2・10〜11横須賀

   「非核・平和条例」全国集会

          米艦入港拒否の運動拡大を


去る二月一〇〜一一日、横須賀市の市文化会館などで「非核・平和条例を考える全国集会inヨコスカ」が開催され、約七百名が参加した。主催は、横須賀地区労など神奈川県下の労働組合や反基地市民団体による実行委員会。
この集会は一昨年十月、「非核・平和条例」制定運動が先駆的に取り組まれている函館において開催された「非核・平和条例全国交流集会in函館」の意義と成果をさらに継承・発展させ、「周辺事態法」への実践的対抗軸をより具体的な討議を通じて獲得していく等を目的として開催された。
横須賀は言うまでもなく米第七艦隊の母港であり、所属する艦船が日本中の港湾都市に「休養と親善」と称して繰り返し寄港している。また、永年、粘り強く闘われてきている反基地運動を実践している地元市民団体「非核市民宣言運動・ヨコスカ」は、函館、小樽の「非核・平和条例」制定運動に対して、その運動理論や運動スタイルに多大な影響を与えてきた。「非核市民宣言運動・ヨコスカ」の存在なくして函館、小樽の「非核・平和条例」制定運動はありえないと言っても決して過言ではない。その意味で、横須賀での「全国集会」開催は極めて意義深いものであった。
しかも、一日目の全体集会の冒頭に司会者から衝撃的な報告がなされた。それは、本日午前に、米海軍の原子力潜水艦が愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に衝突し、生徒・乗員九名が行方不明となったという許しがたいものであった。沖縄において何度も繰り返される米軍兵士による犯罪行為、沖縄民衆を愚弄する米軍高官による暴言の数々、また日本国内で傍若無人に振る舞う米軍に抗議や異義を申し入れることもなく追認し続ける日本政府に対して、集会参加者から怒りの声が沸き上がった。
こうした会場の雰囲気の中で、記念講演が山内徳信さん(元沖縄県読谷村長)によって「地域から平和を考える」と題して行なわれた。山内さんは、米軍の読谷飛行場内に村役場をつくった経験をふまえて自治体独自の平和行政の重要性を訴え、「いつも国側の立場ではなく、住民の声に依拠して判断するようにしてきた」と強調した。
また、問題提起をした江端崇さん(法政大学教授)は、多くの人々の賛同を得なければ制定できない条例化の難しさを踏まえ<「市民生活に対する安全への脅威という視点から、核や基地の問題をとらえ直す必要がある」と指摘した。
集会二日目は、三つの分科会が開催された。
第一分科会の「非核・平和条例〜理論と実践〜」では、函館、小樽、帯広の北海道からの報告がなされた。この二月、北海道は集中的に米艦船の寄港ラッシュに見舞われたが、小樽、苫小牧では市長が寄港拒否を表明し、とりわけ小樽市長が「米軍艦船寄港に反対する市民感情」を理由に寄港拒否をしていることへの高い評価がなされた。
第二分科会の「周辺事態法と労働者」では、一昨年の函館集会同様、自治体、運輸、港湾、医療現場からの体験報告と労働組合としての取り組みが報告された。また特別アピール

として北海道教職員組合(北教組)メンバーから、現在、北海道教育委員会による「日の丸・君が代」強制の業務命令問題、さらには「思想調査」を狙ったアンケート問題が報告され、この攻撃は「新ガイドライン」「周辺事態法」と一体を成すもので「戦争のできる国づくり・人づくり」であることは明白であり、組織を挙げて闘うと訴えた。
第三分科会は「原子力空母と原子力災害」。横須賀基地を母港とするこれまでの通常空母艦「インディペンデンス」、「キティホーク」に替わる次の空母が、原子力艦になることは確実である(その時期は二〇〇八年頃と想定)。現在、空母専用バースの延長工事が強行され原子力空母の停泊が可能になる。今でさえ水銀、鉛、ヒ素などで海水が汚染されているにもかかわらず、さらには放射能漏れなどでの原子力災害の危険性がある。原子力空母の母港化に反対し、横須賀基地の返還、跡地の平和利用の実現を求める署名運動への協力が求められた。
集会の最後に、「自治体と市民と労働者が共同して戦争協力や新ガイドライン体制に反対し、周辺事態法などを発動させない取り組みが必要であり、その一つとして『非核・平和条例』の制定がきわめて有効であることを確認し、全国各地でこの『非核・平和条例』の運動を展開することを目指すと共に、各地への米軍艦船の強行入港とこの横須賀における原子力空母の母港化に強く反対する」との集会アピールを採択し、また、函館、横須賀に続く第三回目の「非核・平和条例」全国集会が開催されることを期待して極めて有意義であった集会を終了した。(K)