大阪・釜ヶ崎

 三十年の闘い土台に野宿者立法めざし

    夏祭り盛り上る

 

八月十二日より十五日まで、釜ヶ崎で第三〇回釜ヶ崎夏祭りが盛大に行われた。
 七二年六月に結成された暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)が、同年八月十三日から十八日にかけて第一回夏祭りを三角公園で行ったのが、釜ヶ崎夏祭りの始まりだ。当時の三角公園は暴力団に支配され、労働者は自由に使えなかった。実際十三日には暴力団が、十五日には右翼が襲撃をかけてきた。それを労働者がはねのけ夏祭りを防衛し実現したのである。七三・七四年の夏祭りでは、西成署がみこしの中に突っ込み二名を不当逮捕、盆踊りの輪にも突っ込み妨害を行ったがこれもはねのけ、三角公園を労働者の手に奪い返してきた。釜ヶ崎夏祭りは、労働者が闘い取った祭りなのである。
 今年も十日より、三角公園にやぐらやステッカーの建て込みが行われ、十二日一時過ぎから炊き出しがあり、久しぶりの雨の中五時過ぎよりバンド演奏が始まった。六時より約三百名が参集し前夜祭が開催された。
 今年の夏祭りのスローガンは、「野宿生活者支援法の早期実現を」をメインに、一、就労対策を軸にしたセーフティネットをつくれ! 二、野宿生活者への差別襲撃を許すな! 三、沖縄駐留米兵の暴行事件糾弾!基地撤去!日米安保粉砕! 四、泉州の海と自然を返せ!税金のムダづかいの関西新空港よりも失業・野宿対策の充実をはかれ! である。夏祭り実行委員会に参加する諸団体が次々発言した。反失連より野宿生活者支援法の早期実現を目指す闘いの報告と署名活動の提起が行われた。映画「ブラス」も上映され、前夜祭を終了した。
 本番の十三日から十五日の三日間は連日、炊き出しが行われ、昼過ぎよりバンド演奏、芝居、落語、夕方からは演歌、九時から盆踊りが行われた。
 また十三日にはのど自慢、十四日にはスイカ割り、十五日にはすもう大会と、子どもたち多数を交えて恒例の催しが開催された。十五日六時からは、公園の一角に設けられた祭壇の前で慰霊祭が反失連の本田共同代表により行われ、シェルター建設やテント維持、特別清掃事業など闘いの成果が出る中でも五万にも達すると言われる圧倒的な野宿生活の中で、病に倒れ、あるいは労災で殺され、弾圧で殺されていった仲間たちの霊に黙祷をささげた。夕方からは、曽野恵子さんの演歌もあり、屋台、ステージを囲み二千名の労働者で三角公園はいっぱいになった。夏祭りは、エイサーと盆踊りで無事終了した。 
 釜ヶ崎では、、夏祭りをはさんで、「野宿生活者支援法」の早期制定を目指す請願署名運動などの活動と、秋へ向けた反失業の闘いが始まっている。(関西S通信員)