共産主義者は「憲法改悪阻止」をどの

ように闘わなければならないのか(続)

   −三中総・憲法闘争決議案への批判的見地から

                    谷川洋平

 

広範な統一戦線の構築を


1) ブルジョア民主主義者をも巻き込んだ九条改憲阻止の統一戦線(ブルジョア民主主義批判とプロレタリア・小ブルジョアの社会主義陣営への獲得 )
決議案の「党の当面の基本方針」の5、「広範な共同戦線の形成を支持・支援する。・・という観点はその情勢の捉え方、方針内容とも基本的に支持できる。「憲法の平和的・民主的条項を守り現実に生かしていこうとする」ブルジョア民主主義者とも共同戦線を組むべきであり、又その内部で思想闘争を繰り広げる必要がある。この点においては既に各地の「改憲反対」の共同行動においては、労働者はもとより宗教者や学生を始め様々な階層の人々が未だ数は少ないといえども結集しつつある。
とりわけ「環境権」や「知る権利」などを改憲のための口実に持ち出している欺まんを粉砕するためには、自民党が公共事業や、自動車産業を始め大企業の生産活動による環境破壊の先導者であり、又官僚の秘密主義の擁護者であることを暴くと共に、そしてそれらに対する地域住民や公害患者、薬害被害者等の闘いを盛り上げていくことである。「盗聴法」などのブルジョア民主主義の基本原則さえ踏みにじる「憲法違反の法律」に対する反対闘争を強めていく闘いを、あらゆる階級・階層の人民と共同して戦うことが重要である。

2) 求められる左翼統一戦線の内容とは
決議案は、片や、「現行憲法の天皇制およびブルジョア憲法としての基本性格(ブルジョア議会制と資本主義的所有制度)に反対する左翼的勢力の独自的結集を支持し、推進する。」と上記とは矛盾した方針を提起する。しかしこの方針は良くて社会主義革命派の裸の統一戦線となりかねず、「労働者階級を中軸とした全人民の統一戦線を形成するという党の基本戦術」とは現状況ではなり難い。しかし従来の我が党の一般的な「地域統一戦線」だけの呼びかけに比べるならば前進には違いない。現在問われている、必要とされている統一戦線の政治内容を提案するならば次のような政策スローガンに集約されるのではないか。「九条改憲阻止(日米安保条約破棄・自衛隊解体)・全ての失業者に職を(1日6時間週30時間労働制)・金融機関等の国有化・原発を始め環境破壊の生産・生活様式の転換」。今後最大の政治問題となるであろう「失業」「人民の税金で維持されている破綻しつつある金融機関」の問題を一体の物として押し出し労働者階級を中心とした統一戦線を構築していく必要がある。しかしこの論争は又の機会にしたい。

  日本国憲法の歴史的運命(資本主義的生産

  様式の上部構造としての法)―レジメ


1) ブルジョア階級独裁の法的支柱としてのブルジョア憲法
@ 私有財産制とそれを維持するための国家機構の法的裏付け
A 封建制とプロレタリア民主主義に対抗する近代憲法(ブルジョア民主主義)
  近代市民革命としてのフランス革命の主役は、ブルジョアジーであった。彼らは、革命を通じて特権身分とその基盤を破壊すると同時に、民衆の独自の要求をも排除した。具体的には、資本主義の本格的な展開を確保するために、封建的な所有制度、身分制度、君主主権を否定すると共に、民衆の求める私有財産の積極的制限(時にはその否定)、「社会権」を含む豊かな人権保障、権力の徹底した民主化(人民主権)をも排除して、資本主義的な私有財産制度、自由権中心の人権保障、民意による政治を保証しない「国民主権」及び権力分立制などを主内容とする憲法を樹立しようとした。

2) 日本国憲法の特徴
日本国憲法の構成は以下のようである。前文、第1章天皇制、第2章戦争の放棄、第3章国民の権利及び義務、第4章国会、第5章内閣、第6章司法、第7章財政、第8章地方自治、第9章改正、第10章最高法規となっておりその特徴は三点である。
@ 君主制を残した点
A 戦争の放棄・戦力及び国の交戦権の否認
B アメリカ帝国主義の影響

3) 日本国憲法の歴史的運命(略)


 パリーコンミューン、ロシア革命を引き継ぐプロ

  レタリア政権の政治綱領(憲法)を!

