沖縄通信

那覇市長選の敗北が示す沖縄革新の崩壊

     新たな民衆連帯の「実体」を


十一月十二日の那覇市長選挙で、革新の堀川美智子氏が自民党側に敗れた。その意味も結果も重大である。沖縄革新は名護市長、沖縄県知事、県都・那覇市長の座を次々と失った。
普天間基地の名護への移設をめぐって、九五年来、沖縄県民と日本政府との間で闘いが続けられ、政府は直接沖縄の地方自治に介入し続けてきた。三年前の名護の市民投票で政府方針が否決されたにもかかわらず、強引にその後の一連の首長選挙に介入し、あくまで名護海上基地建設を実現させようとしている。内閣直属の沖縄担当官を配置し、周辺弱小自治体にカネをばらまき、口を封じ、公共工事、財政補助、サミットで沖縄の土建業と自治体をドブ漬けにする一方、体系的なイメージ戦略で「革新」を切りきざんでいる。
那覇市長選でも、県知事選で使われたのと同様の手法、「チェインジ21」「長すぎた二十七年」のイメージ戦略が駆使された(大田知事降しでは「県政不況」であった)。沖縄人大衆の経済的困難は、大田知事や親泊那覇市長の反政府的姿勢の結果だ、と説く。
経済的困窮を深めている沖縄の下層大衆は、だまされやすい。「明日のカネと仕事が先決、『平和』ではメシが喰えない」、「大田さんも親泊さんも学校の先生と公務員のことしか考えない。立派な施設は作るが、私らと関係がない」等々。政府の財政的直下爆弾とイメージ戦略は、連動して効を奏している。
大田さんも、親泊さんも政府の「公共」投資にドブ漬けにされてきているので、革新側は反論しきれていない。土建業界に対しても強く出ることができないでいる。百%自民党に投票する土建業者に遠慮して、どうして「公平に予算は出してきた」等と言う必要があろうか。はっきり言って、自民党直結の土建業者とそうでない者とを区別するのは当然なのではなかろうか。土建業界を政治的に分解させるような積極的連携策を講じるべきではなかったのか。これは一例であるが、長期的に既成政治を改革していく戦略を革新側が持っていないことの証左でもある。ひたすら、民衆の政治的エネルギーをムダ喰いしているのである。
沖縄の若年労働者の失業率は、10%台に達すると言われる。儒教的風土の中で家族に頼って求職登録しない者が多く、統計に表れないのである。また報道されることがないが、中高年の自殺者と破産宣告者が激増している。これらに象徴される下層民衆の生活の困窮が強まっているのだが、悲しくもかれらは、その打破に立ちあがるのではなく、自民党、政府の薄汚い言にはめられていく。沖縄革新はそれにストップをかけることができない、思想的にも理論的にも力量がないのである。
日本政府のカネ、権力、策謀の前に為すすべもないのであろうか。しかし少なからずの人びとが、那覇市長選は勝つ可能性があったことを力説している。
革新側の考え方が見えてこないのだ。候補者選定までの経過では、共産党や社民党や連合が市政継続を要請する、親泊氏がそれを「おことわり」、それの繰り返しである。人事と妥協が頭を占め、ついには官僚が官僚を後継者に指名する(堀川氏は前那覇市福祉部長)。日本政府とどう戦うかを争っているときに、そのエネルギーと無関係な所でのんびりと、革新政治ボスたちの決定が天下って来た。
堀川氏決定に、不思議に思う人も多い。必然性に欠ける面も否定できない。市民運動の活動家らは、カヤの外に置かれていたものの、市長選の重大性は誰もが認めることだから、疑問点は持ちながらも堀川当選へ全力をかたむけた。
堀川氏が女性であることから、「基地・軍隊を許さない女たちの会」の高里鈴代さんらが、選対の重責に付くことになった。女性市民運動の選挙参画の貢献は大きい。革新共闘スタイルの選挙に対し、選挙戦略をめぐって彼女らは論戦を提起した。第一に言えることは、この女性の台頭は将来の期待につながったということである。
第二に、沖縄下層民衆の連帯と結集軸の創設ということが、課題になってきているということが言えるだろう。
