新基地阻止・海兵隊撤退へ陣型整えよう

  沖縄人民運動の変り目


 沖縄戦とその後の戦後史によって、沖縄の四、五、六月はにぎやかになる。
 その諸行動の一つ、社大党主催で四月二八〜二九日に開かれた東アジア国際平和会議は、高く評価されるべきものであった。
 これは、中国、朝鮮・韓国、日本、沖縄からの参加で、東アジアの平和をいかに作り出すかをめぐって報告・提案を相互に行ったもので、沖縄人としては未知の課題に情熱をかたむけて成果を上げていることに敬意を表したい。沖縄人が米軍基地と闘うだけでなく、米軍基地が災難をもたらしている東アジアの人々と語り合い、相互の平和的生存にとって必要な交流をすすめることは、日米両政府の言う「脅威」「十万人プレゼンス」の大義名分を打ち砕く。

   自治体労働者が5・15独自行進


 今年の5・15は、何か歴史の変わり目を感じさせるものであった。
 日共系は、沖縄北端の辺戸岬で烽火を燃やした。平和市民連絡会は、那覇市内で集会とデモ。平和センターは、名護から辺戸岬までの行進(これは復帰協時代の行進形態に近い)。
 突然出てきたのが、県職労および南部総支部と南部市町村職労(自治労)らによる、沖縄戦の地・魂魄(こんばく)の塔へ向かっての行進。この人々は本来なら平和センター系である。
 この人々が独自行動として、沖縄一般民間人が累々と倒れていった地、そのしかばねで築かれた魂魄の塔へ向かって行進したことは、再び沖縄戦の教訓に立って、名護の米海兵隊基地、浦添の米海軍基地の建設、それを突きつける日本政府にどういう態度で向かわねばならないか、その再確認を迫るものと言えるだろう。
 この労働運動部分の新しい動きは、名護、浦添をめぐっての闘いの過程を注目してきた人にとっては理解できることではなかろうか。それは暴言を恐れずに言えば、平和センターの弱体化とその事務局長・岸本氏への不評がひき起こしたものであろう。
 昨年七月のカデナ基地包囲で、突如日程を変更した岸本氏、それは六九年のゼネストを中止した県労協議長・亀甲氏のそれと類推されて不評を買った。日本政府と沖縄人民との矛盾が頂点に昇りつめようとするとき、それを緩衝する者が現れる。社会党・総評のある部分が亀甲氏にそうさせ、岸本氏もまた、そういう水脈でそうさせられていると思われている。
 海兵隊削減・撤退の要求がもりあがる一方で、進行する名護新基地のための代替施設協議会。この状況下で、海兵隊撤退・新基地阻止の県民大会を適時に成功させるべきであった今春の情勢。しかし、連合は県民大衆にそっぽを向け、ひたすら県知事・稲嶺恵一との共催を模索し、それをついにあきらめたが、連合はそれをあきらめるまでの間、県内移設阻止県民会議としての取り組みを放棄し、追及の中でようやく3・17県民大会をもった事態。
 単組の小回りのきく運動と自由で主体的な討論の討論の封殺、米軍基地ゲート前へのたんなる狩出し主義、北部市町村首長への働きかけの放棄などなど。これらの実態は、とくに北部における自治労や教祖、照屋氏や東門氏、それらを傘下にもつ平和センターに責任がある。
 北部の市町村長、吉田や上間その他は、先輩らの闘いや今日の私たちの労苦の上に存在し得ているのであり、労組役員も議員もそれを忘れ、市町村長になってしまえば「サヨナラ」では、稲嶺と日本政府のなすがままだ。何のための運動、何のための蓄積、何のための革新組織か。
 県職労、自治労らの5・15独自の取り組みは、このようなやむにやまれぬ状況の中から生まれてきたものであろう。だから、それはそこに立ち止どまることなく、勢いをもって広く深く突き進んでもらいたい。
 市民運動の現状は、率直に言って分散化の傾向にある。
 一連の市長選敗北の後、普天間県内移設の当事者である比嘉宜野湾市長が自民党へくら替えし、七月の市長選が候補者不在の状況に置かれている。敗北の連続、問題の山積みという状況で分散化はおこりえるとしても、避けなればならないことは、新基地阻止という中心問題から関心がそらされることである。
 平和市民連絡会は、三月に代替協構成市町村に対し要請文を手交して働きかけるというマトを射た行動を行ったが、この行動も、平和センターや労働団体、議員などを含めた県民的共同行動にねりあげなければ政治的に弱い。「なにもやらない」のが得策とする連合、その連合寄りの平和センターという環境は、市民運動を苦しめているが、現状打開の推進力は、平和市民連絡会などに結集する人々をおいて他にはない。
 

  各選挙勝利から広範な共同へ

今、活動家たちは各選挙戦に突入している。
 七月八日投票の那覇市議選では、市民派の代表を二人市議会に入れようと奮闘している。島田正博氏と高里鈴代氏(現)である。名護市、宜野湾市では、新基地阻止・普天間無条件返還の市長候補を擁立すること。参院選挙では、中北部圏では照屋寛徳氏(現)、東京圏では社大党・新垣重雄氏、これら諸氏の当選をたたかいとろう。
 大田昌秀氏の社民党候補としての参院選比例区出馬は、沖縄の市民運動の中では不評を買っている。なぜなら、大田さんと彼の作った国際平和研究所には、超党派的な全県民の闘いをまとめあげる役割を期待されていたからである。社民党候補という立場では、まったく反対の役割を果たしてしまう。「本土」的には、護憲平和を押し出す社民党とその支持者にとって有利であろうが、沖縄にとってはその悪影響は大きい。
 こうした現状の中でも、市民、労働者のたたかいは続いていく。かれらは必ずや衆知を集め、展望を切り拓き、沖縄人民の広範な闘いの陣型を獲得していくだろう。