参院選

  小泉「改革」に路線的に対決し

    大失業と戦争国家作りの時公民連立政権に痛打を


国内はデフレ不況、外に向かっては「戦争のできる国家」作りというこの間の危険な経済・政治情勢の中、ブルジョア政局は七月二九日投票の参議院選挙へと向かっている。
本来ならば、我々労働者共産党も他の革命的勢力と力を合わせ、こうした国政選挙に革命的議会主義の戦術によって参戦すべきところであるが、結成二年の我が党はまだそのような発展段階にはない。直面する参院選では、我々は議会与野党を徹底的に批判しつつ、階級闘争・人民運動を前進させる上で有利な対応・投票行動を選択することとなる。小泉「改革」とその同調諸政党に対決し、日共に代表されるその無力な反対者を乗り越えて、革命勢力の団結・統合と全人民の統一戦線の形成へ前進していこう。
六月二四日に実施された東京都議会選挙は、客観的にみて参院選の前哨戦であった。都政の争点(都知事石原への態度など)はあったが、各党候補者のほとんどが石原支持あるいは「是々非々」の態度という有様であったこともあり、都政の問題は後景化し、小泉連立政権の評価が実質的な争点となった観がある。
その結果は、自民党が相対得票率を36・0%と伸ばして勝利(前回九七年都議選では30・8%)。都議会第二党だった日共が15・6%へ大きく後退(前回21・3%)。公明も15・1%で後退(前回18・7%)。社民も1・4%で議席消滅(前回1・9%)。民主が13・5%(前回10・3%)で、生活者ネットとともに前進となっている。
特徴点は、投票率が約九%上昇したが、その少なからずが自民へ流れたことである。しかし、小泉の都議選応援での異常な人だかり振り、否定できない小泉その人への期待感ということから考えると自民はもっと勝ってもおかしくはなかった。いわゆる「無党派」が操作されやすい流動性を持つと同時に、いぜん自民党には警戒心を保持していると観ることもできる。小泉人気はきわめて不確かなものであり、その政治効果はせいぜい参院選までてある。
昨年六月の衆議院選挙の大きな特徴は、都市部で自民党が大敗したことであった(東京比例区の自民得票率19・5%)。このことは、公共事業などによる利益誘導型政治、族議員による有権者支配が、少なくとも都市部では従来のように機能しなくなっていることを鮮明にした。栃木・長野・千葉の知事選でその流れは拡大してきた。これに危機感を高めた自民党地方議員らが四月の総裁選で、最後の切り札としての小泉支持に殺到した。小泉優勢が明らかになるや、中曽根康弘や当時まだ首相だった森や都知事石原なども加わって、小泉「改革」政権誕生のイメージ戦略が発動された。「改革を求める国民の声が小泉政権を生んだ」というのはデマゴギーであり、自民党の必死の延命策が小泉を引き上げたにすぎない。
一旦背後に引いた自民党主流派(橋本派)は、当面参院選までは小泉人気を利用するほうが得策としているようだ。その後はどうなるのか。小泉「構造改革」は、労働者人民には雇用破壊・失業・福祉切り捨てをもたらし、既得利益層にはその編成替えを意味する。後者は、財政危機下では支配層内部の抗争を激化させる。「改革」が看板倒れになればなったで、支配体制は立ち腐れとなる。どのみち、小泉政権が大衆のすさまじい失望の中で崩壊する日は近いのである。
 真の意味での日本の改革は、大企業・高級官僚・天皇などによる支配体制の枠内にある勢力によって達成されるものではない。小泉純一郎や田中真紀子が官僚や族議員と闘っている素振りを見せ、マス・メディアを使って不特定多数の大衆にアピールする手法を使っていても、かれらの拠って立つ基盤はブルジョア特権層である。新自由主義路線と旧来の土建国家路線との抗争は、労働者人民の支配の仕方をめぐる抗争であり、両者は労働者人民の闘いの前進に対しては、あいまいに妥協し一致して弾圧してくるものでしかない。
日本の真の改革の道は、こうした「改革」派への幻想と期待を一掃し、労働者人民が自ら立ち上がって大衆運動と政治勢力を無数に作り、強大な統一戦線を作って、支配体制を圧倒・瓦解させる道、日本の社会主義革命の道に他ならない。
小泉連立政権の与党、自民・公明・保守を一人残らず落選させよう。
小泉自民党は、森自民党以上に反動性を強めている。「つくる会」教科書の採択のバックとなり、中曽根以来の靖国神社首相公式参拝を強行せんとしている。憲法改悪を首相として公言し、集団的自衛権行使の解禁・PKO武力行使の解禁を準備し、沖縄名護では当初案の二倍の規模の米軍新基地を建設しようとしている。田中外相をめぐる空騒ぎとは裏腹に、軍事・外交においては「改革」の言葉すら一欠けらもない。
