11・23〜24「反空港全国ネット」結成に向け大阪行動

  反空港の闘いが力合わせ


 去る十一月二十三〜二十四日の両日、大阪にて「反空港全国ネットワーク」結成に向けた大阪行動が取組まれた。
 「反空港全国ネット」は、関西新空港建設に三十年間反対し闘い続けてきた「泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会」が、八年も前から反空港の闘いの全国的な連携の構想を打ち出しており、この二年、関西の、伊丹空港の騒音問題に取組む住民団体、神戸新空港建設の反対に取組む団体と協議を重ね、全国へ九月アピールを発し、今回の結成に向けた大阪行動が取組まれたものである。
 大阪行動と名前がつけられた様に、結成への会議だけではなく、多様な行動が取組まれた。
 二十三日一時、新大阪駅に集合した全国の仲間約三〇名は、釜ケ崎日雇労働組合のバス「勝利号」に乗り、大阪伊丹空港の着陸・離陸直下の視察を行った。直下の騒音・振動に、十月より暫定滑走路の試験飛行が始まり、地上四十メートルの離着陸が農家の上で繰り返される恐れのある三里塚の農民の方は、「これはひどい!」と絶句。
 その後、九九年九月に強行着工された神戸新空港の空港予定地を視察した。
 五時過ぎ、南大阪の拠点・全金港合同の田中機械にて、結成に向けた会議を行った。会議のあと交流会、全国の状況についての情報交換が続いた。翌日二十四日昼まで結成への議論が続き、「反空港全国連」の立ち上げの意志が勝ちとられた。
 行動参加者はふたたび「勝利号」に乗り、関西新空港の空港島や、破綻した「りんくうタウン」の視察を行い、新大阪駅にて解散した。
 関西の三大空港視察と「反空港全国連」結成に向けた会議の密集した行動は大成功に終わり、今後、徐々にではあるが全国の「反空港」の闘いは一つの糸に結ばれて行く出発を始めたのである。
 結成に向けた大阪行動には、東より言うと羽田、三里塚、静岡、関西、伊丹、神戸、播磨、石垣島、白保(大阪の会)が出席、中部、びわこからはアピールが寄せられた。参加は三〇名余。
 「反空港全国ネット」結成趣意書(〇一年九月の呼びかけ)にもあるように、六六年の四大航空事故の連続発生のあと、六七年より空港整備計画がスタートした。現在の七空整(第七次空港整備計画)まで、三里塚(成田)、関西、中部等の国際空港建設、「一県一港」に近い百余りの空港配置(計画)、バブル期まで「需要バンク論」による滑走路延長・拡張計画など、空港計画は推し進められてきた。反対運動は、東の三里塚、西の関西と称される大闘争となった。しかし現在は、新空港建設がゴリ押しに進められ、反対運動も後退を余儀なくされてきた。
 だが、今や「空港」そのものが財政破綻の一大原因となるまで、ローカル空港から国際空港まで不採算が続出、現在建設・拡張中の工事の使用見通しは全く絵にかいたものであることは、はっきりしている。公共事業の見直しという状況の中で、地方空港の新設抑制や、国際空港の二期工期延長まで提案される事態が生まれる一方、〇三年からの第八次空港整備計画は「拠点空港の推進」を軸に整理され、それは空港のもつ軍事利用=新ガイドライン周辺事態法に沿った整備となることが予想される。
 全国の反空港の闘争報告からは、新空港と既存空港、海上と陸上、大都市拠点(国際)と地方、と抱える問題の違い、闘う主体の違いなどが浮き彫りにされた。しかし会議の討論の中から、それらの違いをのりこえて、第一に全国的な結合を図ることが確認された。
とりあえず、連絡網を、資料の交換を、現在の有効なネットワークの活用を、そしてまた有効な機関紙や資料の交換をと、闘いを結びつけるための提案がぞくぞくと出され確認されていった。年に一度は全国的な規模で集まること、継続は皆で決めることとの民主的なルールも確認され、次回候補地も案として確認された。
 個人でも団体でも、各地の状況を踏えたゆるやかな結合から出発することとなったが、港湾と空港が、戦争のできる国づくりの中で重要な要になっていることが改めて明白になっている。アフガンへの侵略戦争と日本の事実上の参戦の中で、ささやかであれ全国の反空港の運動が結びつき、力をあわせていく出発を画したことは大きな成果であった。 (関西S通信員)