5・26第三回地球的課題の実験村シンポジウム

     日の出・水俣・三里塚から


五月二六日、「命めぐる大地 日の出・水俣・三里塚からわたしの暮らしへ 第三回地球的課題の実験村シンポジウム」が東京・杉並区勤労福祉会館で開かれ、約一五〇人が参加した。主催は「地球的課題の実験村」(共同代表、大野和興・柳川秀夫)。
この「地球的課題の実験村」運動は、九一年に三里塚空港反対同盟(熱田派)が空港二期工事跡地に「地球的課題の実験村」を作ることを提案したことに始まるが、政府側との空港問題円卓会議が二期工事をめぐっては平行線に終わったのち、九八年夏から現地農民の空港反対運動を新たな形で受け継ぐものとして進められてきた。空港反対運動それ自体は現在、形を変えた二期工事といえる暫定滑走路工事の強行に対する緊迫した闘いとなっているが、この「実験村」運動はその闘いと深い所で結びつきつつ、全国各地のエコロジー的・農的運動との連携を広げつつあるといえるだろう。
シンポジウムは第一部で、日の出・水俣・三里塚の現地から報告を受けた。
日の出からは、永戸千恵さん(日の出の森・水・命の会)が、東京都日の出町のここ九年のゴミ処分場をめぐる運動経過を報告。谷戸沢処分場での汚水漏れの追及から始まった闘いは、それをごまかしたままの第二処分場建設を許さない闘いとなった。自らがゴミをたくさん出さない暮らしをすることを含め、ゴミ処分の抜本的解決を求め続けている。
なお、シンポの基調で土地収用法改悪案への反対が強調されているが、この法案は、新たなゴミ処分場の建設をやりやすくする等のために、土地収用手続きを簡略化して一坪共有やトラスト運動の方法での反対運動を無力化せんとする策動である。
水俣からは、緒方正人さん(本願の会)が、水俣病患者運動のなかでの自己の思想経過というべきものを報告。亡父の「仇としてのチッソ」と闘う「過激派」だった自分が、なぜ十五年前に水俣病認定申請患者協議会会長を辞任し、申請も裁判も取り下げたのか。現在の「解決」といわれる現状は、制度補償などの仕組みの中に患者が取り込まれ、自分を隠すようになった「解決」=忘却でしかない。「我もまた一人のチッソなり」として、水俣病の人間の責任を問い続けている。
三里塚からは、まず空港問題の現状として、石井恒司さんがスライドを使って暫定滑走路工事強行の現状を報告、東峰神社の立木伐採許すな等を訴えた。モンペ姿の若い女性、石崎愛さんが登場、今春から「実験村」研修生として農作業に励む日常などを報告した。次に「実験村」の三つのプロジェクト、「農と百姓のネットワーク」(麦・大豆畑トラストなど)、「地域自立のエネルギー」(木の根ペンションでのエコチューブなど)、「北総大地夕立計画」(森づくり・炭焼き体験など)が報告された。
その後、全体討論「生命めぐる暮らしとは・社会とは」に入り、最初に花崎皋平さん(さっぽろ自由学校「遊」共同代表)が問題提起。花崎さんは、社会運動が成果をあげるためにも長期的視点では政治を変革することがやはり必要であること、またコモンズ(社会的共通資本)に着目した社会運動の今日的重要性などについて提起した。重要な指摘であったとおもわれる。
続いて各地の諸運動のパネラーの報告を含めて討論、第三回シンポの「宣言」を採択して終了した。(東京W通信員)