千葉知事選

  堂本氏、既成勢力打ち破る

   ー市民・住民運動の発展で更に前進を


三月二五日に行なわれた千葉県知事選挙で、長野、栃木に続き既成議会政党を打ち破り、県下の二百を越える「勝手連」が推す堂本暁子氏が当選を果たした。
自民、公明、保守などの推薦する岩瀬良三氏、民主、社民、連合推薦の若井康彦氏、日共推薦の河野泉氏などと接戦の末の勝利だった。
「保守王国」千葉では、五期二十年続いた沼田自民党県政による開発行政のツケで、県の負債は一兆九千億円に膨らみ、三番瀬(さんばんぜ)の埋め立て計画の是非が最大の争点となった。
この三番瀬問題に対して各候補の対応は、岩瀬氏ら保守系候補は、ごちゃごちゃ言いながらも相変わらず埋め立て推進、これに関わる開発の積極的推進を主張した。そのうえ自民党は、候補者選定に時間を費やした。森内閣への民衆の不支持と無能さの結果腰が引けたためである。公明党は当初、自主投票としていたが投票日直前になって岩瀬支持を打ち出すという茶番を演じた。
堂本氏は出遅れながらも、立候補表明に先立ち、いち早く三番瀬現地視察を行ない、選挙戦の中で現行計画の白紙撤回を主張し、地元住民との積極的対話を訴えた。
若井氏も、三番瀬問題では堂本氏と同様の姿勢を示しながらも、連合推薦ということで県民・住民への対応において旧来からの労組が前面に出る選挙戦となり、前評判とは裏腹に三位に止まった。
河野氏は、いち早く立候補表明を行ない、埋め立ての全面中止を主張したが、これまで三番瀬問題で県側の政策を変えるような運動をしてこなかったため、地元住民運動との明確な関わりをもった政策とはならず、参院選向けのアリバイ立候補と取られて、堂本氏の半分の票さえ得られなかった。
さて、千葉県における堂本勝利の決定的な意義は、既成政党や連合などが牛耳る選挙に民衆からのハッキリとした拒否が突き付けられたことである。その意義は全国的な波及力をもつだろう。
既成政党においても連合においても大なり小なり言えることは、それらの組織の運営は個人の自立性を拘束する日本的システムにがんじがらめになっていることである。「勝手連」には、堂本を支持して闘うという以外の拘束は一切無かった。選挙への関わり方も自由であった。このため女性のみならず、多くの青年学生が「勝手連」を県内各地に結成させ、不利な選挙を引っ繰り返す原動力となった。
「勝手連」の問題点としては、各地域における問題であるだろう。選挙戦の中で多くの自民党系・保守系の自治体議員や元国会議員が、堂本陣営や若井陣営に寝返るという事態が見られたし、投票日直前になって民主党の田中甲衆院議員が離党し、堂本支持に回るという事態が現われた。逆風の自民系の場合は充分に考えられる事態であったが、田中議員の場合は予想外であったと取られている。しかし田中氏自身もともと自民党出身であった。

このような部分も、それぞれ「勝手連」を名乗って選挙戦に臨んでいる。
堂本勝利は、千葉県にとって画期的な事態である。しかし、これは出発点にすぎない。堂本氏が知事として執務しようにも、県議会の七割余が自民党であり、それだけでなく現時点では与党議員は二人だけである。また堂本選対を担った「二十一世紀の千葉を創る県民の会」は、政治的には様々な部分の混在であり、県政を支える能力を持っているわけではない。
堂本知事を生み出したのは、県下に広がる「勝手連」を中心とした住民・民衆運動である。県政に関わる地域住民運動が、堂本県政の行く先を指し示すことが出来るようになるならば、地域からの統一戦線の前進にとって有利な条件が形成されるだろう。地域の住民・労働者と手を携えて、堂本県政が積極的政策を取ることを支持し、なおかつ監視しながら運動の大きな前進をめざしていこう。(千葉A通信員)