沖縄革新はこれまで、沖縄民衆下層の反戦反基地の感情の土台の上にのり、日本政府に対抗してきたが、政府はこのかん、公共工事等カネの「ばらまき」と「出し渋り」を使い分けること等によって、沖縄革新と沖縄下層民衆との分断に一定成功したと言うことができる。政府の互いに争わせる政策、分断政策を無効にしていく下層民衆の結集、それを促す戦略が問われるだろう。
九五年以来の市民運動の高揚は、帝国主義・天皇制軍国主義に苛まれてきた沖縄人の軍事基地からの解放、それをアジア・世界人民との連帯で実現しようという、自分本位の民族主義を脱した地平にある。しかし、そういう市民運動の活動家たちでも、沖縄の下層民衆との連帯をどのように創っていくのか、という問題には手をつけていないのである。
その連帯を創っていくうえで、基本的に必要なことは何だろうか。下層民衆を含め沖縄人一般が、沖縄戦の歴史的経験から来る戦争への憎しみ、軍事基地に対する嫌悪感を抱き続けてきた。この感情の上に革新の知事や市長があり、大衆運動もまたこの感情によって保障されてきた。これを忘れ、この感情との連帯を追求しないことには、すべてはご破産になると言える。
那覇市長選の敗北のあと、今年は二月に浦添市長選挙がある。軍港建設の成否は、那覇市、浦添市、沖縄県庁の三者で決まる。那覇と県の外堀は埋められ、浦添市長が争点となる。現職・宮城健一(社民党)と自民党との争いになる。
宮城市長は「軍港反対浦添市民の会」とケンカ状態であったが、今秋、自己の誤りを認め、市民の会の要請をのんで軍港拒否の基本姿勢となった。浦添市民の会は、沖縄の市民運動の中でも最も体力が整っており、顔も広い。その行動力が那覇等の市民運動を動かし、県知事選・那覇市長選の反省の上に立った戦略を持ち、社民党との連帯を作りえたならば、浦添市長選は勝利できるだろう。宮城健一氏への一票を!
沖縄の今日の状況をどのように言うかは、むずかしい。だが重要なポイントは、提出されているのではないか。
復帰運動があった。復帰運動以降の諸運動があり、九五年来の市民運動の高揚がある。そして今日、復帰運動以来の革新共闘が(一部を残して)崩壊する。この沖縄革新に代わって、市民運動が、沖縄人一般とも共有できる想いを表現し、政治的な座を公認されてくる状況というものは、やはり入れ替わりの時期だと言うことができよう。
共産党、社民党は、この、革新政党に従属しないが、利害を抜きに粉骨砕身の活動をすすめる市民運動を公認しない。しかしながらこの市民運動の貢献は、7・20カデナ包囲にもみられるように、誰の目にもはっきりしている。沖縄社会大衆党だけは例外で、市民運動側と相互に好意を持ち合っているようであるが。
那覇市長選に負けたからといって、巨大な前提を忘れてはいけない。7・20に結集された三万近くの大衆は、その政治的意志は、厳然と今も存在し続けている。沖縄人民衆の政治的意志の結集点を、団結・連帯の「実体」を形成しなければならない。この課題を前に、革新共闘がダメになり平和センターがヘンになっている現在、セクト的・打算的な対応では絶望である。
基地を拒否した名護市民投票から、もうすぐ三周年。日本政府の代替施設協議会の策動、また名護市議会の開会があるなか、十二月二十一日には、ヘリ基地反対協によって名護市役所包囲行動が行なわれ、二十三日には県内移設阻止県民会議と共に交流集会を開催する。 この市民投票三周年の行動には、近年誕生した市民・住民運動──軍港反対浦添市民の会、P3C反対本部町豊原住民、普天間飛行場撤去宜野湾市民の会、ヘリポート反対与勝住民、東村高江住民、宜野座村松田住民、伊江島土地を守る会、そして韓国の人びと等、多くの団体・個人が集まるだろう。
 この行動で、周辺市町村から多くの住民が名護にあつまるということは、特に意義がある。名護周辺自治体へのこの間の札束攻撃を、下からハネ返していく確かな一歩となるからだ。三周年行動が団結の場、運動の将来を語る場になることを期待する。(記・十二月十六日)