6・1大阪地裁 在外被爆者に援護法適用の判決

 国・大阪府の控訴を糾弾する


 六月一日、在韓被爆者の郭貴勲(クァク・クィフン)さん(76歳)の「被爆者援護法裁判」で、大阪地裁において在外被爆者も被爆者援護法適用を認める勝利判決が勝ちとられた。
 郭さんは、第二次大戦での徴兵で旧日本陸軍に招集され、広島の部隊に配属され、爆心地約二キロで被爆した。戦後帰国し、韓国原爆被害者協会会長を努めた。
 九八年五月、大阪府松原市の病院にて治療するため来日、大阪府に対して申請、被爆者手帳を取得し、被爆者援護法の健康管理手当(五年間)の支給が認められた。しかし、同年七月に治療をいったん終え帰国後、手当は打切られたものである。郭さんが同年十月に、国と大阪府に処分の取り消しを求めた訴訟を大阪地裁におこして闘ってきたものである。
 過去の植民地支配―原爆被害―帰国後の放置という三重苦を強いられた韓国被爆者に対し、日本政府は「在韓被爆者補償問題は日韓条約で解決済み」という基本的立場でつきはなしてきた。
 七〇年、孫振斗さんが密入国をし、治療を求めて来日した。七二年、福岡地裁に手帳交付を求めて提訴、七四年三月に勝訴、七八年に最高裁にて援護法の前身の原爆医療法について「特殊の戦争被害について戦争遂行主体だった国が自らの責任で救済をはかる一面を有する」と判断され、勝訴し道を開いた。
 この中で一時滞在の外国人に初めて手帳が交付されたのは、孫さんの地裁勝訴の直後、七四年七月、故・辛泳洙さん(当時、韓国原爆被害者協会会長)さんが来日、東京都に申請し取得した時からである。しかし、辛さんが手帳申請をしたその日、旧厚生省は「日本を出国した被爆者は原爆二法(旧被爆者医療法と被爆者特別措置法=現被爆者援護法に九四年統一制定)の適用外」とする公衆衛生局長通達を出し、締め出したのだ。これにより韓国だけでなく、海外の全ての被爆者が締め出された(移住した場合も含め)。
 判決は、この通達による運用について「人道的見地から被爆者救済を目的とした被爆者援護法の趣旨に反する。被爆者を日本に住むか一時的に滞在するかで差別することになり、法の下の平等を定めた憲法十四条に反する恐れもある」と明確に判断、局長通達そのものについても「同援護法の解釈に反している」と明示した。健康管理手帳についても「支給開始には国内に住むか滞在する必要があるが、その後は海外にいても支給されるべき」とし、国側の「税金でまかなう社会保障制度は、日本社会の構成員でない海外移住者には適用されない」との主張に対しても、「同援護法は人道目的の国家補償的性格もあり、在外被爆者を排外しているとはいえない」と、退けたのだ。判決理由でも触れている様に、遺族等援護法や労災保険法では海外給付は行われている事である。
 原爆被爆者に対する援護政策では、ずっと国家補償か社会保障かで争われてきた。「援護法」制定時も、国は「国家補償」の言葉を入れることを、被爆者団体の強い要求に対してもかたくなに拒否した。在韓被爆者に対しては、更に前述の日韓条約を理由に国家補償を拒んでいる。
 七八年の最高裁判決いこう、八〇〜八六年に「渡日治療」を実施、約三五〇名が来日した。また九一年から九三年にかけ「人道的支援金」として四〇億円を在韓被爆者に拠出した。しかし、前者は期限付き施策であり、後者の支援金は、医療支援に限定され、しかも〇三年には在韓被爆者の医療費ですら底をつくといわれている。
 その後は「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」や「渡日治療を支える会」など市民団体の運動と、韓国原爆被害者協会の被爆者自身の闘いによって、渡日治療と、補償を追求する闘いが続けられてきた。郭さんと同じく長崎地裁においても韓国人徴用工・李康寧さんの訴訟が続いている。
 通達によって権利を奪われた原告の勝訴を確定させるため、府・国に控訴を断念させる追及が始まった。
原告の郭さんは、「控訴断念を求める声明文」を発した。彼は、「この判決は、私たち韓国在住被爆者だけでなく、アメリカやブラジルにわたった日系の方々、そして中国や朝鮮民主主義人民共和国に暮らすすべての被爆者の人権回復のための大きな一歩だと確信しています。しかし、私たち在外被爆者にはもはや時間がありません。もし、控訴されれば、多くの在外被爆者が、ふたたび深い失望の谷に突き落とされ、何らの援護も受けることができないまま亡くなっていきます。私も今年で喜寿を迎えました」と述べ、控訴断念を、明確にそして整然と問うた。
 弁護団や「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」等の支援の人達は早速、首相・厚生労働・法務大臣宛ファックス、メールで控訴断念をせまった。超党派の国会議員でつくる「在外被爆者に援護法適用を実施させる議員懇談会(五十四名)も、政府への要請に入った。
 郭さん自身、六日、森山法相へ要請を行うが、「ハンセン病訴訟と違う。」と応じない。秋葉広島市長や、原水禁など被爆者団体も行動に、支援は厚生労働省前で抗議の座り込みを行う。
 しかし政府は六月十五日、大阪高裁へ控訴した。理由は─広島地裁判決では、国は勝っている。国会審議で担当局長が「国内に居住する者を対象にしている」とした答弁を、大阪地裁が「解釈の参考資料に過ぎない」としたのに納得できない。援護法は社会保障で財源が税金であるので海外居住者は対象とならない、という従来からの法解釈上の主張のくり返しに過ぎなかった。
 また政府は、原告そして多数の海外被爆者の反発・抗議を和らげようと、韓国在住被爆者を援護するための基金の積み増しを検討する事を打ち出した。この基金の増額は、既に在韓被爆者や被爆二世から強く求められていたもので、これまで一切応じられない、解決済みと政府がけってきたものである。国・大阪府の控訴を強く糾弾する。郭さんは十四日、大阪府下の病院での検査を終え、離日した。「基金の増額は拒むつもりはないが、問題のすり替えだ」と、抗議の意志を表明した。
 「すべての在外被爆者に援護法の適用を」とする運動を更に推し進めよう!国・大阪府の控訴は強く批判されるものである。 (関西S通信員)