釜ヶ崎越冬闘争たたかいぬく

「出口」解決・仕事保障へ

 釜ヶ崎において昨年十二月二十五日より本年一月十一日まで、第三十一回越冬闘争が闘い抜かれた。越冬闘争は、すでに通年の反失業闘争として闘われているが、厳しい冬を「一人の野垂れ死にも許すな!」を合言葉に闘い抜かれた。
 十二月十九日、越冬闘争の出発点である恒例の「越冬闘争支援連帯集会」が、大阪市浪速区にある芦原橋総合福祉センターで、一五〇名の労働者・支援者の参加で開かれた。主催は越冬闘争実行委員会。
 釜日労の大戸さんが「基調提案」を行った。今年度の通年闘争を踏まえて、「仕事を出せ!住居をよこせ!府市全域の野宿の仲間と共に闘うぞ!わしらの自立した生活を勝ち取るぞ!府市・日本政府は野宿労働者・日雇労働者に仕事保障・生活保障を行え!」のスローガンに示される越冬闘争の方向を訴えた。
 越冬闘争は、十二月二十五日午後四時より、三角公園にて「越冬闘争突入集会」を開き、始まった。集会後、認定通り、銀座通りをワッショイデモで通り、医療センター前に立て看板を立ち上げた。医療センター前に布団を敷き、夜十時から地域内医療パトロールが多数で行われ、第一日目が始まった。
 二十九日より、大阪市による大阪南港臨時宿泊所の受付が始まった。
 二〇〇〇年四月に三角公園横に闘い取られた六〇〇名のシェルターは、三十日より一月九日まで閉鎖され、この期間中三千名規模の南港臨泊が行われる。午後四時より越冬実の仲間が見守る中で、整理券が配布され、大阪市立更生相談所で受付が行われた。二十九日・三十日の二日間で総入所者は、二二二七名にとどまった。一昨年(二六五九名)、昨年(二四九二名)をさらに下回る結果となった。一時的な臨泊より、自分のテントの確保を優先する仲間が多かったということでもある。
 一方、長居公園に建設されたシェルターが二十九日より開かれた。二日間で、百十六名の仲間が入所した。
 九月より増員を闘い取った特別清掃事業は十二月三十日も仕事が続けられ、一月四日より再開されるので、釜日労のバス「勝利号」が特掃輪番に登録している仲間を南港に迎えに行った。二十九日からは、越冬闘争の集中期である。毎日六時より三角公園で集会が開かれ、臨泊受付の報告、医療パトの報告が行われる。集会後、人民パトロールが百名以上の仲間で取り組まれる。二十九日天王寺、三十日日本橋へ繰り出し、三十一日には難波、道頓堀へ出て五年前に川に落とされ亡くなった藤本さんを追悼した。正月に入り一日は梅田へ二百名で押し出す。二日は天王寺に再び回り、昨年七月二十二日に虐殺された小林俊春さんの追悼と献花を現場で行った。三日には釜ヶ崎地区内の人パトが貫徹された。
 三十一日には、三角公園で年越しのライブとノド自慢大会が行われ、一日からは恒例の越冬まつりである。
 四日、恒例の「お礼参りデモ」が取り組まれた。今年は、十二月四日に提出した越年要求に加え、府に対し、特別清掃事業拡大を新たな仕事の確保、そして今年の越冬闘争スローガンに掲げられた住居確保の要求等を掲げ、二百名が二時間半に及ぶデモを貫徹して、五項目の反失連の要求書を太田府知事に突きつけた。
 今年度の越冬では南港臨泊は減少し、医療パトによる把握では南まわりは越冬期間を通し昨年より約二千名減、しかし医療センター下、北テントの宿泊型は約千名増え、仲間がテントを利用していることと、釜ヶ崎地区外へ仲間が出て、府下一円に拡大して野宿している傾向が更に深まったことを示した結果となった。
 一方昨年十月に開所された自立支援センター「大淀」、十一月の「西成」には百三十二名が入所し、NPO釜ケ崎の草刈の仕事に一方で出ながら、求職活動を行っている。しかし仕事が決まった仲間はまだ少数しかいない現状も露になった。出口での仕事保障が反失業闘争の今年の課題であることも明白である。
 釜ヶ崎は、第三十一回越冬闘争から一・一四日雇全協総決起集会を経て、通年の反失業闘争に進んでいく。(大阪S通信員)