所を強要しない。三、テントを強制排除しない確認が行われていた最中である。記事の内容が本当なら、大阪市は二枚舌という事だ。
 釜ケ崎反失連は十一月八日、大阪市に緊急申し入れを行った。内容は、一、十月十四日の読売新聞の記事の確認、一、強制的にテント、小屋掛けを撤去しないことを確認せよ、一、自立支援センターの出口問題解決に向け、公的就労および技能訓練制度整備、半就労・半保護適用の迅速な運用に向けた取組みを明らかにせよ、一、失業−野宿問題に関する「大阪市としての当面の対応策」を明らかにせよ、等である。
 交渉に応じた健康福祉局(従来の民生局が環境保健局と合同)や自立支援センター担当の生活福祉部は、「市が記事のような要望をしているわけではない」との回答だった。しかし公園管理の建設局やトップの動向は、注意しなければならない。西成公園シェルター建設についての現地の仲間との強制排除を行わない約束をしっかりと「大阪市の当面の対応策」に明記する事を申し入れた。肝心の「当面の対応策」は八月末までに作成することを市が約束していたものである。交渉では未だ明らかになっていない市の対策について強い糾弾が行われた。
 十一月十六日には、横ヤリの入った「野宿者自立支援法」の制定を求めて、四十名の代表団がバス「勝利号」で上京、全国の仲間とともに国会闘争を闘い抜いた。二十一日からは西成公園での仮設一時避難所(シェルター)の建設工事が始まった。説明や約束と異なる工事に対し、現地の仲間や、この間西成公園の仲間を支えてきた「野宿者ネットワーク」が、厳しい監視と抗議を行っている。また、要望も提出、引き続き交渉が重ねられている。
 十一月二十八日、対府・市交渉が取組まれた。不十分ながら延長された緊急地域雇用創出特別交付金を、出来るだけ野宿の仲間の特別就労の大幅な拡大へ向けて使うよう要求しているものだ。「三日にいっぺんは働けるようにしろ!」との切実な要求である。国の指導として「再就職に結びつくような仕事を実施せよ」との縛りがつよくなって、現在の釜ケ崎の高齢者輪番制の仕事はやりにくくなっている模様だ。もちろん、再就職すなわち仕事の安定こそ釜ケ崎労働者の願いである。新たな交付金を踏み台に、若年・高齢を問わない釜ケ崎の労働者への仕事保障へ一歩踏み出す行政の姿勢が求められている。大阪市からは、「交付金からあいりん対策へ一円でも多く確保したい」との、担当部局の回答が出された。府は、相変わらず「今はいえません」との怠慢な態度に終始した。
 越冬闘争を前にした秋の闘いとしては、その後十二月八日、九日のモチ代(冬期一時金)支給され、カンパ要請活動が取組まれた。一人一万八千四百円というわずかなモチ代の中から、気持ちよい反失連へのカンパが寄せられ、二日間で約七十五万円が寄せられた。
 モチ代とカンパ活動の最中の十二月八日、去る十月に立ちあげられた「釜ケ崎講座」の第一回講演の集いが、午後六時半より、中央区のエル・おおさかにて行われた。
 当日は、先のカンパ活動に反失連の仲間の多くが就いている最中であり、また「不戦の日」の取組みも昼間行われるなど行動が重なった困難な中だったが、先の行動を終えた釜ケ崎から反失連・NPOの仲間が急いでかけつけてくれた。また、「不戦の日」を闘った「関西ネット」の労働者などが、NPO釜ケ崎支援機構制作の「我に仕事を!」のビデオ上映が行われている中につぎつぎとかけつけてきた。案内をみて、インターネットをみて参加したという市民や若者や学生なども多い。会場にイスを入れて立見が出る六十余名が参加し、会場は熱いばかりであった。
 講演は、「釜ケ崎就労・生活保障制度実現をめざす連絡会・共同代表」のフランシスコ会カトリック司祭である本田哲郎氏が「釜ケ崎は今!」と題して行った。
 釜ケ崎の「ふるさとの家」に十二年前に就いてから、宗教者の立場から釜ケ崎労働者に接し、野宿・失業問題に触れ、自らが九三年結成された先の「釜ケ崎反失連共同代表」として闘ってこられた中で、感じた事、運動のもっている弱さ、克服すべき事を丁寧に話された。釜ケ崎労働者のおかれている現状とその中での仲間同士のつながり、いたわりにも触れられ、初めて釜ケ崎の事を聞きにきた若者にも、また、この間「当該」として活動してきた者達にも、改めて考えなおす機会となった。氏は「谷はすべて身を起こせ、山と丘は身を低くせよ」と『イザヤ四十・四』を引きながら、運動は、闘いに自ら立ちあがっていくことの大切さと、その事での前進を強調された。氏は最後に「しいられた野宿を支援するのではなく、野宿をしいられた仲間の願いに連帯しよう」と結ばれた。会場からの質問もあり、「講座」にとって、釜ケ崎の闘いを知る大切な話になった。
 次にNPO釜ケ崎支援機構の山田理事長が、釜ケ崎の歴史(形成過程)と現在の資本関係の中での労働者の位置、社会的存在の位置について触れ、現在展開されている高齢者特別就労事業の重要性と「野宿者自立支援法」の持つ重要性について概括的な形で触れ、現在までの釜の運動の転換点の意義と現在の重要性を強調した。次いで釜ケ崎日雇労働組合の松本さんが、釜ケ崎労働者の現役労働者との結合の重要性、その際の労働組合の更なる飛躍が自らにも問われている事を強く訴えた。
 「釜ケ崎講座」は立ちあげから短い中でも多数の参集を得、釜ケ崎と地区外の闘う労働組合や市民運動との間でつながりを深める役割をはたせるだろう。また連続した取組みの中で、「釜ケ崎」に関心を持つ市民や学生への窓口になる可能性を示して第一回の集いの成功となった。
 釜ケ崎の闘いは、このあと12・19越冬支援連帯集会へ、更に第三十二回越冬闘争に入っていく。
 越冬闘争の直後には、公明党の横槍で継続審議となった「野宿自立支援法案」の年明け通常国会における審議再開があり、この方面の闘いも正念場を迎える。
 気を引き締めて闘おう。(関西 S通信員)