1) 民主主義的革命路線の残滓
@ 決議案は次のように言う。「憲法改悪を阻止する闘いは同時に、現行憲法が規定する民主主義的諸権利の完全な実現を求めるなど、民主主義闘争としての一般的意義を持っている。党と労働者階級は、民主主義を完全に実現する道が社会主義―共産主義の道にあることを踏まえつつ、民主主義の先進闘士としての役割を果たさねばならない」。しかし共産主義者としての我々は,ブルジョア民主主義者と肩をならべ「現行憲法が規定する民主主義的諸権利」の枠内での民主主義の先進闘士の役割に満足するわけにはいかない。我々は、「収奪者から収奪する」すなわち労働者階級からの収奪の上に巨万の富を貯えている独占ブルジョアジーから収奪する。これは「現行憲法」の枠内の民主主義闘争ではなくなる。こういった民主主義闘争の徹底化の上に社会主義革命を位置ずける戦術に対しては、レーニンが既に、「人民の友とは何か」「プロレタリア革命と背教者カワッキー」の中で痛烈に批判している。民主主義的革命路線は日本共産党の専売特許でよい

2) 決議案の傾向を極めて端的に表明した要約が、三中総報告の解説(本紙三八二号)の中に見られる
「プロレタリア民主主義はブルジョア民主主義の歴史的継承・発展である、ブルジョア議会など支配制度としての民主主義制度はその否定を明記している。」さて前半はマルクス主義的に言えば、否定の否定としての弁証法的発展といいかえるべき所であろう。が、このような説明では、「近代ブルジョア社会は、封建社会の歴史的発展・継承である」という言い方に対してどう答えるのか。「否」と応えるなら、封建社会を打ち倒したブルジョア革命のほうが、資本主義社会を打ち倒す共産主義革命よりもより根底的な革命であったというのであろう。しかしそれは「人類史の前史を終わらせん」とする共産主義革命の意義をを低めんとするものである.「そうだ」と答えるなら、歴史の流れを言っているだけで何も言ってないに等しいことであろう。後半は、支配制度ではない「民主主義制度」なるものはM・L主義の否定の否定なのか。とまれ決議案の「民主主義」に対する概念規定の超歴史的、非階級性は看過しがたいものであろう。
「民主主義は、私的所有を直接に侵害し、プロレタリアートの生存を保障する一層徹底した方策を遂行する手段として直ちに利用されなければ、プロレタリアートにとって全く無益なものとなるであろう。既に今日、現存諸関係の必然的な結果として出てくる諸方策のうち最も主要なものは、次のものである。」(エンゲルス・共産主義の原理)として後の、パリ・コンミューン、ロシア革命に繋がる(レーニンが1918年「プロレタリア革命と背教者カワッキー」の中でそれをより明確に発展させプロレタリア民主主義として位置ずけた)プロレタリア独裁の政策構想が述べられている。ブルジョア階級の欲する民主主義とプロレタリア階級の欲する民主主義とは違うのである。その間には革命という深淵が立ち塞がっている。

3) パリコンミューンからロシア革命へ至るプロレタリア独裁の歴史的経験の清算。
@「ついに発見された政治形態」(略)
1871年パリ・コミューンは歴史上初めて行われた社会主義革命の実践であり、歴史上初めて出現した労働者階級を中心とする民衆の権力であり、そして労働者階級を中心とする民衆の憲法思想の具体化の試みであった。
A 旧ソビエト連邦におけるプロレタリア独裁とその変質(略)
B 「三中総憲法闘争決議案」のプロ独裁の曖昧性
 決議案は次のように言う「日本の社会主義革命の勝利によって、基本法の階級的本質は、ブルジョア階級独裁の基本法からプロレタリア階級独裁の基本法へ革命的に転換する。…現行憲法から発展的に継承するものは、平和主義、主権在民、基本的人権、地方自治などである。」これはプロレタリア独裁の形骸化ではないのか。ソビエト・ロシアにおけるプロレタリア独裁の惨めな結果に対してその総括をブルジョア民主主義への寄りかかりで果たさんとする安直な思想・政治総括となってしまっている。我が党は,未だ確固とした過去の「プロレタリア独裁」の総括を出し切れていないとは言え、既に破産が明確なブルジョア民主主義へのすり寄りはプロレタリアの階級闘争を貧弱な、みすぼらしいものとする。我々はいったんは挫折し、敗北したとは言え、過去のプロレタリア革命の歴史的総括―その未熟さや誤り、致命的な失敗にもかかわらず、そこから教訓を引き出す所から開始して来たのであり、今後ともそれを理論的にも実践的にも発展させるという課題に直面しているのである。
       (2001年8月13日)    
〔文中略は筆者による〕