書評  東史郎著『東史郎日記』

皇軍ー兵士の「中国戦線」記

  侵略戦争の実態を克明に綴る

       一般住民への「掃蕩」という虐殺、「徴発」という名の略奪、

       女性への凌辱、捕虜の「処分」、民家への放火など、模範的皇

       軍兵として戦いつつも思い悩む苦悩が赤裸々に

日本政府がアジア各国人民の激しい反対をも顧みることなく、「新しい歴史教科書をつくる会」のでたらめで反動的な歴史教科書を陰に陽に支持し続けていることに対して、今、全世界の人民が日本政府を糾弾している。その教科書を採択させない闘いは、採択決定期限を前にして右派との熾烈な攻防となっている。こうした情況の中で中国での侵略戦争の実態を克明に記した『東史郎日記』が刊行された。
 すでに、本書のダイジェスト版である『南京プラトーン』(青木書店)が出版されているが、これに対して歴史修正主義者らは名誉毀損で著者を提訴するという攻撃をかけ、歴史の改竄をたくらんだ。その主な狙いは、日本皇軍による南京大虐殺や残虐な行為はなかったことにしようとするものであった。
陣中日誌に基づいて書かれた「日記」は真実の語りであったが、地裁と高裁の裁判官が同一人物などというペテン的裁判が行なわれ、しかも最高裁はその不当判決を確定させた。歴史の真実を語ろうとする者への攻撃と裁判のそれへの追随、それが今日の偽らざる情況であり、問われているのは最高裁をはじめとするわが国の歴史認識と被害を受けたアジアの人々に対する姿勢である。だからこそ「東日記」の史料的価値は、真実の歴史を知りたい、大事にしたいと願う者にとってますます重要なものとなっており、歴史を改竄しようとする新国家主義勢力に対する痛烈な反撃ともなっているのである。
 一九九九年には、「東日記」全文が中国語に翻訳され、江蘇教育出版社から刊行されている。その後、中国では全文が読めるのに日本では読めない、何とかならないかという声があがっていた。しかし、全文となると大部の書となること、先の出版に対して二度にわたり版元の青木書店に右翼が押しかけていることなどからその実現は危ぶまれていた。だが、侵略行為を反省した元皇軍兵士や暴虐の中で幸いにも生き残った中国の人々を招いて長年にわたって「証言集会」を続けてきた熊本証言集会実行委員会の尽力によって、北支事変出征から南京攻撃、徐州会戦にいたる全五巻の日記を一冊にまとめて、一挙に公開することができたのである。
 この『東史郎日記』全五巻は詳細克明な戦争の記録であり、また極めてすぐれた自分史文学でもある。先に刊行された『南京プラトーン』とは似て非なる別のものといった感じを受ける。先の本は出征から昭和十三年九月九日までをおよそ十七万五千字でまとめているが、同じ範囲の原文は約五十万二千字を費やして書かれている。この絶対的な量感の違いというだけではない。
 例えば、十月十七日神嘗祭の夜、南和の月の下で東さんは物思いに耽る。その文中には「争闘―それは生ある者の必然だ。だが必然として甘受出来ないものがある。人間には正義があり、感傷があり、人道がある。それは人間本来の善である。しかし、現実に本来の善より出発した正義があるのか」といった独白がある。戦争の真っ只中で、それにむきあおうとしている東さんがいる。「現実の正義は力である。力こそ正義なのだ」と自分自身を納得させようとする姿もある。原文では三千五百字余りであるが、ダイジェスト版には無い。他の個所も揺れ動く心象風景を反映している個所は、いわばウダウダとした文章で書かれたものがおおい。それで生起する事柄を追うのに急なダイジェスト版は、その多くを落としてしまっている。
 長文でなくても、例えば「『略奪ではない。徴発だ。戦勝者当然の、必要なる徴発だ』何かしら掠奪という言葉は心暗い思いがして、徴発だ、という言葉を使う罪悪を感じないのだ」では、「何かしら掠奪という言葉は心暗い思いがして」という部分を削除している。このように随所で心の動きの伝わる僅かな文章が削除されたり、書き替えられたりしている。また、意図的なのかも知れないが、東さんのその後にずっと心の傷として残ったであろう十三年五月三日の事件などもまったく触れられていない。
 しかし、戦争の実態、生起した事実が書かれているということもさることながら、皇軍の模範的一兵士・東さんが戦争の実態や歴史と向き合う中での心の動揺や葛藤を書き留めていることこそが、この日記の最大の特徴であり、最大の収穫なのである。戦記の多くは部隊としての、兵団としての行動やその時の感想を記すものばかりで、戦争と向き合った個人の心象を記したものは極めて少ない。
 東さんは戦地生活が一年ともなると、「我々の心の中に新鮮感がなくなり、感覚が鈍磨してしまった。私の心は、戦場というものから抽出すべき人生の意義、抽出すべき数々の真理をも感じなくなった」と述べている。それは何も特異なことではない。第十軍法務部長として杭州湾に上陸し南京に至った小川関治郎『ある軍法務官の日記』(みすず書房)を読めば、当初中国人の死体を気味悪く思い「戦場ノ惨憺タル光景」と映っていたものが、南京近くまで行くと、「内地ニテノ犬ノ死骸程ニモ感ゼズ」というようになったという。小川の場合、その感性の変化は僅か二ヵ月の間におこっている。それに較べれば、東さんは強靭な精神と感性を保ち得ていたというべきだろう。だから「東日記」は、“みずみずしい感性が、どのような現実の中で次第に鈍磨していったのか”の記録でもある。
 これらの点を『東史郎日記』全五巻で充分に読みとって欲しいと願うものである。                                                   (K)
※ 二〇〇一年六月二〇日 初版発行
※ 著者 東史郎
※ 発行所 熊本出版文化会館(096-354-8201)
発売元 情況出版(03-3233-0031)
※ A5版 本文510頁+口絵8頁
※ 定価 本体二六〇〇円+税