6・22大阪府豊中

市教育委員会へ抗議デモ

 教育労働者への告発攻撃と反動教科書とは同列


九九年に「日の丸・君が代」が「国旗・国歌」として、法制化された。まさに戦争のできる国家体制作りの一環として、政府・文部省(当時)はあの侵略戦争で直接的にも何百万人もアジア人民を殺したシンボル、そして排外主義・差別を生み出す、あの「日の丸・君が代」=天皇制を学校現場に強制してきた。そして全国の教育委員会への圧力、右傾化を進めてきた。
大阪府教委では、いわゆる三点セット、「国旗壇上正面掲揚」「国歌の式次第明記」「全員起立し斉唱」を強要してきた。今年一月の臨時校長会では、八項目の指示を行なった。教職員は斉唱時起立するように伝えること。校長の意見と異なることが、職員会議の議決として、あたかも学校の意見であるかのように外へ流れないようにすること。そして八項目の最後が、府立高校の卒業式に府教委事務局職員を派遣し、卒業式の実施状況を把握すること、である。生徒が自主的に運営する卒業式ではなく、まさに文部科学省・教育委員会の作る卒業式である。
そのような状況の中、大阪府豊中市での今年三月の小学校卒業式で、教頭が子ども・保護者に「起立」と、「君が代」の「斉唱」とを告げたので、教師Kさんは「日の丸・君が代の強制に抗議します」と言って、その場から静かに退場したのであった。
ところが四月十八日、豊中市教委の浅利教育長は教師Kさんを卒業式を妨害したとして、「威力業務妨害」で豊中警察署に刑事告発した。そしてKさんを学級担任からはずすということも強行している。
以降、この教育労働者への告発攻撃と「つくる会」教科書攻撃とは同列にあるものとして、反撃の闘いが進められている。六月十三日には、大阪ヨンデネット主催の「歴史の歪曲−教科書改悪を許さない」集会の後、教育委員会への取り組みが行なわれている。
六月二二日には、豊中市で「扶桑社の教科書を採択させるな・教育労働者への弾圧をゆるすな」集会が、大阪ユニオンネットワークの主催で開かれた。集会後、市教委のある豊中市役所までデモ行進を貫徹。
市役所に着いたデモ隊は、市教委宛ての申入書を持って庁舎内に入ろうとしたが、ドアが閉められ、市教委の職員が阻止してきた。周りには私服、制服がうようよする中、三十分にわたって抗議のシュプレヒコールを続けると、ついにドアを開けた。代表十人で市教委に面会し、申入書提出の目的を果たした。
我々は、Kさんの闘いを勝利させるためにも、学校現場での「日の丸・君が代」強制反対の闘いを孤立させないためにも、ユニオンネットワークや市民運動の輪を広め、地域の人々も味方に付けて着実に戦線を作らねばならない。
そしてもう一つ、この闘いと平行して、皇国史観・歴史歪曲・民族主義をあおる扶桑社の教科書を各市教育委員会に採択させない運動を緊急に強めなければならない。(関西N通信員)