文部省が障害児就学基準を見直し

 闘いなくして統合教育なし


障害を持つ児童・生徒の教育のあり方を検討している文部省の「21世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究協力者会議」は、昨年十一月六日、より多くの子どもが小中学校に通えるよう、盲・ろう・養護学校などに就学する児童・生徒の障害の基準見直しを求める中間報告をまとめた。六二年に制定された基準を、科学技術や医療の進歩に合わせて約四十年ぶりに改定するとするもので、受け入れ体制が整っていれば、希望する子どもが小中学校に就学できるよう手続きも見直す。今後、関係団体などの意見を聞いたうえで今年三月までに最終報告をまとめる。
盲・ろう・養護学校などに就学する子どもについては、学校教育法施行令で、盲学校への就学基準は「両眼の視力が〇・一未満のもの」、養護学校に入る肢体不自由者は「歩行が不可能または困難な程度による」などと決められている。
しかし、車椅子を使っている生徒でも、エレベーターやスロープがあれば小中学校で学ぶことができ、手の障害により鉛筆で字が書けない子や言葉が不自由な子どもも、コンピューターなどを使えば意思表示ができるようになった。このため、同会議は、基準を実態に即したものに改め、基準を満たした子どもは小中学校に就学できるようにすることを求めている。文部省は、最終報告を受けて具体的な基準改正に乗り出す。
このかんの長期の障害児教育をめぐる運動と論争を振り返ってみると、日本共産党および全障研は、養護学校義務化をめぐって、障害者の「発達を保障する」ことこそが障害者問題解決のための最重要の任務であるという観点から、養護学校を中心とする障害児教育を更に充実せよ、と政府・文部省に迫ってきた。
それと、真っ向から対立した主張をしてきたのが、全障連に結集する障害者団体であった。障害児・者の置かれてきた、そして置かれている現実から出発するならば、養護学校の義務化は差別・選別の能力主義的教育の完成であり、障害児・者の隔離抹殺政策の一環であるという観点から、養護学校義務化阻止の旗印を掲げてたたかってきた。
養護学校ではなく、地域・校区の原学級での教育の保障を求めるという運動が、全障連を先頭とする反差別団体や教組などを中心に取り組まれ、この結果、一方で養護学校が存在しながら、他方では、地域・校区で教育を受ける障害児も存在するという状態が、全国各地でみられることとなった。
今回の文部省協力者会議における就学基準の見直しは、こうした地域・校区での教育を保障せよという声に押された結果であることは、否定できない。養護学校での隔離教育ではなく、地域・校区での原学級での教育を保障せよという運動の成果としてとらえることができるであろう。
ただ、問題は、日本が資本主義国家である以上、養護学校であれ普通学校であれ、支配階級は弱肉強食の競争主義の資本の論理を教育現場に持ち込もうという意図を捨てないのであり、障害児と健常児、親、教育労働者、地域の民主団体が「共に生きる」社会をめざし

て、能力主義教育を超える教育、共生教育の中身の充実の創造をすすめていく営みがなければ、真の意味の統合教育は存在しないということである。その営みがなければ、政府の意図どおり、差別教育の真っ只中に障害児を放置するだけ、という結果を招くことになるということである。
支配階級の本音が、障害児を隔離教育してより安価な労働力として育成し、また労働力と見なされない障害児は施設に送り込んだり、在宅生活を強いるというこれまでの原則は変えないまま、普通学校での能力主義教育に耐えることができると判断された障害児を、普通学校で受け入れていくというものであることは否定できないのである。
こうした、運動の成果とその地平での新たな課題に直面する障害児教育であるが、これを含め障害者解放運動全体について、大きくはどのような課題が問われているのかを若干提起してみたい。
日共と全障研は、日共の政治路線に沿って、現在の諸条件の中で子どもの発達を最大限保障し、民主教育を発展させ、民主的作業所の建設、民主的な施設改革、法制度の改正を行なう等の取り組みを通じ、障害者の労働する権利と所得を保障するという方針を持ち、またそのための組織(教師、親、学者、施設職員を中心とした諸団体)を有している。これに対し、養護学校義務化に反対してきた運動勢力は、明確な政治路線や共に前進する政党も有していないというのが実情である。
この運動勢力は、施設や在宅生活に耐えかねて地域で介護者をつけて自立生活を開始した障害者や、隔離教育に反対した親、部落解放同盟員、教師の有志、宗教者、反戦青年委員会や全共闘を経験した人たちなどによって、個々に、行政に対する糾弾行動や教育・生活・労働を含めた行政交渉などを行なってきた。困難な状況の中で、障害児・者を隔離、抹殺する政策を糾弾し、実力で障害者の生存権を確立する政策を求めてたたかってきた。
しかし、長期のたたかいを経て一定の成果と運動団体の地位の向上は見られるとはいえ、日本の根本的変革をめざす政治勢力との連帯性が弱く(それは障害者運動と政党運動のお互いの力量不足ということもあるが)、支配階級の融和主義的な運動抑制策を打破し、社会変革を担う全ての人々と手をたずさえて前進するという段階には、いまだ至っていない。個々ばらばらの闘いでは、敵に各個撃破されるだけであるし、また一定の譲歩と引き替えに、能力主義と差別政策の片棒を担がされる危険性があることも否定できない。
政府・文部省が日本帝国主義の労働力政策にもとずいて、資本に役立つための一部のエリートと圧倒的多数の安価な労働力を作りだす教育政策をおしすすめていることは周知であるが、障害者運動の側は、それと具体的に対決できる政策をいまだに作り出し切れていないと言える。また、科学的な障害者観、学力観の確立、「発達とは何か」という定義づけ、訓練・リハビリは障害者運動の中でどう位置付けられるのか、という理論的問題についてもいまだ明確な回答は与えられていないのである。
日本帝国主義の障害者抹殺政策を粉砕し、障害者の人権確立のための政策を実現する改良闘争の方針を整えるとともに、現在よりも数倍は障害者の人権が保障されることが予想される日本の社会主義的な変革に向けての、障害者運動と革命政党とによる綱領的政策の提案など、相互の共同の努力が求められていると考える。
障害者と健全者が肩をならべて新社会を創造する力量をつちかうための共同行動の積み重ねが必要であり、その中から、労働者人民の子どもを社会進歩の担い手として育てる人民解放教育の一環としての、障害児教育が創造されていくと言えるだろう。(T)