経済・財政においては「官から民へ」「中央から地方へ」の新自由主義的スローガンを掲げている。六月二一日に決定された政府の経済財政諮問会議基本方針は、不良債権直接償却をすすめて銀行を救うためには失業増を当然とすること(民間試算によると百三十万人増)、郵政民営化の検討などが示されている。これらの方針は、際限のない銀行への血税投入(その余地も残してある)よりも中小企業を潰し、なにがしかの失業対策をやったほうがマシとするもの。銀行が立直っても大失業ではデフレ不況を脱せるのか、何も確信はないのである。自民党内で不一致である郵政民営化も、民間金融資本の立場から考えられている。「官から民へ」の方針は、大衆の官僚批判を逆手に取りつつ、民間資本が馴染まない公共サービス部分をも破壊していくものである。
「中央から地方へ」の方針では、政府の地方分権推進委員会を始め「財源委譲」が語られているが、一向に進まず、進められようとしているのは地方交付税の削減である。地方自治体公共サービスの格差是正のための地方交付税を切っても、地方支配のための補助金行政は続ける。また財源委譲がないので、地方特別課税を導入する自治体が増えている。特別課税の性格にもよるが、国・地方全体で大衆課税の強化である。
公明党は、こうした自民党政治に全面協力している。公明は、PKO等協力法に賛成して以降完全に日本帝国主義の翼賛政党として行動している。かれらは支持者向けには、公明党が与党でいるから国家主義・右傾化にブレーキを掛けているのだと語っているが、その実、付帯決議などで悪法を粉飾しつつ成立させる役割(これは野党民主党にも言えることであるが)を果たしている。
民主党を徹底的に批判しよう。民主党への批判は、連合など労働組合の中でとくに重視する必要がある。都議選で民主党は若干前進し、鳩山は「元祖・構造改革の党と認めてもらった」と述べた。実際、民主党の路線は小泉政権の新自由主義路線と何ら変わるところはない。最初は小泉応援団になっていたが、それでは選挙戦にならないので今は、「小泉改革には具体性がない、改革のスピードと内容で対抗する」としている。つまり労働組合が民主党を応援することは、自らへの首切り攻撃のスピードをアップさせることである。もちろん民主党も、小泉政権では「セーフティネットの整備が不充分だ」という点を対抗上強調し、雇用対策などで独自性を出そうとしている。民主党のこうした面は、野宿労働者自立支援法案などで我々運動勢力が利用することができるのである。
日共を徹底的に批判しよう。日共は社民などとともに小泉改革そのものに反対している党であるが、支持することはできない。日共は都議選で、「東京から日本を変える」とする石原の極右反動と闘わず「是々非々」論であいまいにし、都政での福祉要求を羅列したが、支持を減らしてしまった。参院選方針でも、消費税引き下げを始めとする「緊急経済提言」の羅列である。「ルールなき資本主義」をよりましな資本主義にしようという諸要求路線では、自民、民主、財界の「改革」と根本的には変わらない。違っているのは、日共が新自由主義路線ではなく、国家独占資本主義左派的な旧来路線に立っている点だ。その思想的特徴は、個人消費の拡大による経済成長、民主的官僚による社会的弱者の救済、とでも言うべきものである。支配階級が、「個人の自律」を掲げ、NPOを奨励してその行政下請化を進めつつある時代に、旧来の福祉国家路線では対抗できない。対抗できる路線は、個人の自立、NPOの自立、地域の自治を大衆運動として前進させ、連帯社会をめざしていく路線である。
社民党は、村山政権時代の「安保・自衛隊支持」を再転換した土井「平和構想」を発表し、護憲平和の党を強調している。しかし、その再転換は政治的条件が整った上での安保解消・自衛隊解散であり、不徹底である。社民党には、市民運動家の少なからぬ流入による新しい要素と、他方での国鉄争議「四党合意」の演出にみられる労組出身幹部の古い要素とが併存しており、支持・不支持は個々のケースによる対応となる。
新社会党と沖縄社会大衆党も、東京選挙区をはじめ候補者を出している。小泉政権に対決し、憲法改悪阻止と安保破棄、沖縄新基地建設反対を鮮明にしている点については明確に支持できるものである。
参院選へ向けて、小泉自民党とその同調者を徹底批判し、議会与野党から自立した地域的統一戦線勢力を強化しよう。全国的・全人民的な統一戦線をめざし、革命勢力の団結・統合を進めていこう。